ハット・リバー王国
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ハット・リバー王国(Hutt River Province Principality、正式名称:ハット・リバー・プロビンス公国)とは、レオナード・ケイスリー (Leonard Casley) が「独立国」と主張する、オーストラリア西部の広大な小麦畑を中心とした地域である。
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| 国の標語 : God bless the Prince of Hutt River Province (英語: 神がハットリバー公を祝福しますように) |
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| 公用語 | 英語 | ||||
| 君主 | レオナード・ケイスリー公(自称) | ||||
| 面積 | 74km² | ||||
| 人口 -総人口(2004年) -人口密度 |
25人 0.3人/km² |
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| 独立 日付 |
「独立宣言」日 1970年4月21日 |
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| 通貨 | ハットリバー・ドル (オーストラリア・ドルと等価) |
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| 標準時 | UTC+8 | ||||
| 国歌 | 神がハットリバー公を祝福しますように(標語と同じ) | ||||
| CcTLD | 無し | ||||
| 国際電話番号 | 不明 | ||||
目次 |
[編集] 経緯
この地域を所有しているレオナード・ケイスリーは、オーストラリア連邦政府に対し独立を宣言して、自ら「レオナード公」と名乗っている。レオナードが「独立」を決意したのは、オーストラリア政府が小麦買い付けを制限する政策をとったときである。
自身が所有する土地74平方キロメートルを「ハット・リバー王国」と名づけ、独立した。王国の「国民」は、自分の家族と農場の使用人20人。
1970年、オーストラリア政府に対して正式に独立を宣言。4月21日を王国の記念日として体制を整えはじめる。紙幣、切手を発行し、シャーリー夫人を大公妃にし、3人の息子を貴族としたうえで、郵政大臣、財務大臣、外務大臣にした。
このような経緯や独立国を自称する立場のため、当然オーストラリアに税金を納めていない。
[編集] オーストラリア政府の反応
オーストラリア政府としては「レオナード公」は単なる農場主、「皇太子」をしている息子は一介のビジネスマンであると考えている。時には政府議会で言及されることもあるが、あまり意味のある内容とは言い難く、税金を支払っていないことを問題視しているだけのようでもある。郵便は公式には届かないはずであるが、実際には届き、王国のスタンプを押した郵便はきちんと発送されるにもかかわらず、オーストラリア政府には税金を払っていない。
基本的にオーストラリア政府は「王国」のあらゆる行い、例えば無許可建築、コイン鋳造、大学設立などを無視しているが、一部のオーストラリア国民は興味本位で見守っているようである。政府は、個人所有地の中の事であるとして法的な衝突を避けているようにも見える。

