ハリス (菓子メーカー)

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ハリス株式会社(小田原工場)

ハリス(Haris)は、かつて存在した日本の菓子製造販売会社。戦後の一時期、チョコレートチューインガムなどの製造で、カバヤシスコフルタ前田製菓などと共によく知られた。

目次

[編集] 概要

森秋廣(もり あきひろ)が満州(中国東北部)から引き揚げて1952年昭和27年)に大阪で起業、子ども向け菓子を多く開発・発売し、一時は1千人の従業員を擁したが、やがて衰退して、1964年(昭和39年)にカネボウ(現クラシエフーズ)に吸収された。社名は、幕末の初代駐日公使タウンゼント・ハリスから採られ、ハリスの連想からリスをシンボルマークとした。腹話術川上のぼるの「ハリス坊や」を使った“一等賞~”という言葉は人口に膾炙した。今に続くコリスは関係会社である。

[編集] 沿革

[編集] 草創期

ハリス株式会社創業者で「日本のエジソン」ともいわれた森秋廣は、1907年明治40年)香川県三豊郡に生まれた。家は讃岐三白といわれる米・塩・砂糖を広く商う素封家で、屋号を森又商会といった。森は神戸の外国語学校を卒業し、21歳で下関において、当時日本領であった朝鮮満州と貿易をする事業を始めた。大陸ではキャラメルビスケットなどの需要が多く、これらの菓子を持ち前のアイデアで新方法(例えば子ども向けにキャラメルを1個ずつで売るバラキャラなど)で商ったため、大成功を収めた(これらが後の菓子メーカーのハリス創業へと繋がった)。しかし十五年戦争が激しくなるにつれて統制が始まり、企業も統合整理されていったので、森永製菓への合併を機に廃業して満州へ渡り、関東軍南満州鉄道などに乾パンを納める日満食品工廠を立ち上げ、“満州の風雲児”と呼ばれて、大いに発展した。

[編集] 戦後~チョコレート発売

敗戦後、侵入してきた赤軍や、その後の中国軍にも、請われるままに不足していた乾パンを提供していたが、全てを捨てて1946年(昭和21年)に引き揚げ、知遇を得ていたカネボウの敷地であった大阪市都島区高倉町で森又商会を再建した。食材は極端に不足していたが、持前のアイデアを発揮して、グリコースに香料を加えてチョコレートを作り、1948年(昭和23年)に発売した。森は中国で訛って“モーリス”と呼ばれていたが,この名前の商品は既にあったため、語感が似ている初代駐日公使タウンゼント・ハリスからとって“ハリスチョコレート”とネーミングした。ハリスチョコレートは代用食であったが、“科学された菓子”として、甘いものに飢えていた人々に受け入れられ、やがてカネボウの3千の工場を得て、大々的に事業展開した。また、当時国民病でもあった回虫の駆除薬を大阪大学薬理学教室の協力を得て、新しく椿の実やの茎から抽出した成分を使って開発し、菓子のイメージで“ハリス アスミン”として発売した。

[編集] チューインガム誕生~全盛期

そしてハリスの代名詞ともなるチューインガムを開発する。チューインガムは既に30年前、米国リグレー社en:Wrigley Company)で天然チクルを使ったものがあり、輸入され、国産化もされていたが,本格的に販売していたのはロッテなどのわずか2~3社だけであった。そこで森は、近くにあったカネボウの研究室でGPチクル(酢酸ビニール)を見て、これを使って代用のチューインガムができないかを考え、温度に敏感な酢酸ビニールを改良し、また香料を混ぜてリグレー社のものに匹敵する品質のものを作り、数分の1の価格で1951年(昭和26年)に発売した。このハリスチューインガムは大好評を博し、菓子業界空前のヒット商品と言われた。森は推されて日本菓子工業会副会長の要職に就き、1952年(昭和27年)に社名もハリス株式会社に変えた。ハリスからの連想でリスをシンボルマークとし、本社入口にはリスの飼育ケージを作った。

しかし好事魔多し、チューインガムに対し、「歯に悪い」「栄養にならない」さらには「噛む姿が行儀悪い」などの誹謗中傷が始まった。そこでチューインガムのイメージを上げるため、新聞広告やラジオコマーシャルでPRを開始した。そして朝日放送の看板番組となった「ハリスクイズ」の司会者として、当時京都学芸大学(現京都教育大学)の学生で、腹話術などで活躍していた川上のぼるを起用した。川上に腹話術人形の「ハリス坊や」を持たせ、クイズ正解者にハリス坊やが白目を出して“一等賞~”と声を張り上げる姿は流行した。

1956年(昭和31年)には主人公を「ハリス少年」と名付け、シェパードが活躍する子ども向けウエスタンTV映画『名犬リンチンチン』の提供を始めた。また1958年(昭和33年)には、業界第1号となるチューインガムの自動販売機を国栄機械製作所製として開発し、普及させた。「GPミントガム」「グリーンガム」「コーヒーガム」「ニッキガム」「ビックガム」「フーセンハリスガム」「ヤングハリスガム」「スペアミントガム」「ノーブルミントガム」「デリシャスジュースガム」「プレイガム」「ハイフレッシュガム」などのチューンガムを次々と開発・発売し、1960年(昭和35年)にはチューインガムだけで年間売上45億円(現物価換算500億円程度)、シェア40%、従業員1000人に拡大していった。この頃、森は推されて日本チューインガム協会の会長に就き、さらにGPチクルを増産するため、また関東進出もあって、神奈川県小田原市今井(現寿町)に敷地1.5万坪、5階建ての小田原工場を建てた。

[編集] カネボウへの吸収統合とその後

しかし、この頃から森は病魔に侵されて指揮が執れなくなり、また工場が台風被害を受けるなどしたため、売上げが減少し、1964年(昭和39年)、本社に隣接するカネボウに吸収統合された。カネボウは、戦前には日本最大の企業であったが繊維事業が衰退し、新分野(グレーター・カネボウ計画)として食品事業進出を目論んでいたため、ハリスを受け入れ、カネボウハリス株式会社を設立し事業継承した。戦後の一時期、森永製菓明治製菓など老舗の菓子メーカーに伍して、森秋廣の積極性・創造性で急成長したハリスは、こうして消滅した。

カネボウハリスは、渡辺製菓などを買収し、カネボウ食品→ベルフーズ→カネボウフーズと変遷をたどり、2007年(平成19年)に現社名のクラシエフーズへ改称した。

[編集] 関連項目

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