バーニー・ジョフリオン

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バーニー・ジョフリオン
生誕 1931年2月14日
ケベック州モントリオール
死没 2006年3月11日(75歳)
アメリカ・アトランタ
身長
体重
5 ft 9 in (1.75 m)
170 lb (77 kg; 12 st 2 lb)
ポジション 右ウィング
シュート 右利き
所属クラブ モントリオール・カナディアンズ
ニューヨーク・レンジャース
現役期間 1950年 – 1968年
1972年殿堂入り

バーニー・ジョフリオンBernard Joseph Andre Geoffrion1931年2月14日 - 2006年3月11日)は、カナダケベック州モントリオール生まれのプロ・アイスホッケー選手、コーチである。NHLでは16シーズンのキャリアを持ちモントリオール・カナディアンズニューヨーク・レンジャースでウイングとして活躍した。1972年にはホッケーの殿堂入りを果している。愛称はブーン・ブーン("Boom Boom")であるが、その由来については後述する。

来歴[編集]

カナディアンズ時代[編集]

ジョフリオンは、14歳からカナディアンズのマイナーチームに所属し、1951年2月14日からメジャーチームの一員となった。NHL初シーズンで18試合しか出場経験がなかったため翌シーズンにも新人王(カルダー記念賞)の受賞資格を保有していた。そして翌シーズン、伝家の宝刀ともいえるスラップショットを駆使し30ゴール、24アシストを上げ同賞を獲得した。

1961年にはNHL史上でチームメートであった"ロケット"・リシャールに次いで2人目となる1シーズン50ゴールを上げた。モントリオール・カナディアンズでは、スーパースターで左ウイングのリシャール、センターのジャン・ベリヴォーと同じラインで右ウイングを務め、チームを6度のスタンレー・カップ優勝に導いた。

16シーズンの現役生活で、883試合に出場し393ゴール、429アシストを上げるとともに、689分のペナルティ・ミニッツの記録を残した。ジョフリオンの現役当時は、乱戦模様の試合が数多く見られた時代で、その証として彼も鼻骨骨折6度、全身の縫い跡400針を負ったといわれる。1958年には、練習中の事故で大怪我を負い、緊急手術で命が助かるといった経験もしている。その怪我をしたシーズンには、医者の出場見合わせの勧めにも関わらず、6週間後にリンクに戻りスタンレー・カップの決勝戦に出場している。

ジョフリオンに対する選手としての評価は、同時代にチームメートのモーリス・リシャール、ライバルのデトロイト・レッドウィングスゴーディ・ハウアンディ・バスゲイトらの抜群の選手の陰に隠れがちであって、リーグ全体に名の通るスーパースターの地位を確立するところまでは行かなかったといわれる。事実、1955年(いわゆるリシャール暴動のあった年)には、リシャールを1ポイント差でかわして、得点王に輝いているが、それでもNHLオールスター戦の第2チームにしか選抜されなかった。このことから、内心は不満を抱いてホッケーを止めようとまで考えたが、リシャールやベリヴォーらの説得で踏みとどまったこともあるといわれる。

コーチ・引退後[編集]

1964年に一度現役を引退したが、2シーズン後の1966年6月9日ニューヨーク・レンジャースにおいて現役復帰を果した。

1968年には完全に現役を引退し、レンジャースのコーチに就任するが、プレッシャーに耐えられないほど繊細な神経であったためか胃痛を基因として、1シーズン経過することなく退任する。

1972年になると、ジョフリオンはアトランタ・フレームス(カルガリー・フレームスの前身)の初代コーチに就任し、2シーズン半その任にあった。この間、1974年には同チームを初のプレイオフ進出に導いている。

1979年には、宿願であり彼が愛して止まなかったカナディアンズのコーチに就任する。しかし、またも胃痛などによりシーズン半ばで降板を余儀なくされ、アトランタの自宅に戻った。

その他の活動[編集]

