バダロナ
| 州 | |
|---|---|
| 県 | |
| コマルカ | バルサルネス |
| 面積 | 21.2km² [1] |
| 標高 | 12m |
| 人口 | 218,886人(2010年)[1] |
| 人口密度 | 10,334.6人/km² [1] |
| 住民の呼称 | badaloní/-nina |
| 守護聖人 | Sant Anastasi |
| 北緯41度26分56秒 東経02度14分46秒 / 北緯41.44889度 東経2.24611度 | |
バダローナ(Badalona)は、スペイン、カタルーニャ州、バルセロナ県の都市。コマルカ・ダル・バルサルネスに属す。バルセロナ中心部から10kmの地点にある。1897年に市に昇格した。バルセロナ大都市圏を形成する都市の一つ。伝統的に繊維業が強く、その他に冶金や化学の工場を抱えている。住民呼称はbadaloní/-nina。
目次 |
[編集] 地理
バダローナは山と海岸にまたがる都市である。カタルーニャ沿岸山地が、市の北から西へのびている。
暑い夏、温暖で乾燥した冬が特徴の地中海性気候である。降雨は初秋が最も多く、まれに春にも多く降る。湿度が最も高いのは8月、9月、10月、最も乾燥するのは1月と2月である。一年を通しての日照時間は約2,847時間である。
バダローナの海岸では海水浴が楽しめる。新しい港の建設で5kmあまりの海岸を失ったものの、現在4.5kmの長さに黄金色の良質の砂がある9箇所の海水浴場がある。
[編集] 人口
| バダローナの人口推移(1900年 - 2010年) | |||||||||||
| 1900 | 1910 | 1920 | 1930 | 1940 | 1950 | 1960 | 1970 | 1981 | 1991 | 2000 | 2010 |
| 19,240 | 20,957 | 29,361 | 44,291 | 48,284 | 61,654 | 92,257 | 162,888 | 227,744 | 218,171 | 208,944 | 218,886 |
| 出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3] | |||||||||||
[編集] 歴史
人の定住は3500年から2500年前よりあった(イベリア人の町の痕跡が今も見られる)。定住地としての基礎をつくったのはローマ人であった。彼らはアンプリアスを足がかりに侵略を続け、バエトゥロ(Baetulo)を建設した。これが現在のバダロナである。当時のその他のローマ都市と構造が非常に似た要塞都市で、アウグスタ街道(en)への入り口を持っていた(20世紀に入ってから大浴場が発掘された。現在、遺跡を含めた場所にバダローナ博物館がある)。3世紀までにローマの影響は広がったが、その後のローマ衰退で替わってキリスト教が伝来した。ローマ衰退後のバダローナについてわずかな記録しかない。6世紀から、バダローナはアフリカ製陶器を輸入していた。12世紀にサンタ・マリア教会が再建された(前の教会は既にローマ要塞都市時代からあった)。
幾たびか海賊の来襲に悩まされたためにローマ時代の要塞がそのまま維持される一方、時代ごとの建築様式を備えた建物も一部見られた。
バダローナはコルツでも役割を担い、アラゴン王フアン2世(バルセロナ伯としてはジュアン2世)はカタルーニャ内戦の際に気に入りの町であったバダローナへ避難してきた。
1416年に設立されたサン・ジェロニ・デ・ラ・ムルトラ修道院は、当時最も傑出していた。この修道院に滞在していたコロンブスは、インド航海への支援を表明したカトリック両王からの知らせを受け取っている。
17世紀、サンタ・マリア教会周辺に都市の中核となる場所ができた。この場所はダルト・ア・ビラ(Dalt a Vila)と呼ばれ、住民700人の住居として約200軒の住宅が建っていた。同時期に、城壁外側に田園地帯の核となる定住地ができた。18世紀半ばまで、バダローナは市街と田園地帯が混ざり合わず、別々のまま成長していった。
19世紀初頭までのバダローナの主要産業は、漁業と農業であった。19世紀半ばまで、海上貿易・海上交通を生業とする商人が傑出していた。カタルーニャ農村部からの人口流出の結果、バダローナの人口は急激に増加し、1860年には約12,000人を数えた。人口は増加したが都市計画は進まず、バダローナに初めての織物工場ができるまで新しい通りはつくられなかった。バルセロナ=マタロー間の鉄道が敷かれ、バダロナにも達したことが契機となり、バルセロナの産業家がバダローナに新しい織物工場をつくった。
スペイン内戦で、都市は猛烈な爆撃を受けた。また住民は、日用品の不足でありとあらゆる物資が欠乏した。1939年のフランコ軍によるカタルーニャ征圧でさらに困難な時代は続いた。
大戦中のバダローナは、カタルーニャ左派共和党(es:Esquerra Republicana de Catalunya)に属する市長フレデリク・シフレの殺害が目立った出来事であった。カタルーニャのジャナラリター(自治政府)の首班リュイス・コンパニスも、亡命先のフランスでナチス・ドイツ当局から身柄を拘束され、バルセロナへ送還された後、同年10月に殺害された。フランコ独裁政権時代は、都市の拡張時代でもあった。バダローナは、スペイン各地からの移民の波を受け入れたが、それらを吸収する余力を持っていなかった。住宅地として、バラックや不健康な生活環境に置かれた郊外が出現した。1960年代以降のさらなる転入者増加で、都市計画なしの無秩序な都市化が進んだ。
フランコ独裁の終焉で、1979年4月3日に初の民主的な市議会選挙が行われた。
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バダローナ港
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バルセロナオリンピックのバスケットボール試合会場となった市立スポーツ宮殿
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市内にあるモデルニスモ建築
[編集] スポーツ
- ホベントゥート・バダローナ - プロバスケットボールクラブ
- CFバダロナ - プロサッカークラブ
[編集] 姉妹都市
アルカナー、スペイン
サン・フェルナンド、スペイン
ビジャヌエバ・デ・ロス・カスティージェッホス、スペイン
バルパライソ、チリ
サン・ミゲル・デ・パドロン、キューバ
モンテビデオ、ウルグアイ
[編集] 脚注
- ^ a b c “IEC(カタルーニャ統計局)” (カタルーニャ語). カタルーニャ自治州政府. 2011年12月10日閲覧。
- ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
- ^ Series de población desde 1996. Cifras oficiales de la Revisión anual del Padrón municipal a 1 de enero de cada año.