ハンフォード・マクナイダー

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ハンフォード・マクナイダー

ハンフォード・マクナイダー(Hanford MacNider, 1889年10月2日 - 1968年2月18日)は、アメリカ合衆国軍人外交官第一次世界大戦第二次世界大戦に参加し、ジャック・マクナイダー (Jack MacNider) という呼び名で知られた[1]共和党に所属し、1930年から1932年にかけて駐カナダ公使を務めた。

生い立ちと初期の経歴[編集]

1889年10月2日、マクナイダーはアイオワ州メイソンシティにおいて誕生した[1]。マクナイダーはマサチューセッツ州ミルトン・アカデミーで学び、ハーバード大学へ進学した[2]。マクナイダーは1911年にハーバード大学を卒業した[3]。マクナイダーは大学を卒業後、アイオワ州に帰郷した。マクナイダーは父親の銀行で簿記係として働いたが、仕事に強い熱意を持つことはできなかった[2]

第一次世界大戦[編集]

第一次世界大戦が開戦すると、マクナイダーは州兵に参加した。マクナイダーは少尉として任命を受けた[2]1916年、マクナイダーはパンチョ・ビリャ遠征に参加し、米墨国境での警備活動にあたった[3]1917年、マクナイダーはフランスへ派遣され、中尉として第二歩兵師団に所属した[2]1919年の帰国時には、中佐まで昇進していた[4]。マクナイダーはフランスでの戦績により、殊勲十字章を受勲した[4]。戦後はアイオワ州に戻り、1920年から1921年までアイオワ州在郷軍人会の代表を務めた[3]

陸軍次官補[編集]

陸軍次官補への就任宣誓

1925年10月カルビン・クーリッジ大統領はマクナイダーを陸軍次官補に起用した[5]。マクナイダーはドワイト・アイゼンハワー少佐を補佐役として従えた[2]1928年1月、マクナイダーの父親が死去すると、マクナイダーは父親の事業に関する後処理を行うため、陸軍次官補を辞任し、アイオワ州に帰郷した[4]。マクナイダーは共和党の大統領候補者の1人として名前が挙げられていたが、それに関する要請もすべて断った[2]

外交職[編集]

1930年、マクナイダーはハーバート・フーバー大統領により、駐カナダ公使に任命された[6]。マクナイダーは1932年に公使を辞任した。

大統領選挙[編集]

マクナイダーは共和党において、1932年の大統領選挙の副大統領候補を目指したが、失敗した。1940年、マクナイダーは共和党において、大統領候補ウェンデル・ウィルキーから副大統領候補として誘いを受けたが、マクナイダーはそれを辞退した。そしてマクナイダーは自ら大統領を目指したが、指名獲得には失敗した。またマクナイダーは、1953年ドワイト・アイゼンハワー大統領から閣僚職の提示を受けたが、辞退した。

第二次世界大戦[編集]

マクナイダーはアメリカ陸軍において准将まで昇進し、1951年の退役時に少将となった。さらに退役の後、中将へと昇進した。マクナイダーは第二次世界大戦においてニューギニアの戦いに参戦し、ブナ作戦部隊を指揮中に負傷した。回復後は第158連隊戦闘団の指揮を任された。

マクナイダーはパープルハート章を2回、青銅星章を2回、銀星章を3回、殊勲十字章を3回受章した。

1968年2月18日、マクナイダーはフロリダ州サラソータにおいて休暇中、肺水腫により死去した。

家族[編集]

父親はアイオワ州メイソンシティの著名な銀行家チャールズ・ヘンリー・マクナイダー (Charles Henry MacNider)、母親はメイ・ハンフォード (May Hanford) であった[1]

マクナイダーは1925年2月20日にマーガレット・マコーリー (Margaret McAuley) と結婚した[1]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

外交職
先代
ウィリアム・フィリップス
在カナダアメリカ合衆国特命全権公使
1930年8月29日 - 1932年8月15日
次代
ウォレン・デラノ・ロビンス