ハンス・キュング

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ハンス・キュング(2009年3月撮影)

ハンス・キュングドイツ語: Hans Küng1928年3月19日 - )は、スイスカトリック神学者1970年ローマ教皇無謬論に異論を唱えたため、1980年バチカンから破門され、テュービンゲン大学を解雇された。

経歴[編集]

ローマグレゴリアン大学で神学や哲学を学び、その後もパリソルボンヌで学び続けた。1960年ドイツテュービンゲンにあるエバーハルト・カール大学テュービンゲンの神学教授になった。この時に後の教皇ベネディクト16世となるヨーゼフ・ラッツィンガーと同僚になる。1960年代になって、キュングは改革的な立場を示し始め、離婚や人工中絶を支持した。1963年の訪米の際に彼は『教会と自由』という題名の公演を行っている。

1962年から1965年にかけて、教皇ヨハネ23世パウロ6世とによって第2バチカン公会議が行われ、プロテスタント正教会マルクス主義との対話が推進された。ところが、1978年に当時社会主義国だったポーランドからヨハネ・パウロ2世が選出され、教会が保守的な傾向を取り始めたので、キュングは梯子を外される格好になった。1979年にキュングは教授資格を剥奪され、翌1980年に解雇された。キュングは教皇を一度も「ヨハネ・パウロ2世」と呼ばず、「教皇ボイティワ」と呼び続けた。ここに彼の怒りが込められている。

1981年に3ヶ月間、キュングはシカゴ大学で客員教授を務めた。在米中にノートルダム大学に招待された。

2005年になってからもキュングはイタリアやドイツで教皇ヨハネ・パウロ2世について批判的な文章を発表した。この時にも彼は教皇をボイティワと呼んだ。同年9月26日、キュングは教皇ベネディクト16世と会見した。

著作[編集]

  • ゆるぎなき権威?
  • キリスト教徒であることについて
  • 中国宗教とキリスト教の対話(人間科学叢書)
  • キリスト教と禅における歴史観の比較
  • 神は存在するか

など。