バートン・フィンク

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バートン・フィンク
Barton Fink
監督 ジョエル・コーエン
脚本 ジョエル・コーエン
イーサン・コーエン
製作 イーサン・コーエン
出演者 ジョン・タトゥーロ
ジョン・グッドマン
ジュディ・デイヴィス
音楽 カーター・バーウェル
撮影 ロジャー・ディーキンス
編集 ロデリック・ジェインズ
配給 アメリカ合衆国の旗 20世紀フォックス
日本の旗 KUZUI
公開 フランスの旗 1991年5月CIFF
アメリカ合衆国の旗 1991年8月21日
日本の旗 1992年3月14日
上映時間 116分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $9,000,000
興行収入 $6,153,939[1]
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バートン・フィンク』(原題: Barton Fink)は、1991年製作のアメリカ映画コーエン兄弟製作映画。主役の脚本家をジョン・タトゥーロ、彼の滞在するホテルの部屋の隣人をジョン・グッドマンが演じている。

太平洋戦争前の混沌とした世相を背景に、スランプに陥った脚本家が奇妙な殺人事件に巻き込まれる様を描く。


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


目次

ストーリー [編集]

社会派の作品で高い評価を受ける劇作家のバートン・フィンクの劇場で公開された最新作は好評を博し、その実力を見込んだハリウッドの大手スタジオが彼に映画の脚本執筆のオファーを出す。悩むバートンだが、最終的にスタジオ専属脚本家となる契約を結ぶ。

バートンの新たな雇い主となる傲岸な社長は、彼にウォーレス・ビアリー主演予定のレスリング映画の脚本執筆を依頼する。スタジオから滞在先を宛がわれたバートンだが、そこは不気味な雰囲気の漂うおんぼろホテルだった。そこでホテルの隣人の自称保険勧誘員のチャーリー・メドウズと出会い、かねてより労働者階級の人間に親近感を持っていたバートンはチャーリーと仲良くなる。

ホテルで脚本の執筆を開始するバートンだが、スランプに陥り仕事がはかどらない。悩むバートンは、尊敬する小説家で同じくハリウッドで仕事をしているW・P・メイヒューに偶然でくわす。アドバイスを乞うためメイヒューの宿舎を訪問したバートンは、そこで出会った彼の私設秘書オードリーに好意を抱く。

バートンはメイヒューとオードリーの三人でピクニックに行くが、アルコール依存症のメイヒューはバートンの前で醜態を晒す。メイヒューに失望したバートンは、オードリーをホテルの自室に招いて脚本についての助言を求めるが、その際彼女と関係を持ってしまう。

翌朝目を覚ましたバートンが発見したのは、無残に殺害されたオードリーの死体だった。混乱して隣室のチャーリーに相談するバートン。そんな彼をチャーリーは宥め、死体の処理を引き受ける。後始末を済ませたチャーリーは、彼の仕事の都合でニューヨークに行かねばならず、その間バートンが「箱」を預かって欲しいと言う。

チャーリーが去って虚脱状態のバートンの元にロサンゼルス市警察の捜査官と名乗る男たちが訪ねてくる。彼らはバートンに、チャーリーが実は「狂人ムント」と呼ばれる殺人鬼だと告げる。部屋に戻ったバートンはスランプを克服し、一心不乱で脚本を書き続ける。

無事脚本を完成させたバートンはダンスパーティーに繰り出す。ホテルの自室でバートンを待っていたのは、件の捜査官たちだった。彼らはバートンにメイヒューが惨殺されたという記事が載っている新聞を見せる。ベッドに残された血痕についてバートンを尋問する捜査官たちだが、そこにチャーリーが帰還する。

チャーリーはホテルに火を放ち、捜査官たちをショットガンで射殺する。凶行の後、チャーリーは彼の人生観をバートンに語る。なぜ自分を巻き込んだのか問いかけるバートンに対し、チャーリーは彼が自分の話を聞こうとしなかったからだと怒りを露にする。謝罪するバートンを許し、チャーリーは炎上する隣室に消えていった。バートンも脚本と「箱」を持ってホテルから立ち去る。

バートンが書き上げた脚本を読んだ社長は激怒、脚本を没にするのみならず、以後彼をスタジオで飼い殺しにすると言い放つ。失意のバートンはチャーリーから預かった「箱」を抱えて浜辺へさまよい出る。そこで彼が見たものは、ホテルの壁に掛かっていたポートレートを髣髴させる美女だった。彼女がバートンの前でポートレートとまったく同じポーズをとるショットで映画は幕を閉じる。

