バルパライソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
バルパライソ
Valparaíso
チリの旗
Ciudad-Puerto-de-Valparaíso.png
Flag of Valparaiso, Chile.svg Escudo de Valparaíso (Chile).svg
市旗 市章
愛称 : Ciudad de Valparaíso
位置
バルパライソ の位置図
座標 : 南緯33度03分 西経71度37分 / 南緯33.050度 西経71.617度 / -33.050; -71.617
行政
チリの旗 チリ
  バルパライソ州の旗 バルパライソ州
 市 バルパライソ
地理
面積  
  市域 401.6km2
人口
人口 (2002年現在)
  市域 275,982人
その他
等時帯 CLT (UTC-4
夏時間 CLST (UTC-3
公式ウェブサイト : Municipality of Valparaíso
世界遺産 バルパライソの海港都市とその歴史的な町並み
チリ
バルパライソの港
バルパライソの港
英名 Historic Quarter of the Seaport City of Valparaíso
仏名 Quartier historique de la ville portuaire de Valparaiso
登録区分 文化遺産
登録基準 (3)
登録年 2003年
備考 南緯33度2分46秒
西経71度37分20秒
公式サイト ユネスコ本部(英語)
使用方法表示

バルパライソ(Valparaíso)はチリバルパライソ州にあり、首都サンティアゴに近い港町(サンティアゴより約120km)。国会が所在し、チリの立法首都の役割を果たしている。

Valは英語のValley、paraísoは英語のparadiseとほぼ同義で、日本語に訳すと"天国の谷"といった意味である。人口27万人(2006年現在)の太平洋に面した港湾都市であり、迷路のように入り組んだ歴史のある美しい街並が2003年に、UNESCO世界遺産に「バルパライソの海港都市とその歴史的な町並み」として登録された。

近郊に保養・観光リゾート都市であるビニャ・デル・マールがある。

歴史[編集]

最初にバルパライソ湾周辺に住みついた民族はインディオのピクンチェ族 (Picunche) と思われる。彼らは農業で生活を営んでいた。他の説では漁業で生活をしていた遊牧民のチャンゴ族 (Chango) とも言われている。

1536年、最初にチリを発見し探検をしたヨーロッパ人であると考えられているディエゴ・デ・アルマグロによって送り出された補給船サンティアギーリョ号(Santiaguillo)に乗ったスペイン人探検家がこの地にたどり着いた。この補給船は、フアン・デ・サアベトラ(Juan de Saavedra)の命で、アルマグロの遠征のための人員と物資を運んでいた。サアベトラは彼の生まれ故郷であるスペイン、クエンカ県にあったバルパライソ・デ・アリバ村にちなんで、この場所をバルパライソと名づけた。

スペイン植民地時代、バルパライソはわずか2、3の家や教会があるだけの小さな村に過ぎなかった。1818年、チリがスペインから独立し、街は設立間もないチリ海軍の主要港となり、それまではスペインとその植民地のみに制限されていた国際貿易の制限も解除され、他国にも開かれた。

1834年7月23日ダーウィンを乗せたイギリス海軍のビーグル号が本地に到着した[1]

ほどなくして、バルパライソはマゼラン海峡ホーン岬を経由して南米大陸を廻る船にとって望ましい経由地となった。1848年から1858年に起きたカリフォルニアのゴールドラッシュでは、物資を供給し、これを支援するために重要な場所となった。主要港としての役割に加え、バルパライソは多くのヨーロッパ諸国、特にイギリス、ドイツ、フランス、スイス、イタリアからの移民も受け入れた。

多くの国々からの移民が、スペインやアメリカ・インディアンを起源としていた地域文化を大きく変え、チリに最初の非カトリック教徒や反逆者の墓が建てられたりもした。移民の各言語による新聞も発刊された。チリで最初のカトリック系の私学校、ル・コレージュ・デ・サクレ・クール (Le Collège des Sacrés Cœurs) が、フランス系移民により創設され、その後170年間存続した。スコットランドとドイツからの移民により最初の非宗教系の学校がそれぞれ創設された。スポーツの面でも、イングランド移民によりサッカーがもたらされた。移民によって、最初の志願制の消防団も結成された。建築物には、欧州の様々な国の様式が組み込まれ、バルパライソは他のチリの都市よりも多様な建築物を有するようになった。

