ハンネン・スワッファー

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ハンネン・スワッハー(英名:Hannen Swaffer, 1879年 - 1962年)は、イギリスのジャーナリスト

モーリス・バーバネルを霊媒としたシルバーバーチの霊言に注目。「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」を主宰し、自宅で交霊会を開き、霊言を記録するよう手配した。また、人脈を活かして各界の著名人をサークルに招待した。

スワッハーは常に明晰かつ飾らないスタイルで文章を書いた。また、どんなことも(教皇のように)重々しく話す癖のため―彼を深く満足させたことに―「The Pope of Fleet Street フリート街の法王」と呼ばれたという。毒舌と率直で辛辣な批評家として有名だった。

年譜[編集]

辛辣な批評のため、18歳で地元の劇場から出入り禁止にされる。後にはロンドンのイーストエンド(中央部西よりの地域)にある41の劇場のうち、12箇所で出入り禁止になったことを誇った。
ノースクリッフ卿は外見からスワッファーを「詩人」と呼んだという。
スワッファーはしばらく日曜紙「ウィークリー・ディスパッチ」の編集者をつとめた後、女性紙として刊行され、まったく売れていなかった「デイリー・ミラー」紙を、絵と写真を多用した新聞へと方向転換させ、成功させるのに一役買った。
  • 1922年 ノースクリッフ卿他界。
  • 1924年 「サンデー・タイムズ」紙の「プレイス・アンド・プレイヤー」欄担当後、数ヶ月間「ピープル」紙の編集者となる。
  • 1925年 物理霊媒George Valiantineの交霊会に出席し、直接談話現象でノースクリッフ卿の声を聞く。その話の内容が二人しか知り得ないものであったため、死後存続を確信。「Northcliffe's Return ノースクリッフの帰還」出版。
  • 1926年 「デイリー・エクスプレス」の演劇評論家となる。
この地位で彼は、彼の辛辣な率直さを目一杯楽しんだ。演劇界と出版界の「行き過ぎた米国風」だと見なしたものに対してキャンペーンを張ったため、ある米国女優に「米国の代表として」平手打ちされたこともある。

参考[編集]