パウル・フリードリヒ・ツー・メクレンブルク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パウル・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ハインリヒ・ツー・メクレンブルク(Herzog Paul Friedrich Wilhelm Heinrich zu Mecklenburg [-Schwerin], 1852年9月19日 - 1923年5月17日)は、メクレンブルク=シュヴェリーン大公国の公子、騎兵隊将軍。メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世とその最初の妻でロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ63世の娘であるアウグステ・ロイス・ツー・ケストリッツの間の次男として生まれた。
1881年5月5日、従妹にあたるオーストリア貴族のマリー・ツー・ヴィンディシュ=グレーツ侯爵夫人(1856年 - 1929年)と結婚した。夫妻の間に生まれた5人の子供達は、母マリーと同様にカトリック信徒として育てられた。このためパウル・フリードリヒは1884年4月21日に自分と息子たちのメクレンブルク=シュヴェリーン大公位継承権を放棄している。さらに1887年、パウル・フリードリヒはルター派の信仰を棄ててカトリックに改宗した。
パウル・フリードリヒとその妻子はヴェネツィアで静かな暮らしを送り、ジュゼッペ・サルト枢機卿(後の教皇ピウス10世)と親しい友人になった。1906年、甥の大公フリードリヒ・フランツ4世はパウル・フリードリヒ夫妻の浪費に怒り、夫妻の家政の管理を大公家の宮廷に委ねさせている。1923年、ルートヴィヒスルストで死去した。
子女 [編集]
- パウル・フリードリヒ・カール・アレクサンダー・ミヒャエル・フーゴー(1882年 - 1904年)
- マリア・ルイーゼ・アウグステ・アレクサンドリーネ・オルガ(1883年)
- マリア・アントイネッテ・マルガレーテ・アウグステ・マティルデ(1884年 - 1944年)
- ハインリヒ・ボルヴィン・アルベルト・フーゴー・ヨーゼフ・パウル(1885年 - 1942年)
- ヨーゼフ(1889年)