ハンブルトニアン10

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ハンブルトニアン
品種 スタンダードブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1849年5月5日
死没 1876年3月27日
アブダラ
チャールズケントメア
生国 アメリカ合衆国
生産者 Jonas Seeley
馬主 William M. Rysdyk
競走成績
生涯成績 不出走
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ハンブルトニアンHambletonianHambletonian10Rysdyk's HambletonianMiller's Hambletonian1849年 - 1876年)は、スタンダードブレッド最大の根幹種牡馬。1849年にニューヨーク州で父アブダラ (Abdallah) と母チャールズケントメア (Charles Kent Mare) の間に生まれた。体高(肩までの高さ)は15.2ハンド(154.4センチメートル)ほど。18世紀末にイギリスで活躍したサラブレッドハンブルトニアンと区別するためハンブルトニアン10(ハンブルトニアンX)やリスダイクハンブルトニアン、ミラーズハンブルトニアンとも呼ばれている。

父アブダラはスタンダードブレッドだが、その父マンブリノ (Mambrino) はサラブレッドであり、さらに1788年にアメリカへ輸入されたイギリス生まれのメッセンジャー父系フライングチルダーズ系)へと遡ることができる。ハンブルトニアンはトロッター競走(繋駕速歩競走のひとつ)の大レース「ハンブルトニアン」の名前の由来となったが、このメッセンジャーもペーサー競走(繋駕速歩競走のひとつ)の大レース「メッセンジャーステークス」に名を残している。

当初まったく期待されていなかったため公式なレースには出走していない。トライアルレースで1マイル2分48秒のタイムを残してはいるが、これは現在の速歩競馬の水準と比較してかなり遅く、1879年に作られたスタンダードブレッドの基準に彼自身は合格できないほどである。しかし種牡馬としては活躍し、1851年から1875年までの24年間で1325頭もの産駒を残した。種牡馬となった産駒は130頭、繁殖牝馬となったのは80頭である。とくにその中のハッピーミィディアム (Happy Medium) 、ディクテイター (Dictator) 、アブダラ (Abdallah) 、ジョージワイクス (George Wikes) 、ハロルド (Harold) 、エレクショニア (Electioneer) が大種牡馬となり、直系子孫は大繁栄。現在の北米のスタンダードブレッドの99%以上の父方直系祖先となっている。そのためスタンダードブレッドにおいて始祖的な位置づけを持つ。

血統表[編集]

ハンブルトニアン血統フライングチルダーズ系 / Messenger3.4×4.4=31.25%) (血統表の出典)

Abdallah
鹿毛 1823年
スタンダードブレッド
父の父
Morris' Mambrino
鹿毛 1806年
サラブレッド (TB)
Messenger (TB) Mambrino
Mare by Turf
mare by Sour Crout (TB) Sour Crout
mare by Whirligiger
父の母
Amazonia
1818年
スタンダードブレッド
son of Messenger (TB) Messenger
不明
不明 不明
不明

Charles Kent's mare
鹿毛 1834年
スタンダードブレッド
Jary's Bellfounder
鹿毛 1816年
ノーフォークトロッター (NF)
Steven's Belfounder (NF) Wroot's Pretender
mare by Smuggler
Velocity (TB) Haphazard
Miss Hervey
母の母
One Eye
鹿毛 1815年
スタンダードブレッド (SB)
Bishop's Hambletonian (SB) Messenger
Pheasant
Silvertail (SB) Messenger
Black Jin

血統には諸説ある。また、上記血統表でスタンダードブレッドと表記している馬も便宜上そう表記しているだけで、当時そう呼ばれていたわけではない。