ハンス・ノイラート

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ハンス・ノイラート(Hans Neurath、1909年10月29日 - 2002年4月12日)はアメリカ合衆国生化学者タンパク質の研究の中心的存在だった。シアトルにあるワシントン大学生化学部の学部長を務めた。

人物[編集]

オーストリアウィーンで生まれ、1933年にウィーン大学から博士号を得た。その後ロンドンミネソタ大学で研究を行った。1938年にはデューク大学の教授に就任し、そこでタンパク質の物理化学の研究プログラムを作った。

研究[編集]

ノイラートはタンパク質の物理化学全般に興味を持って研究を行った。彼はタンパク質の構造や変性に関する論文を著し、ウィリアム・アストベリーによる初期のタンパク質のモデルの誤りを暴いた。

彼は常に注意深く、データの過大解釈は決してしなかった。彼の研究の主題は主にプロテアーゼであった。

著書・論文[編集]

ノイラートは生涯で400以上の論文を著した。また彼は2つのタンパク質科学の学術雑誌BiochemistryProtein Scienceを創刊し、1961年から1991年まで前者の、1991年から1998年まで後者の編集長を務めた。また古典的な参考書であるThe Proteins全3巻も編集した。

シアトルでの研究[編集]

ノイラートはワシントン大学に生化学部を作り、1950年から1975年に退職するまでそこの学部長を務めた。彼の学部からは沢山の著名な科学者を輩出し、その中にはエドヴィン・クレープスエドモンド・フィッシャーマーティン・ロッドベルという3人のノーベル生理学・医学賞受賞者も含まれる。彼はまたシアトルのフレッド・ハッチンソンがん研究センターでも非常勤の研究者として働いていた。

家族[編集]

ノイラートは41歳の時にスージー・スピッツァーと結婚した。彼には実の息子が1人と2人の義理の子供、3人の義理の孫がいる。

ノイラートはピアノを上手に演奏したが、ピアニストの友達にはかなわなかったため、演奏家の道を断念した。彼はまた山でハイキングやスキーをすることを趣味としていた。彼はシアトルで2002年に92歳で死去した。