ハンネス・シュナイダー

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1930年の訪日時

ハンネス・シュナイダードイツ語: Hannes Schneider, 本名:ヨハネス・シュナイダー (Johannes Schneider), 1890年 - 1955年4月25日)は、20世紀前半に活躍したオーストリアスキー講師である。「アルペンスキーの父」として知られる。

生涯[編集]

ハンネス・シュナイダーはオーストリアのシュトゥーベン・アム・アールベルク(Stuben am Arlberg)に生まれた。父はチーズ職人だった。1905年の冬に初めてスキーを本格的に学び始めた。早くも1907年にはサンクト・アントン及びサンクト・クリストフにてスキーインストラクターとなる。1920年の冬にはオーストリア初のスキー学校を立ち上げ、そこで後に『アールベルク・テクニック英語版』と呼ばれるようになるスキー技術の指導を行った。

第一次世界大戦中はオーストリア軍山岳兵部隊のスキー教官を勤め、戦後は再びサンクト・アントンに戻ってきた。

1930年には秩父宮雍仁親王の招待を受けて来日した。3カ月余りの滞在の間、野沢温泉をはじめとした各地でスキーの指導を行った。

1931年ドイツのドキュメンタリー映画の巨匠であるアーノルド・ファンク博士(Arnold Fanck)とともに、アールベルク・テクニックを集大成した映画スキーの驚異ドイツ語版フランス語版英語版』(Das Wunder des Schneeschuhs)を製作した。この映画によって彼のスキー技術は世界に広まった。後に、同名の書籍をアーノルド・ファンク博士と共著で出版している。シュナイダーは『スキーの驚異』のほか、スキーを題材にした映画15作品に出演している。映画では彼の名前がハンネス・シュナイダーと表記されたため、本名のヨハネスよりも愛称であるハンネスの方が知られることとなった。なお1926年には、出演作の撮影中にクレバスへ落ちかけ、危うく助かっている。

ナチス・ドイツによるオーストリア併合の後、シュナイダーはユダヤ人の友人を弁護し、ナチ運動に協力するスキー教師を解雇するなど、ナチ体制への協力を拒否した。そのため政治的な理由によって、1938年3月に逮捕されランデック刑務所へ収監される。各国から加えられた圧力により、彼は同年4月には釈放されるが、スキー教師としての免許をはく奪された。

1939年、家族とともにアメリカ亡命。スキー指導の拠点をニューハンプシャー州ノース・コンウェイに移した。第二次世界大戦中はアメリカ陸軍山岳兵部隊のスキー指導を行った。彼の息子ヘルベルトも同部隊に入隊している。戦後はアールベルクへ何回か里帰りしたが、65歳で死去するまでニューハンプシャー州のクランモア・マウンテンリゾートの発展に尽くし続けた。

外部リンク[編集]