ハーバート・ヘンリー・デイヴィス・パース

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ハーバート・ヘンリー・デイヴィス・パース(Herbert Henry Davis Peirce, 1849年5月11日 - 1916年12月5日)は、アメリカ合衆国政治家外交官

生涯[編集]

1849年、ハーバード大学の数学教授ベンジャミン・パースとサラ・ハント・マイルズ (Sarah Hunt Mills) の息子として誕生[1]

1901年11月15日セオドア・ルーズベルト大統領からアメリカ合衆国第三国務次官補に任命され、翌11月16日に着任した[2]。上院休会中の指名であったため、1901年12月10日に改めて上院の承認を受けた。1906年6月22日まで同職を務めた。

1906年6月22日には同じくセオドア・ルーズベルト大統領から在ノルウェーアメリカ合衆国特命全権公使に任命された[3]。パースは1911年6月10日信任状を捧呈し、1913年10月4日まで同職を務めた。

1916年12月5日に死去[4]

参考文献[編集]

  1. ^ http://plato.stanford.edu/entries/peirce-benjamin/
  2. ^ http://www.state.gov/www/about_state/history/officers/tasec.html
  3. ^ http://www.state.gov/r/pa/ho/po/com/11064.htm
  4. ^ http://politicalgraveyard.com/bio/peckham-peisner.html#RKC1CY6ZV
公職
先代
トマス・ウィルバー・クリドラー
アメリカ合衆国第三国務次官補
1901年11月16日 - 1906年6月22日
次代
ハンティントン・ウィルソン
先代
チャールズ・グレイヴス
在ノルウェーアメリカ合衆国特命全権公使
1906年8月13日 - 1911年5月30日
次代
ロウリッツ・スウェンソン