ハレー艦隊

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ハレー艦隊(ハレーかんたい Halley Armada)とは、ハレー彗星1986年地球接近時に打ち上げられた宇宙探査機群の通称である。英語名に従い、ハレーアルマダとも呼ばれる。複数の探査機が、順を追ってハレー彗星に近接観測するさまを艦隊になぞらえたことによる。

概要[編集]

多国の複数の宇宙探査機で同一天体を観測するものとしてはそれまでに類を見ない国際協力プロジェクトであり、各宇宙機関・探査機は観測分野を調整し、彗星観測にあたっている。先行する探査機は彗星核に最も接近するジオットの軌道修正に必要なデータを提供するための観測も担った。アメリカ航空宇宙局スペースシャトルより大気圏外観測を行う予定であったが、1986年1月のチャレンジャー号爆発事故の影響によりシャトルの運航が中止され、観測は取りやめとなった。

打ち上げ[編集]

  1. パイオニア7号:NASA,1966年8月17日デルタロケットで打ち上げ- 通例ハレー艦隊には数えられていない(参考)
  2. ISEE-3/ICE:NASA,1976年12月8日デルタロケットで打ち上げ
    主ミッション終了後にICEに改名し彗星探査に転用
    1982年06月~1983年12月,月スイングバイを行って軌道を変更し惑星軌道に移行
  3. ベガ1号:ソ連科学アカデミー/ソ連宇宙科学研究所(IKI),1984年12月15日,プロトンロケットで打ち上げ
  4. ベガ2号:ソ連科学アカデミー/IKI,1984年12月21日,プロトンロケットで打ち上げ
  5. さきがけ:宇宙科学研究所,1985年1月7日,M-3SIIロケットで打ち上げ
  6. ジオット:欧州宇宙機関,1985年7月2日,アリアン1ロケットで打ち上げ
  7. すいせい:宇宙科学研究所,1985年8月18日,M-3SIIロケットで打ち上げ
  8. SPARTAN-203:NASA,1986年1月28日,スペースシャトルで打ち上げ(失敗) - 通例ハレー艦隊には数えられていない(参考)

ハレー彗星への最接近と観測[編集]

  1. ベガ1号:ソ連,1986年3月6日最接近 8,889km 光学撮影・磁場プラズマ・ダスト観測など
  2. すいせい:宇宙科学研究所,1986年3月8日最接近 151,000km 太陽風観測・紫外線撮影
  3. ベガ2号:ソ連,1986年3月9日最接近 8,030km 光学撮影・磁場・プラズマ・ダスト観測など
  4. さきがけ:宇宙科学研究所,1986年3月11日最接近 6,990,000km プラズマ・磁場観測など
  5. ジオット:欧州宇宙機関,1986年3月14日最接近 600km 光学撮影・磁場・プラズマ・ダスト観測など
  6. パイオニア7号:アメリカ航空宇宙局,1986年3月20日最接近,12,300,000km。プラズマ・磁場観測など。
  7. ISEE-3/ICE:アメリカ航空宇宙局,1986年3月28日最接近,28,000,000km。プラズマ・磁場観測など。

各国の対応[編集]

ソ連[編集]

当時は冷戦の最中であり、ソ連の宇宙開発も秘密主義の下に置かれていたが、ハレー彗星の探査に関しては例外的に開放的な協力姿勢を見せ、2機の大型探査機には欧米の観測機器・技術が採用された。

  • ベガ1号(Vega 1)
  • ベガ2号(Vega 2)
両機は金星探査機も搭載しており、ハレー彗星に接近する前に金星に接近し、それぞれが金星大気にバルーンを投下した。ベガの名はロシア語で金星を表すネラと、ハレーを表すレーから取られた。

日本[編集]

日本の宇宙科学研究所は自主技術にこだわり、比較的独自路線で参加していた。宇宙開発事業団(NASDA)との事業の区分の為にロケットの大きさが制約された中で日本初の惑星間探査機打ち上げロケットM-3SIIを新たに開発し、当時不可能と言われていた全段固体燃料ロケットによる地球重力圏脱出を成功させたが、ペイロードの制約からソ連の探査機が3t前後であるのに対し日本のものは約140Kgと小型である。準同型機のさきがけすいせいの2機が製作され、先行するさきがけを試験機とし、その運用結果や取得したノウハウをすいせいの運用にフィードバックした。それぞれ異なる観測機器が搭載された。

