バクルー公

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モンマス公ジェームズ・スコット

バクルー公: Duke of Buccleuch、発音:/bəˈkluː/)は、イギリスの公爵位。1663年4月20日、イングランドチャールズ2世スコットランド王としてもチャールズ2世)が、愛妾ルーシー・ウォルターとの間にもうけた庶子、初代モンマス公爵ジェームズ・スコットスコットランド貴族として授けた。

ジェームズ・スコットは、第4代バクルー女伯爵アン・スコットを妻としていた。アンは、夫のバクルー公位授爵と同時に、自身の権利としてスコットランド貴族のバクルー公爵夫人となっていたため、1685年6月11日にジェームズが反乱を起こし、7月15日に反逆罪で処刑された後も私権剥奪されることはなかった。以後、バクルー公位はモンマス公ジェームズとアンの子孫に継承された。

家名はスコット姓(Scott)からモンタギュー=スコット姓(Montagu-Scott)、モンタギュー=ダグラス=スコット姓(Montagu-Douglas-Scott)と移り変わった。1810年、3代公爵の代に、スコットランド貴族の第4代クイーンズベリー公爵ウィリアム・ダグラス英語版が独身のまま死去したため、クイーンズベリー公の又従弟にあたる3代バクルー公が公位を継承した(この時、クイーンズベリ公の従属称号であったクイーンズベリー侯爵英語版の称号は切り離され、ダグラス家の縁戚が継承している)

バクルー公の従属称号は全てスコットランド貴族としての称号で、バクルー伯Earl of Buccleuch、1619年)、ダルキース伯Earl of Dalkeith、1663年)、スコット・オブ・バクルー卿Lord Scott of Buccleuch、1606年)、スコット・オブ・ホイットチェスター・アンド・エスクデイル卿Lord Scott of Whitchester and Eskdaill、1619年)である。公爵はイングランド貴族のモンマス公を授けられた際の従属称号、ドンカスター伯Earl of Doncaster、1663年)、スコット・オブ・ティンダル男爵Baron Scott of Tindale、1663年)を持ち、スコットランド貴族クイーンズベリ公の従属称号であるダンフリースシャー侯Marquess of Dumfriesshire、1683年)、ドラムランリグ・アンド・サンクアー伯Earl of Drumlanrig and Sanquhar、1682年)、ニス、トーソルウォルド・アンド・ロス子爵Viscount of Nith, Tortholwald and Ross、1682年)、ダグラス・オブ・キルマウント、ミドルビー・アンド・ドーノック卿Lord Douglas of Kilmount, Middlebie and Dornock、1682年)を持つ。ドンカスター伯とスコット・オブ・ティンデイル男爵位は、モンマス公の処刑による私権剥奪で失ったが、1742年に2代バクルー公の代に復活された。

公爵の法定推定相続人が用いる儀礼称号は、ダルキース伯で、ダルキース伯の長男はエスクデイル卿を用いる。

作家ウォルター・スコットは、バクルー卿の直系子孫にあたる。

現在の10代バクルー公リチャードは、イギリス国内で最大の土地を所有する地主であり、バクルー・グループ(資産管理の会社形態をとる)の総帥である。

公爵家の本宅は、セルカークスコティッシュ・ボーダーズの町)郊外にある、スコット家伝来のボウヒル・ハウスである。ダグラス家伝来のドラムランリグ城ダンフリーズ・アンド・ガロウェイ)、モンタギュー家伝来のカントリー・ハウス、ボウトン・ハウス(ノーサンプトンシャー)も所有する。これら3つの邸宅は今も公爵家の住まいとして使用されており、時に一般公開される。公爵家はミッドロージアンダルキース城も所有している。(過去には多くの州で邸宅や城を数軒所有していた)。ロンドンでの邸宅として代々使用されるのは、モンタギュー・ハウスであった。

スコット・オブ・バクルー卿 (1606年)[編集]

バクルー伯 (1619年)[編集]

バクルー公 (第1期; 1663年)[編集]

バクルー公 (第2期; 1663年)[編集]