ヴァレンチン・パヴロフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴァレンチン・セルゲーエヴィチ・パヴロフ(ワレンチン・パブロフ、ロシア語:Валентин Сергеевич Павловヴァリンチーン・スィルギェーイェヴィチュ・パーヴラフ;ラテン文字表記の例:Valentin Sergeyevich Pavlov、1937年9月26日 - 2003年3月30日)は、1991年1月から8月までソ連の首相を務めた人物である。ソ連8月クーデターのリーダーの一人であった。
[編集] 概要
パヴロフは政府経済学者およびゴスプランの金融部門の長であり、1959年以来大蔵省職員として勤務し、1989年にはソ連の大蔵大臣に就任した。1990年には政治局に加わり、ニコライ・ルイシコフの後任としてソ連首相となる。当時のミハイル・ゴルバチョフ大統領は、改革にともなう高インフレによりペレストロイカに対するレオニード・ブレジネフ元書記長の流れを汲む保守派の抵抗に直面していた。
パヴロフはソ連内で共和国への権力分散を推し進めるゴルバチョフの新連邦条約に反対し、ゲンナジー・ヤナーエフ副大統領、ボリス・プーゴ内相、ドミトリー・ヤゾフ国防相といった保守強硬派によって率いられた国家非常事態委員会に加わった。委員会は、1991年8月19日にゴルバチョフの退陣を要求するソ連8月クーデターを行った。クーデターの失敗でパヴロフは3日後の8月22日に首相を罷免され、1週間後の8月29日に逮捕された。彼は数か月後に刑務所から釈放され、1994年5月に恩赦を得た。
釈放後にパヴロフは市中銀行の頭取およびいくつかのアカデミーの所長となった。彼はロシア自由経済社会および国際管理アカデミー両方の副社長になった。彼はその後の生活のためクーデターを弁護し、2001年にはロシア大統領ウラジーミル・プーチンの支持を表明した。 2003年3月30日、65歳没。
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||