  • さきがけ
  • すいせい

欧州[編集]

欧州宇宙機関は中型の探査機1機を打ち上げたが、欧州初の地球重力圏脱出ミッションであり、またハレー彗星のコマに突入し中心核を近距離から撮影するというハレー艦隊の中でも野心的なプロジェクトであった。欧州各国はこのほかソ連やアメリカの探査機にも協力しており、幅広くハレー艦隊に関わっていた。

  • ジオット(Giotto)

アメリカ[編集]

元々ハレー彗星の国際共同探査を提案したNASAだが、ハレー彗星の探査に十分な予算が付かず、当初予定されていたハレー彗星探査機HIM(Halley Intercept Mission)は財政難のため頓挫。結果的に他国と比べ一歩距離を置いて参加する形となった。新たにハレー彗星へ向かう探査機を打ち上げず、代わりに欧州と共同で運用していた探査機ISEE-3をICEに改名してハレー彗星探査に転用し、月スイングバイを利用した複雑な軌道変更を経てハレー彗星に向かわせた。また、1965年-1967年に打ち上げられ、4機体制で太陽周回軌道を網羅して惑星間環境の観測を行っていたパイオニア6号-9号のうち、6号、7号、8号が機能を維持しており、7号がハレー彗星まで1230万kmまで接近した。その他に、地球周回軌道からハレー彗星を観測する計画も予定されていた。

  • アイス(ICE:International Cometary Explorer)
ハレー彗星に接近する前の1985年9月にジャコビニ・ツィナー彗星にも接近していることから初の彗星探査機と言われている。
  • パイオニア7号
ICEより近く、1230万キロまでハレー彗星に接近し、太陽風により形成されたHe2+プラズマがハレー彗星から放出されるガスにより中和されHe+となる現象を発見したが、ハレー彗星観測を目的とした打ち上げや軌道変更を行っていないため、通常はハレー艦隊と呼ばれていない。
  • SPARTAN-203
スパルタン衛星はいくつか知られるが、STS-51-Lミッションに組み込まれたSPARTAN-203は特にハレー彗星の観測を目的とし、スパルタンハレーと呼ばれた。しかし打ち上げ時にスペースシャトルが爆発し、失敗に終わった。
  • ASTRO-1
STS-61-Eで使用される予定だった天体観測装置。上記の爆発事故の影響でハレー彗星接近中に打ち上げられることはなく、1990年にSTS-35で使用された。

SPARTAN-203とASTRO-1は他の探査機と違い、地球周回軌道から観測する計画であったため、無事に打ち上げられていた場合にハレー艦隊と呼ばれていたかどうかは不明。

その後の国際協力探査[編集]

ハレー艦隊は各国が太陽系探査を協力して実施する先駆けのケースとなったが、その後しばらくはハレー彗星ほどの本格的な国際協力体制は見られなかった。しかしこれを機に日欧が太陽系探査に進出したことや、冷戦の終結、予算の制限などにより、各国の探査で相互に配慮する様になった。2003年12月から翌年1月にかけて日欧米3か国の探査機群が相次いで火星を訪れた、いわゆるマーズラッシュの際には互いのデータを利用してより高精度の探査を行うことが提案されるなど、太陽系探査は協力体制が基本になっていく。そして2007年以降は中国インドも月・惑星の探査に進出しはじめ、その後の太陽系探査はハレー彗星以来の国際協力体制で臨む方向で話が進められている( 宇宙探査機#国際協力体制も参照)。

ハレー艦隊以降の主な惑星探査機群の事例
  • マーズラッシュ - 2003年12月からの2か月間で、3か国から着陸機を含む5機が火星を訪れた(うち2機失敗)。
  • 近年の月探査機群 - 2007年から2009年にかけて、日中印米4か国から子機を含め計9機の探査機群が月または月周回軌道に到達。特に2008年11月から2009年10月までの1年間には、うち6機の探査機・衝突機が相次いで月面に衝突した。
  • あかつきピギーバック衛星群 - 2010年にH-IIAロケット17号機で打ち上げられた数機の日本の宇宙機のうち(2機のDCAMを含む)5機が12月頃に相次いで金星付近を通過したと考えられている(うち2機は確認)。その際あかつきが金星周回軌道投入に成功していれば先行する欧州の探査機との共同探査も検討されていた[1]

脚注・出典[編集]

関連項目[編集]