ハインリヒ・オスター

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博士(Doctor)
ハインリヒ・オスター
Heinrich Oster
アメリカ陸軍に逮捕された際のマグショット
生誕 1878年5月9日
ドイツの旗 ドイツ帝国 エルザス=ロートリンゲンストラスブール
死没 1954年10月29日(76歳)
ドイツの旗 ドイツ エッセン
教育 化学博士号(Doctorate in chemistry)
出身校 ベルリン=シャルロッテンブルク工科大学
フリードリヒ・ヴィルヘルム大学
職業 化学者、企業役員
雇用者 IGファルベン
政党 NSDAP(ナチ党)
政治運動 親衛隊(SS)
罪名 略奪および文書毀棄(Plunder and spoliation)
有罪判決 IGファルベン裁判英語版における有罪判決。2年以下の懲役。

ハインリヒ・オスター(Heinrich Oster、1878年5月9日 - 1954年10月29日)は、ドイツ化学者BASFIGファルベンなど、いくつかの大手企業にて役員を務めた。第二次世界大戦後、ナチ戦犯の1人として逮捕された。

若年期[編集]

ハインリヒ・オスターは軍人の息子としてドイツ帝国エルザス=ロートリンゲンストラスブールに生まれた。1898年には陸軍に志願して兵役を終え、その後ベルリン=シャルロッテンブルク工科大学フリードリヒ・ヴィルヘルム大学にて化学を専攻し、1905年には博士号を取得した[1]。その後はアグフアに就職するが、1914年に第一次世界大戦が勃発すると退職して陸軍に戻った[1]。開戦後まもなく負傷して左目を失い、以後はアルザスの陸軍司令部に勤務した。この頃、BASFとの軍需品に関する取引を担当している[1]

IGファルベン[編集]

敗戦後、オスターはBASFの正規職員として雇用され次長(deputy director)の職につき、1921年には取締役会の一員となった[1]。1926年、オスターは親会社IGファルベンの執行役会(Vorstand)に代理委員として名を連ね、労働委員会議長や肥料・火薬等取り扱い部門専務などのいくつかのポストに付いた[1] 。1931年、IGファルベン執行役会の正規委員に昇格する[1]

ナチ政権下[編集]

オスターは国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチ党)の躍進を予測し、同党の総裁アドルフ・ヒトラーへの支援を最初に訴えたIGファルベン幹部の1人だった[2]。1935年から1939年にかけて親衛隊(SS)の主要な後援者の1人となり、彼自身も名誉将校たる階級と黒い制服を受け取っている[1]。1939年、一級戦功十字章を受章。ただし、彼がNSDAPの正規党員になるのは1940年になってからである[1]

戦後[編集]

1946年、ドイツに進駐したアメリカ軍によって逮捕され、翌年にはIGファルベン裁判英語版の中で戦犯として起訴された。1948年、「略奪および文書毀棄」(Plunder and spoliation)の罪で2年以下の懲役が言い渡される。1949年に釈放された後、ゲレンベルク株式会社(Gelsenberg AG)の役員に就任した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i Heinrich Oster (1878–1954)
  2. ^ Diarmuid Jeffreys, Hell's Cartel: IG Farben and the Making of Hitler's War Machine, Bloomsbury, 2009, p. 317