バガン
| バガン Bagan ပုဂံ |
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|---|---|
| 座標 : 北緯21度10分 東経94度53分 / 北緯21.167度 東経94.883度 | |
| 行政 | |
| 国 | |
| 管区 | |
| 市 | バガン Bagan |
| その他 | |
| 等時帯 | ミャンマー標準時 (UTC+6:30) |
バガン(ビルマ文字:ပုဂံ、ラテン文字表記:Bagan)はミャンマー・マンダレー管区にある地名で、旧名はパガン。カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールとともに、世界三大仏教遺跡のひとつと称されており、イラワジ川中流域の東岸の平野部一帯に、大小さまざまな仏教遺跡が林立している。バガンとは広くこの遺跡群の存在する地域を指し、ミャンマー屈指の仏教聖地である。その一部の城壁に囲まれたオールドバガンは考古学保護区に指定されている。点在するパゴダや寺院のほとんどは11世紀から13世紀に建てられたもので、大きいものや小さいもの、鮮やかな白色をしたものや赤茶色をしたものがある。仏塔の数は3000を超えるといわれている。
目次 |
歴史 [編集]
バガン遺跡は、16平方マイルのエリア内にある。建造物の大多数は西暦1000年代から1200年代に建てられたもので、当時のバガンは、最初のビルマ統一王朝であるパガン朝の都であった。西暦874年に、Pyinbya王が都をパガンに移した後に、主要な都市となった。しかし、それぞれの治世ごとに遷都することがビルマの慣習であったため、アノーヤター王の時代まで都は再び放棄されることとなった。
1057年, アノーヤター(アニルッダ)王はモン族の都であったタトゥン王国を征服し、パーリ語で書かれた三蔵の経典を取り戻した。仏教僧や、職人のほか、こうした文物は、バガンを宗教的、文化的な中心地に作り変えるために役立った。
低地ビルマの僧の助けを借りて、アノーヤターは上座部仏教の国教化を進め、上座部仏教の盛んなスリランカとも交流した。12世紀から13世紀になると、スリランカやインド、カンボジアのアンコール朝やタイからの仏僧や学生を引きつけ、パガンは仏教研究の国際的な中心地となった。 クビライの下賜品を断った後の1287年に、王朝はモンゴル人に滅ぼされた。その後の歴代君主によっても放棄され、おそらくモンゴル人の掠奪を受けた街は、政治的な中心としての地位を失っていったが、その後も仏教研究の場としては繁栄を続けた。
世界遺産 [編集]
ミャンマー政府の、バガンをユネスコの世界遺産として登録しようとする試みは失敗に終わった。これは国家平和発展評議会 (SPDC) が、元来の建築様式を無視し、元のものとは似つかない近代的な建材を使用し、無計画に遺跡のストゥーパ、寺院、建造物を修復してしまい、また軍事政権がゴルフコース、舗装された高速道路を建設したり、南西のMinnanthu近郊には高さ61mの展望台を建ててしまったためである。
寺院 [編集]
ツーリズム [編集]
ミャンマー政府の方針により、遺跡が集中するオールドバガン地区には、宿泊施設がほとんどない(以前はあったが移動させられた)。そのため、通常旅行者はオールドパガンの北側にあるニャウンウーか、南側にあるニューバガンの宿泊施設を利用することになる。ミャンマー各地(ヤンゴン、マンダレー、インレー湖方面)からの長距離バスは、ニャウンウーの町にあるバスターミナルより発着する。
姉妹都市 [編集]
関連項目 [編集]
ギャラリー [編集]
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バガン(ビルマ文字)
外部リンク [編集]
- Asian Historical Architecture - Bagan ネブラスカのConcordia UniversityのRobert D. Fiala教授によるサイト、英語
- Buddhist Architecture at Bagan シドニー大学のBob Hudsonによるサイト、英語
- ヤンゴン航空
