ハワイ出雲大社

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ハワイ出雲大社
Izumo Taishakyo Mission of Hawaii
IZUMO TAISHA-KYO MISSION 01.jpg
所在地 215 North Kukui Street Honolulu HI 96817-3951
位置 北緯21度18分55.9秒
西経157度51分39.6秒
主祭神 大國主大神、ハワイ産土神 
創建 1906年(明治39年)
本殿の様式 大社造
別名 出雲大社ハワイ分院
例祭 10月上旬日曜日
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ハワイ出雲大社(ハワイいづもたいしゃ Izumo Taishakyo Mission of Hawaii)はアメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市に鎮座する神社1885年(明治18年)より開始された日本からの移民によって1906年(明治39年)に創祀された。出雲大社(島根県)の分社として「出雲大社ハワイ分院」とも称す。

由緒・歴史[編集]

  • 1906年(明治39年) - 出雲大社教2代管長・千家尊愛(せんげたかあき)の命を受けた広島県出身の神職・宮王勝良がハワイに渡り、ホノルル市アアラレーン周辺において出雲信仰の布教を開始する。
  • 1907年(明治40年) - ダウンタウンのキング街とベレタニア街の三角地点(パラマ地域)を境内地とし、初めて教会所、神殿が竣功する。
  • 1909年(明治42年) - 出雲大社教より「出雲大社教布哇教会所」として正式に認可。マウイ島ハワイ島などにも教会所や講社が開設され、積極的に活動を展開する。
  • 1918年(大正7年) - 宮王勝良を初代分院長として「出雲大社教布哇分院」に昇格。翌年にはハワイ出雲大社教団の法的組織化がハワイ準州政府より認可される。
  • 1922年(大正11年) - 同地に本社を模した社殿が新築される。翌年、出雲大社教3代管長・千家尊有(せんげたかもち)ら一行をハワイに迎え、盛大な祝祭が斎行される。
  • 1935年(昭和10年) - 宮王勝良帰幽。日本で神職の資格を取得し、1931年よりハワイで奉仕していた次男・宮王重丸が2代分院長に就任。
  • 1941年(昭和16年) - 日本軍による真珠湾攻撃により、宮王重丸とその家族、分院役員らはFBIに身柄を拘束され、終戦の昭和20年まで米国本土に抑留される。抑留中に教団は解散。社殿などの財産はホノルル市郡政府に寄贈され、公園局と衛生局が管理した。
  • 1946年(昭和21年) - 前年末、抑留所より帰布した宮王重丸がヤング街の倉庫を改造して社殿とし、正月より神社としての活動を再開する。
  • 1952年(昭和27年) - 宮王重丸を原告とするハワイ出雲大社教団は1万人を超える署名を集め、社殿返還を求める請願書をホノルル市議会に提出。返還は満場一致で決議されたものの、公園局が返還を不服として以後も係争となる。
  • 1961年(昭和36年) - 6次に亙る返還運動の末、最終的に教団側が勝訴。ホノルル市郡政府より社殿の返還が認められる。
  • 1968年(昭和43年) - ククイ街の再開発計画に伴い、社殿は現在地に移転修復。遷座祭が執り行われる。翌年には千家達彦(せんげみちひこ)出雲大社教5代管長奉仕のもと「ハワイ出雲大社竣功祝祭並びに例大祭合併祭」が斎行される。
  • 1976年(昭和51年) - アメリカ合衆国建国200年を記念してハワイ巡業中の日本相撲協会力士により横綱土俵入り奉納される。
  • 1990年(平成 2年) - 社殿正面の鳥居脇にホノルル・広島両市の姉妹都市(1960年締結)を記念した“広島平和の鐘”がホノルル市郡政府により設置される。
  • 1993年(平成 5年) - 宮王重丸帰幽。現任者である天野大也氏が3代分院長に就任。
  • 2006年(平成18年) - 千家達彦・出雲大社教管長奉仕のもと「ハワイ出雲大社鎮座100周年記念大祭」が斎行される。[1][2]

その他[編集]

  • 社務所受付時間は午前8時30分から午後5時まで。正面ゲートが閉められるため早朝・夜間の参拝は出来ない。鎮座地周辺はホノルル市内でも治安の悪い地域であり、暗くなってから当地を訪れることは大変危険である。[3]祈願等は事前の予約を要する。
  • 主祭神の他に沖縄出身移民の氏神として沖縄神社・波上宮・普天満宮の分霊を1941年に合祀。オアフ島内各地に祀られていた恵比寿神社稲荷神社・ワイアナエ地域の氏神(ハワイ出雲大社の講社であった)・祖霊社も合祀している。[4]
  • 新年三ヶ日初詣にはハワイの地元の人々を中心に1万人を超える参拝者があり、先祖が日本人の人々ばかりでなく様々な人種の人々が訪れている。[5]
  • 毎年8月6日には“広島平和の鐘”において、仏教キリスト教ユダヤ教など他宗教の宗教者と共に世界平和への祈りが捧げられている。[6]

