ハインリッヒ・ハイネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 文学 |
|---|
![]() |
| ポータル |
| 各国の文学 記事総覧 |
| 出版社・文芸雑誌 文学賞 |
| 作家 |
| 詩人・小説家 その他作家 |
ハインリッヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine, フランス語の発音はアンリ・エーヌ1797年12月13日 -1856年2月17日)は、ドイツの著名な詩人、作家、ジャーナリスト。
文学思潮の流れの中ではロマン主義に属し、また同時にそれを乗り越えたともいわれている。日常的な言葉で文学を語り、創作し、文芸記事を新聞、雑誌に寄稿、紀行も残している(『ハルツ紀行』など)。ドイツの作家、詩人の中で他国語に最も多く翻訳された人ともいわれている。
ドイツでは各地の多くの通りに彼の名がつけられ、またデュッセルドルフのハインリヒ・ハイネ大学は、彼の名にちなんで命名された。
ハイネは「書物を焼く国は、やがてその国民も焼くであろう」と述べていたが、ナチス政権時代にはハイネの作品が実際に燃やされた。
目次 |
[編集] 経歴
ドイツ・デュッセルドルフに、ユダヤ人であったザームゾン・ハイネ(Samson Heine)とベティ・フォン・ゲルデルン(Betty von Geldern)の子として生まれる。本名ハリー・ハイネ(Harry Heine)。ハイネ幼少の頃のデュッセルドルフは一時的にフランス革命やナポレオンによってフランス統治下にあり、ハイネ自身はそれによってフランスに親しみを持ったと後に回顧している。
青年期は叔父であるザロモン・ハイネのいるハンブルクへ商人修行に出されたが、叔父の援助で作った「ハリー・ハイネ商会」を経営するも一年足らずで潰してしまう。それ以降は法学士になるべく大学へ通うことになる。本来なら法学を学ぶべきであったが、その大学生活は文学者としてのはじめの一歩を意味するものでもあった。
1819年、ボン大学に入学。そこでシュレーゲルと出会い、戯曲『アルマンゾル』や文学評論を執筆するも、一年程度で退学。その後ゲッティンゲン大学に再入学するも、決闘沙汰を起こして退学。ベルリン大学も中途で退学し、再び戻ったゲッティンゲン大学で1825年に法学士となる。元々ユダヤ教徒であったが、この頃、就職の便宜のためキリスト教(プロテスタント)に改宗した。改宗後の名前がChristian Johann Heinrich である。
1830年7月のフランス7月革命に影響され、1831年に幼少の頃から憧れであったフランスのパリへ移住。名前もフランス語風にアンリ・エーヌを名乗った。1835年、ドイツ連邦議会による青年ドイツ派の出版物に対する発禁処分により、ハイネの著作も影響を受けた。その後、病気や貧困に苦しみながら多くの詩集や評論を書き続けた。フランス移住後ももっぱら叔父ザロモンからの財政的援助に頼るという生活であった。
[編集] 政治思想
1840年の著作『Ludwig Börne (ルートヴィヒ・ベルネ)』中に「宗教は救いのない、苦しむ人々のための、精神的な阿片である」とあり、後にカール・マルクスの著作『ヘーゲル法哲学批判序論』によって有名になる言葉の引用元と考えられている[1]。
フランス在住時代はサン=シモンの思想に影響を受けたとされる。後にマルクスと知り合うものの、思想的な理解の深さという点では疑問視される。
[編集] 作品
- Gedichte, 1821(『詩集』)
- Tragödien, nebst einem lyrischen Intermezzo, 1823
- Reisebilder, 1826-31(『旅の絵本』)
- Die Harzreise, 1826(『ハルツ紀行』)
- Ideen, das Buch le Grand, 1827
- Englische Fragmente, 1827(『イギリス断章』)
- Buch der Lieder, 1827年(詩集『歌の本』:「帰郷」節の2つ目の詩に有名なローレライ伝説詩がある。また、シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」もこの中の「帰郷」からとられたし、シューマンの歌曲集「詩人の恋」も、この中の「抒情的間奏曲」からとられるなど、ロマン派の作曲家たちにも大きな影響を与えた。)
- Französische Zustände, 1833(『フランスの現状』)
- Zur Geschichte der neueren schönen Literatur in Deutschland, 1833
- Die romantische Schule, 1836
- Der Tanhaeuser-Eine Legende1836年(詩『タンホイザー伝説』:オペラ『タンホイザー』誕生のきっかけとなった。)
- Der Salon, 1836-40
- Über Ludwig Börne, 1840
- Neue Gedichte, 1844 - New Poems
- Deutschland. Ein Wintermärchen, 1844 - Germany
- Atta Troll. Ein Sommernachtstraum, 1847
- Romanzero, 1851
- Der Doktor Faust, 1851年(ゲオルグ・ファウストが伝説化されたヨハネス・ファウスト博士についてのバレエ脚本)
- Les Dieux en Exil, 1853
- Die Harzreise, 1853
- Lutezia, 1854
- Vermischte Schriften, 1854
- Letzte Gedichte und Gedanken, 1869
- Sämtliche Werke, 1887-90 (7 Vols.)
- Sämtliche Werke, 1910-20
- Sämtliche Werke, 1925-30
- Werke und Briefe, 1961-64
- Sämtliche Schriften, 1968
[編集] ハイネの詩による音楽作品
- 詩人の恋(シューマンの歌曲集)
- リーダークライス作品24(シューマンの歌曲集)
- 二人の擲弾兵(シューマンの歌曲)
- 白鳥の歌(シューベルトの歌曲集、14曲中6曲がハイネの詩による)
- ウィリアム・ラトクリフ(キュイのオペラ、ハイネの悲劇を原作とする)
[編集] ハイネの一族からの著名人
- ジーモン・フォン・ゲルデルン Simon von Geldern (1720-1774) - 作家・旅行家(母方)
- ザーロモン・ハイネ Salomon Heine - 銀行家、兄
- マクシミリアーン・ハイネ Maxililian Heine (1805/1807-1879) - ドイツの医師、弟
- グスタフ・ハイネ=フォン・ゲルデルン Gustav Heine von Geldern (1812-1886)、オーストリアの政治記者、弟
- ローベルト・フォン・ハイネ=ゲルデルン Robert von Heine-Geldern (1885-1968)、オーストリアの民族学者・古代史家
[編集] 外部リンク
- プロジェクト・グーテンベルクにおける Heinrich Heineの作品
- "Ihr Lieder! Ihr meine guten Lieder!" A guide to musical settings for one or two voices of the poetry of Heinrich Heine (1797-1856) by Peter W. Shea.
- Heinrich-Heine-Gesellschaft e.V.
- Heinrich-Heine-Institut
- Heinrich-Heine-Universität Düsseldorf
- Complete works of Heine online (in German)
- Selected English translations online
- Art of the States: The Resounding Lyre Musical setting of Heine's poem "Halleluja"]
- ハインリッヒ・ハイネ:作家別作品リスト(青空文庫)



