カイサリアのバシレイオス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

カイサリアのバシレイオス(カエサレアのバシリウス)
カイサリアのバシレイオス(カエサレアのバシリウス)

カイサリアのバシレイオス(カエサレアのバシリウス)(ギリシア語 : Βασίλειος Καισαρείας, ラテン語 : Basilius Caesariensis, 330年頃 - 379年)は、ギリシャ教父のひとり、4世紀の最も重要なキリスト教神学者のひとりである。カイサリア(現在のカイセリ)の主教司教)を勤めたことからこの名があり、大バシレイオス(ギリシア語 : Μέγας Βασίλειος, Άγιος Βασίλειος ο Μέγας, ラテン語 : Basilius Magnus)とも呼ばれる。正教会ローマ・カトリックでは聖人である。三位一体論の形成など異端反駁の一方、聖体礼儀(ミサ)の典礼文を整備したことでも知られる。

目次

[編集] 転写

バシレイオス(Βασίλειος, ギリシャ語の慣用形)の名は、バシレイウスバシレウスバシリウス(Basilius, ラテン語形)等とも表記される。日本ハリストス正教会では、中世のギリシャ語であるヴァシリオスを反映した教会スラヴ語転写を、ロシア語風に再建した音(ロシア正教会奉神礼で用いられる読み)から転写して聖大ワシリイと呼ぶ。ロシア語ではヴァシーリー(Василий)にあたる。

[編集] 生涯

カッパドキア(現在のトルコ)の裕福なキリスト教徒の家庭に生まれる。コンスタンティノポリス、またアテナイに遊学し、哲学を学ぶ。アテナイで同郷のナジアンゾスのグレゴリオスと出会い、親交を結ぶ。アテナイでキリスト教信仰に深く傾倒したバシレイオスは、カパドキアに戻ったのちは、隠棲して一種の修道生活を送っていた。「大ワシリイの修道規則」と呼ばれるその修道生活の指針は、東方一帯に渡っていまも影響力をもっている。第1回コンスタンティノポリス公会議(360年)に出席し、アタナシオスと接近する。のち乞われて教会行政に携わる。カイサリアで司祭を務め、エウセビオスからの圧力でしばらく教会行政から離れる。エウセビオスの死後、370年よりカイサリア主教(司教)。サベリウス主義への反駁に務める。著書に『ヘクサエメロン』(Εξαήμερος Δημιουργία, 370年頃)[1]などがある。

[編集] 影響

正教会では特に崇敬され、中世半ばから、ナジアンゾスのグレゴリオスヨハネス・クリュソストモスとともに三大聖師父(Three Holy Hierarchs)として合同の祭りをもつようになった。なお東京復活大聖堂(ニコライ堂)の東面(至聖所)の二枚のステンドグラスはこの三大聖師父のうち、大バシレイオスと金口イオアンのイコンである(南側ステンドグラスが大バシレイオス、北側ステンドグラスが金口イオアン)。

正教会で大斎の主日等で用いられる「大ワシリイ聖体礼儀」は彼に帰せられるが、現在使われている形は彼より後に整備されたものであると考えられる。ただし彼がカイサリア主教として、当時の典礼文の蒐集と整理に努めたことは、ほぼ確実視されている。

[編集] 脚注

  1. ^ 上智大学中世思想研究所 宮本久雄編訳・監修 『中世思想原典集成2 盛期ギリシア教父』 平凡社、1996年、281-302ページに収録されている。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