ハンス・ヘルマン・フォン・カッテ

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ハンス・ヘルマン・フォン・カッテ

ハンス・ヘルマン・フォン・カッテ(Hans Hermann von Katte、1704年2月28日 - 1730年11月6日)は、プロイセン軍の軍人で、王太子フリードリヒ(後のフリードリヒ2世(フリードリッヒ大王))の親友にして側近であった。

1729年にフリードリヒの母方のハノーヴァー朝が治めるイギリス逃亡を手助けしようとした罪で、翌年斬首刑になった。

彼の裁判を巡っては一審で無期懲役の判決が出たが、王太子の父であるフリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (プロイセン王)が控訴して二審で死刑判決が出された。当時のプロイセンは進んだ司法制度を持ちヨーロッパで唯一、司法と政治が独立していた国であったが、国王から「この世からカッテが一人消えるか、司法が消えるか、どちらが良いか」と判事が脅迫されて、死刑判決を出したといわれている。

処刑[編集]

処刑されるカッテとそれを見届ける王太子フリードリヒ

彼は王太子が監禁されているキュストリンの塔の傍で処刑され、その様子は後世まで語り草になり、多くの小説、叙事詩、ドラマ、舞台作品などに登場している。

王太子が「カッテよ、この私を許してくれ!」と房の窓から叫ぶと、カッテは「私は殿下のために喜んで死にます」と従容し、王太子の目の前で斬首に処せられたという。王太子はその処刑を窓から見ているよう、父王から強制されたが正視できぬまま失神した。カッテの遺書には「私は国王陛下をお怨み申し上げません。殿下は今までどおり父上と母上を敬い、一刻も早く和解なさいますように。」と書かれていたと伝えられている。

彼の首を刎ねた処刑人の剣はカッテの剣(w:de:Katte-Richtschwert)と呼ばれ、ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルに現存している。