バスク系アルゼンチン人

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バスク系アルゼンチン人
Vascos en Argentina
Flag of the Basque Country.svgアルゼンチンの旗
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総人口

360万人

居住地域
アルゼンチン全土
言語
ほぼリオプラテンセ・スペイン語、少数はバスク語
宗教
ほとんどがローマ・カトリック
関連する民族

バスク人スペイン系アルゼンチン人

アルゼンチンにおけるバスク移民は、19世紀末から20世紀初頭にバスク地方からアルゼンチンへの移民によって生まれた。バスク人は既にスペイン植民地としてのアルゼンチンの征服、開発と独立の時代から大きな役割を果たした。ブエノスアイレスの再建者であるフアン・デ・ガライはバスク人である。

説明[編集]

1857年から1940年までの間に200万人以上のスペイン人がアルゼンチンに移民し、多くはガリシアと、フランススペインの国境地帯のピレネー山脈西部に位置するバスク地方からの移民だった。スペイン及びフランス双方からのバスク人(ナバラ人を含む)が、バスク人のディアスポラの一環としてアルゼンチンに辿り着いた。

今日、アルゼンチンの総人口の約10%がバスク系である。多くのバスク移民の目的地はアルゼンチンであり、バスク文化がアルゼンチン文化に貢献するところは大きい。

ハイアライの競技場やバスク語の学校のような、バスク文化センター(Euskal Etxeak)が多くの主要都市に存在する。ブエノスアイレスにはラウラク・バット(Laurak Bat)と呼ばれる大きなバスクセンターや、バスク人である街の創設者から名づけられたフアン・デ・ガライ協会のような文化財団が存在する。レンダカリ(州首相)を始めとするスペインのバスク州の政治家がたびたびアルゼンチンを訪問し、バスク自治州政府はアルゼンチンに駐在員を置いている。

主要な国際空港であるミニストロ・ピスタリーニ(エセイサ)を始めとする多くの地名はバスクの名前から採られている。シーサイドリゾートのネコチェアはバスク文化の主要な中心地であり、バスク語である。フスト・ホセ・デ・ウルキサイポリト・イリゴージェンホセ・フェリクス・ウリブルペドロ・エウヘニオ・アランブルのようにバスク系の大統領も存在し、その他にもエバ・ペロンチェ・ゲバラマクシマ・ソレギエタなどの名を挙げることが出来る。15,000のバスク系の姓がアルゼンチンに存在する。

著名人物[編集]

外部リンク[編集]