モヤモヤさまぁ~ず2との関わり[編集]

今までハワイ出雲大社は、ハワイを紹介する番組においてもあまり紹介されないマイナーな観光地だったが、2007年(平成19年)にテレビ東京製作の番組「モヤモヤさまぁ~ず2」のハワイ編にて現地コーディネーターの紹介により立ち寄る。その際、いろいろ突っ込みどころが多かった事と、何故ここに出雲大社(分社)があるのかを知る為に社務所に立ち寄り、出演者であるさまぁ~ずの2人と大江麻理子アナウンサーは神職と話す事になった。その時にハワイの歴史と出雲大社の関係を教わり、帰り際「視聴者用に」と神社のパンフレット(英語版)とオリジナルキャップをスタッフの分まで提供した。この人柄の良さに思わず「HAWAII」と書かれた御守を複数受け、さらには神主のあだ名として「ヌシカン(神主を業界用語風に逆さに呼んだ)」と三村マサカズが命名した[7]。失礼な呼び方ではあったが、当時の神職はそれに対して一切怒らず、大いに喜んでいた[8]

この寛大な態度と人の良さが功を奏し、番組の視聴者がハワイに訪れた際は必ず立ち寄るようになった事で、日本での知名度も格段にアップした。結果として参拝者が増え、日本からの参拝者専用のノートが置かれるようになり、更にはツアーに組み込まれるほどの人気スポットとなった。

その後、毎年のように番組でハワイに出向いては最初に挨拶に行き、訪れた日本の町工場で作った帽子(ギャラクシー賞とかモヤモヤさまぁ~ず2、ヌシカンと刺繍をしている)をプレゼントし、お返しに色違いのキャップを渡しあう事が恒例となっている。 また、御守授与所を設けるようになり、年を重ねるごとにバージョンアップしている。授与所増設の確認やモヤさまファンの近況報告が恒例となった。2011年(平成23年)にはヌシカンさんの登場シーンの画像を貼り付けたうちわ(ジャニーズのようなもの)を参拝者からプレゼントされている。

  • 2011年(平成23年)には新たに出雲から赴任した神職が紹介され、三村マサカズにより「アシスタントの神主」=「アシカンさん」と命名された。スキューバダイビングやゴルフをしたいと思っている旨を番組内で語った。
  • 番組内で以前、六本木の出雲大社東京分祠に立ち寄った際、神職さんがハワイ出雲大社の神職とも面識があり、ゴルフをする仲である事が判明した。

交通アクセス[編集]

  • ワイキキからTheBusで約25分。
    • 2番・13番で Hotel&River停留所にて下車、徒歩5分程度。
    • 19番・20番・42番・Bで Beretania & River停留所にて下車、徒歩5分程度。
  • アラモアナショッピングセンターから TheBusで約20分。
    • 19番・20番・42番・52番・53番・62番でBeretania&River停留所にて下車、徒歩5分程度。

脚注[編集]

  1. ^ 前田孝和『ハワイの神社史』大明堂、1999年p.149-182
  2. ^ Miyao, Richard T., ed.,Izumo Taishakyo Mission of Hawaii Centennial Anniversary: Saga of a Church in Hawaii 1906-2006,USA: Izumo Taishakyo Mission of Hawaii, 2006.p.76-93
  3. ^ HAWAII PACIFIC PRESS, March 1, 2014, Hawaii Pacific Press.p.7
  4. ^ IZUMO TAISHA NEWSLETTER, Spring 2012, Izumo Taishakyo Mission of Hawaii.p.4
  5. ^ Miyao, Richard T., ed., Izumo Taishakyo Mission of Hawaii Centennial Anniversary: Saga of a Church in Hawaii 1906-2006,USA: Izumo Taishakyo Mission of Hawaii, 2006.p.102-105
  6. ^ Miyao, Richard T., ed., Izumo Taishakyo Mission of Hawaii Centennial Anniversary: Saga of a Church in Hawaii 1906-2006,USA: Izumo Taishakyo Mission of Hawaii, 2006.p.111-113
  7. ^ ただし、この「ヌシカン」という呼び方を宮城県の神社の跡取り息子である狩野英孝は快く思っておらず、「ちゃんと神主と呼んでください」と抗議した事がある[いつ?][どこ?]
  8. ^ この事で、参拝者からも「ヌシカンさん」と呼ばれるようになったということも発表している。

参考文献[編集]

  • 前田孝和『ハワイの神社史』大明堂、1999年。
  • 出雲大社社務所『出雲大社由緒略記』、1984年。
  • IZUMO TAISHA NEWSLETTER, Spring 2012, Izumo Taishakyo Mission of Hawaii.
  • HAWAII PACIFIC PRESS, March 1, 2014, Hawaii Pacific Press.
  • Miyao, Richard T., ed.,Izumo Taishakyo Mission of Hawaii Centennial Anniversary: Saga of a Church in Hawaii 1906-2006,USA: Izumo Taishakyo Mission of Hawaii, 2006.