1906年8月18日、大地震がバルパライソを襲い、様々な物的な損害が出て、数千人の犠牲者を出した。アメリカ人の子孫であるチリの医者カルロス・バン・ブレン (Carlos Van Buren) は、地震の被災者に対する医療活動に従事した。彼は1912年に近代的なカルロス・バン・ブレン病院を設立した。

バルパライソの商業的な繁栄期は、1914年のパナマ運河の開通後に終わりを迎えた。マゼラン海峡通過のリスクを避けるために、船舶はパナマ運河を通過するようになった。港の使用や船の交通量が激減し、街の経済は衰退した。パナマ運河完成後は重要度が低下し、人口減少が続いた。 

1990年には首都サンティアゴより国会議事堂が移転した。

2010年2月27日に起きた地震で、街は被害を受けた。2014年4月12日に大規模な山火事が発生、2500戸以上の家屋が焼失した(英語版参照)[2]

文化[編集]

セヴェリンの公共図書館
エルメルクリオのデ·バルパライソ
アルコブリタニコ
ヒルビスタ。
イキケ、プラザソトの英雄記念碑
湾の眺め、港、バルパライソの丘。

バルパライソは急な斜面に多数の建築物、家屋が立ち並ぶ町並みに特徴がある。市内には、斜面を重力のみによって登り降りするアセンソール(Ascensore)と呼ばれる乗物がある(スペイン語でエレベータの意)。アセンソールは19世紀から市民の足として利用されてきた。最も急なアセンソールでは50度を越える傾斜を昇降する。

姉妹都市[編集]

姉妹港[編集]


ギャラリー[編集]

エピソード[編集]

スティングのナンバーに『バルパライソ』という曲がある。

著名な出身者[編集]

パルパライソの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 23
(73)
23
(73)
21
(70)
19
(66)
17
(63)
16
(61)
16
(61)
16
(61)
18
(64)
18
(64)
20
(68)
22
(72)
19.1
(66.3)
平均最低気温 °C (°F) 13
(55)
13
(55)
12
(54)
11
(52)
10
(50)
9
(48)
8
(46)
8
(46)
10
(50)
10
(50)
11
(52)
12
(54)
10.6
(51)
雨量 mm (inch) 2
(0.08)
2
(0.08)
4
(0.16)
18
(0.71)
97
(3.82)
128
(5.04)
88
(3.46)
67
(2.64)
30
(1.18)
16
(0.63)
7
(0.28)
3
(0.12)
462
(18.2)
平均降雨日数 (≥ 0.1 mm) 2 2 4 5 9 9 8 8 5 5 3 2 62
 % 湿度 72 74 76 78 80 80 80 79 78 75 71 70 76.1
平均月間日照時間 279.0 245.7 217.0 174.0 114.7 81.0 93.0 117.8 147.0 170.5 216.0 263.5 2,119.2
出典: Climate & Temperature[3]
セロコンセプシオンバルパライソチリ

脚注[編集]

  1. ^ パトリック・トール著、平山廉監修、南條郁子、藤丘樹実訳 『ダーウィン』 《「知の再発見」双書99》 創元社 2001年 52ページ
  2. ^ 世界遺産都市バルパライソの大火災、3日目も消火作業続く AFPBB 2014-4-15
  3. ^ Valparaiso Climate Guide to the Average Weather & Temperatures with Graphs Elucidating Sunshine and Rainfall Data & Information about Wind Speeds & Humidity:”. Climate & Temperature. 2010年3月6日閲覧。

外部リンク[編集]

Icon of Sekaiisan.svg Icon of Sekaiisan.svg

チリの世界遺産
World Heritage Sites in Chile
文化遺産
ラパ・ヌイ国立公園(イースター島) | ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群 | バルパライソの海港都市の歴史的町並み | チロエの教会群| スウェルの鉱山都市
世界遺産 | 南アメリカの世界遺産 | チリの世界遺産 | 五十音順 | [編集]
Commons-logo.svg ウィキメディア・コモンズに、チリの世界遺産に関連するマルチメディアがあります。