キャスト [編集]

役名 俳優 日本語吹替1 日本語吹替2
バートン・フィンク ジョン・タトゥーロ 三ツ矢雄二 桐本琢也
チャーリー・メドウズ ジョン・グッドマン 玄田哲章 辻親八
オードリー・テイラー ジュディ・デイヴィス 小宮和枝 佐藤しのぶ
ジャック・リップニック マイケル・ラーナー 飯塚昭三 稲葉実
W・P・メイヒュー ジョン・マホーニー 藤本譲 小島敏彦
ベン・ゲイスラー トニー・シャルーブ 谷口節
ルー・ブリーズ ジョン・ポリト 峰恵研
チェット スティーヴ・ブシェミ 荒川太郎 青山穣

作品解説 [編集]

コーエン兄弟が製作した四作目の映画で、2012年現在ではコーエン兄弟のキャリアを代表する作品だと認識されている。作家が陥るスランプを扱った本作品であるが、その構想は前作の『ミラーズ・クロッシング』製作中にコーエン兄弟が脚本執筆に苦心した体験に基づいているとされる[2]

映画のクレジットには「ロデリック・ジェインズ」なる人物が編集としてクレジットされているが、これはコーエン兄弟の変名であり、実際にはそのような人物は存在しない[3]

前三作で撮影監督を担当したバリー・ソネンフェルドが多忙であったため、コーエン兄弟は代わりにロジャー・ディーキンスを起用した。この作品から『ノーカントリー』まで、ディーキンスはコーエン兄弟の映画全てにおいて撮影監督を担当している。

公開 [編集]

映画は1991年8月21日に北米で公開され、約600万ドルの興行収入を挙げた[1]。興行的には『ミラーズ・クロッシング』に引き続き赤字となった。

評価 [編集]

『バートン・フィンク』は公開後批評家たちから絶賛された。観る者によって様々な「深読み」が可能な作品であり、多くの批評家たちが彼ら独自の観点からこの映画を語っている。

著名な映画評論家であるロジャー・エバートは、映画に登場するバートン・フィンクとW・P・メイヒューについて、前者は社会主義者の劇作家クリフォード・オデッツが、後者はノーベル文学賞作家ウィリアム・フォークナーがそれぞれモデルであると指摘した。

エバートは映画の美術デザインや主演のジョン・タトゥーロの演技を賞賛したものの、カンヌ国際映画祭で賞を総なめにしたことについては懐疑的な評価を下した。同時に彼は若干躊躇しながらも、1930年代から40年代にかけてのファシズムの台頭が、映画の重要な主題の一つとなっている可能性を示唆した[4]

ワシントン・ポストの批評家リタ・ケンプリーは、本作品をその年で最高の映画の一つで、最も魅力的な作品であると絶賛した。彼女は映画のテーマについて、コーエン兄弟が感じているハリウッドからの疎外感を扱った自画像的な作品であると指摘した[2]

同じくワシントン・ポストの批評家であるデソン・ハウは、不吉な予兆と寓意に満ちたこの映画が、ヨーロッパから見た醜悪な新世界そのものであるように思えると述べた[5]

受賞など [編集]

1991年度のカンヌ国際映画祭パルム・ドール監督賞男優賞を受賞した。同年度のアカデミー賞では助演男優賞美術賞衣装デザイン賞の3部門で候補になったが、受賞には至らなかった。

カンヌ国際映画祭では上述のように主要3部門を制覇したが、これは映画祭の歴史上初めてのことである。カンヌ国際映画祭は伝統的に一つの映画に対し複数の賞を与えないようにしていたが、これ以降その規定がはっきりと明文化されることになった。

脚注 [編集]

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  1. ^ a b Barton Fink (1991)” (英語). Box Office Mojo. 2011年2月25日閲覧。
  2. ^ a b Rita Kempley、“Barton Fink”、The Washington Post、1991年8月21日。(参照:2009年4月7日)
  3. ^ Jada Yuan、“Roderick Jaynes, Imaginary Oscar Nominee for ‘No Country’”、New York Magazine、2008年1月22日。(参照:2009年4月7日)
  4. ^ Roger Ebert、“Barton Fink”、1991年8月23日。(参照:2009年3月21日)
  5. ^ Desson Howe、“Barton Fink”、The Washington Post、1991年8月23日。(参照:2009年4月7日)

外部リンク [編集]