ハビアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ハビアン[1](Fabian、1565年永禄8年) - 1621年元和7年1月))は、日本人のイエズス会修道士(イルマン)。後に棄教キリスト教弾圧に協力した。キリシタンの受容と排斥を積極的に行ったこの時代の象徴的知識人。またキリスト教と他の宗教を比較した著作を残したことで注目される。[2]不干斎 巴鼻庵(ふかんさい はびあん)と号した。

本名不詳。加賀国または越中国の生まれ。母ジョアンナは北政所(おね)の侍女となった。始めは大徳寺の禅僧で、恵俊または恵春と称したとされる。

1583年天正11年)京都で母とともに受洗高槻、大坂のセミナリヨで学び、1586年(天正14年)、修道士となってイエズス会に入会する。豊臣秀吉伴天連追放令を逃れて山口長崎、加津佐などを経て、天草コレジオで日本語を教える。同地で『天草本平家物語』を編纂する。また自身の経験により『仏法』を著し、これより後はキリスト教を擁護し仏教を批判する論陣を張った。1603年慶長8年)京都に戻る。1605年(慶長10年)、護教論書『妙貞問答』を著す。1606年(慶長11年)には林羅山と論争し、当時支持されつつあった地球球体説地動説を主張した。

しかし1608年(慶長13年)、修道女と駆け落ちして棄教し、1614年(慶長19年)には長崎でキリシタン迫害に協力するに至った。晩年の1620年(元和6年)にはキリスト教批判書『破提宇子』(は・だいうす:デウスを破却する意)を著した。

[編集]

  1. ^ 当時の標準的発音ではファビアンである。
  2. ^ 『不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者』(釈徹宗、新潮選書、2009年)