他方、1970年代から1980年代にかけて、ジョフリオンはミラー・ライトという銘柄のビールのテレビコマーシャルに登場した。このコマーシャルでは、引退した運動選手として他に、ヤンキースビリー・マーチンや Bob Uecker が登場している。ジョフリオンは、強烈なフランス語訛りと荘重に聞こえる声、ユーモアのセンスと陽気な人柄で広告界の寵児でもあった。

スラップショットの発明者[編集]

スラップ・ショット(slapshot)とはアイスホッケーにおけるシュートの打ち方の一つで、たとえるならばゴルフスイングのようにスティックを大きく振りかぶってからパックを激しく打撃する方法であるが、このシュート方法はジョフリオンが、モントリオール・カナディアンズのマイナー選手であった時代に発明したといわれている。ジョフリオンの愛称ブーン・ブーン("Boom Boom")は、加速されたパックがボードに当たった時の反響音に由来している。

現代のアイスホッケーにおいては特にゴールを遠くから狙う方法として極めて一般的な技術であるスラップ・ショットであるが、初めてジョフリオンのそれを見たリーグ関係者は驚きを隠せなかったと伝えられている。例えば、トロント・メープルリーフスのコーチであったハップ・デイ (Hap Day) は自身が1930年代にともにプレーした強力なシューター、チャーリー・コナハー (Charlie Conacher) のことを回想しながら、「コナハーのショット以上に強烈だった。スティックを振りかぶったところまでは見えたが、パックがゴールに入るところはぜんぜん見えなかった。」といった旨のコメントを残している。

アイス・ホッケー一家[編集]

息子のダン・ジョフリオン(Dan (Danny) Geoffrion 、1958年1月24日 - )は、1978-1979シーズンはWHAケベック・ノルディクス、1979-1980シーズンは父がコーチを務めるカナディアンズ、1980-1981シーズンはウィニペグ・ジェッツに所属したプロ・アイスホッケー選手である。

また、孫のブレーク・ジョフリオン(Blake Geoffrion、1988年2月3日 - )は、ウィスコンシン大学に入学しアイスホッケーをプレーしている。

受賞歴等[編集]

生涯成績[編集]

    レギュラーシーズン   プレイオフ
シーズン チーム リーグ GP G A Pts PIM GP G A Pts PIM
1950-1951 モントリオール・カナディアンズ NHL 18 8 6 14 9 11 1 1 2 6
1951-1952 モントリオール・カナディアンズ NHL 67 30 24 54 66 11 3 1 4 6
1952-1953 モントリオール・カナディアンズ NHL 65 22 17 39 37 12 6 4 10 12
1953-1954 モントリオール・カナディアンズ NHL 54 29 25 54 87 11 6 5 11 18
1954-1955 モントリオール・カナディアンズ NHL 70 38 37 75 57 12 8 5 13 8
1955-1956 モントリオール・カナディアンズ NHL 59 29 33 62 66 10 5 9 14 6
1956-1957 モントリオール・カナディアンズ NHL 41 19 21 40 18 10 11 7 18 2
1957-1958 モントリオール・カナディアンズ NHL 42 27 23 50 51 10 6 5 11 2
1958-1959 モントリオール・カナディアンズ NHL 59 22 44 66 30 11 5 8 13 10
1959-1960 モントリオール・カナディアンズ NHL 59 30 41 71 36 8 2 10 12 4
1960-1961 モントリオール・カナディアンズ NHL 64 50 45 95 29 4 2 1 3 0
1961-1962 モントリオール・カナディアンズ NHL 62 23 36 59 36 5 0 1 1 6
1962-1963 モントリオール・カナディアンズ NHL 51 23 18 41 73 5 0 1 1 4
1963-1964 モントリオール・カナディアンズ NHL 55 21 18 39 41 7 1 1 2 4
1966-1967 ニューヨーク・レンジャース NHL 58 17 25 42 42 4 2 0 2 0
1967-1968 ニューヨーク・レンジャース NHL 59 5 16 21 11 1 0 1 1 0
NHL合計 883 393 429 822 689 132 58 60 118 88

外部リンク[編集]