バーニング (プロレス)

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バーニング(Burning)は、プロレスラーユニットである。

1998年全日本プロレスで結成され、2000年に解散した第1次バーニング(旧バーニング)と、2000年にプロレスリング・ノアで発足した第2次バーニング(新生バーニング)がある。

目次

[編集] 概要

全日本プロレスにおけるチームを「第1次」、プロレスリング・ノアにおけるチームを「第2次」と仮称する。

[編集] 第1次

1998年8月に全日本プロレス小橋健太(現:-建太)を中心にして結成。小橋が当時のパートナーであり、小橋率いるチーム「G.E.T」の盟友であるジョニー・エースと試合後に仲間割れ。これを止めに入った秋山準志賀賢太郎金丸義信とともにチーム結成を宣言。 エースとの仲間割れする少し前(1998年6月)に三冠王座を川田から奪った後に宣言した「新時代宣言」を具現化することを目的とした。

アンタッチャブルノーフィアームーブメントと並ぶ団体内の一勢力として活躍。

2000年に秋山が脱退。同年6月、その秋山が結成した秋山軍(後のスターネス)との解散をかけたタッグマッチ(秋山、モスマン対小橋、志賀)に敗れ解散した。

[編集] 第2次

2000年、プロレスリング・ノアの設立後、秋山を筆頭とする若手選手が小橋に対し反旗を翻した。これに対し小橋の同期である菊地毅と小橋と行動を共にし指導を受けることが多かった力皇猛が小橋との共闘を宣言。これに当時の小橋の付け人であった小林健太(現・KENTA)を加えて、新生バーニングを結成した(なお名称は全日本プロレス時代と同じであるが、別のチームと認識されている)。

しかし小橋が古傷の膝を痛め長期欠場に入ると力皇は三沢光晴率いるWAVEに預けられ(後に森嶋猛WILD II を結成し脱退)開店休業状態になる。

2002年に小橋が復帰すると志賀がスターネスを脱退し加入。2003年本田多聞2004年には当時の小橋の付け人である潮崎豪が加入。その後、新たに小橋の付け人となった谷口周平も加入した。

小橋が悪性腫瘍治療による長期欠場となると、残りのメンバーでチームを組んで試合に臨むことが多かったが、積極的なアピール活動などは少なくなった。その後、小橋が復帰すると新旧バーニングタッグ対決が実現した。

また、2008年2月26日に小橋のデビュー20周年記念試合が行われた際に、第1次のメンバーでタッグを結成した。

2010年10月に潮崎が潮崎軍を、2011年3月にKENTAが NO MERCY を、また2006年に志賀がパンパーズ(パンチパーマ・ブラザーズ)などを結成したが、両者は正式な脱退宣言を表明していない。秋山率いるスターネスもそうであるが、ノアの団体としての性格上、ユニットというよりは「小橋派」という意味合いが強い。これは本田が特に正式加入声明を行なっていないことや、KENTA、潮崎、谷口など歴代の小橋の付き人が自動的にユニットに編入されていることなどからも窺える。

2011年現在、欠場中の小橋とフリーとして参戦する志賀以外の各メンバーが新しいユニットで活動しているため、自然消滅に近い形になっている。

[編集] メンバー

[編集] 第1次

活動期間 - 1998年8月~2000年6月(2008年2月26日、1夜限りの再結成)

[編集] 第2次

活動期間 - 2000年ノア旗揚げ後~

[編集] 関連項目

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