ノート:B-29 (航空機)

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話題[編集]

ハンプ越えにより燃料を輸送した中国本土からの八幡製鉄所爆撃のことも書いていただければすごくうれしい。0null0 07:16 2004年5月30日 (UTC)

こんばんわ、最近加筆したMiya.mです。上記の内容さすが戦記にくわしい0null0さんならではのご意見ですね。私にとってB-29による中国本土からの九州爆撃は『聞いたことはあるが、実際はよく分からない』領域です。今後もいろいろご教示願います。Miya.m 11:40 2004年5月31日 (UTC)

いえいえ(詳しくないので恥ずかしい)。アメリカがどうしてもマリアナ諸島をとらなければならなかった理由の一つとしてこれが書かれるとうれしいというのが理由です。ハイ。0null0 11:47 2004年5月31日 (UTC)

過給器の蛇足について[編集]

「排気タービンを持たない日本の機械式の加給気の迎撃機は、高空の薄い空気の中ではエンジンの出力が極端に落ちる機種が多かった。」 とありますが、機械式過給器であっても、インタークーラー付2段2速式を搭載したマーリン61系など非常に優れた高々度性能を出していますので、機械式過給器が高々度性能を低下させたと読み取れる記述は改めた方が良いと思います・・・ 日本が高々度性能に優れた過給器(排気タービン・機械式によらず)を搭載した量産エンジンを作れなかったわけですから・・・ そして仮に高性能な過給器付エンジンを量産できても、燃料の質が悪ければ十分な性能は望めません。日本機の高空性能を持ち出すと、その要因は多岐にわたる複合的な物になってきます。したがってこの段落では、高空性能の低い日本機というレベルの記述に留めるのが適当かと思います。221.171.157.156 2007年6月9日 (土) 04:53 (UTC)[返信]

正確にはそのとおりなんですけど、排気タービン+ハイオク燃料がより正確であり、 質の悪い燃料でも、排気タービンがあれば、そこそこ行けたというのは、技術的常識であり、「誉」も最終的には燃料の質のためにその構造を変えているから、それだけでは正確とは言いにくいかも。今出川 2007年10月9日 (火) 04:22 (UTC)[返信]

紺碧の艦隊について[編集]

確かにガンシップ仕様は登場しますが『紺碧』でガンシップ仕様を使ったのは米空軍です。恐らく、『新・旭日』の亀光III型と混同しているのでは?--書庫 2007年5月27日 (日) 12:07 (UTC)[返信]

2005年12月30日の加筆について[編集]

2005年12月30日 (金) 03:33 61.122.217.180さんの編集について:

  • >最初から、日本本土への長距離戦略爆撃を想定して設計された。

プロジェクトAは長距離-戦略爆撃を想定した計画ですが、太平洋戦争開戦前であり、設計時に公式に「日本本土爆撃」を想定したとはされていないはずです。設計意図に対日戦が含まれていると思いますが、断定的な表現は誤解を生みかねません

  • >総計17万トンの爆弾(焼夷弾が大部分)を東京大阪をはじめ、日本各地の都市に対して絨毯的に投下

とされましたが、私の知る限り、爆弾投下量17万トンには焼夷弾は含まれていないはずです。17万トンの大部分が焼夷弾という情報のソースはどちらでしょうか?

  • >日本軍の迎撃よりエンジン故障による墜落や飛行中止などの損害のほうが多いくらいであったといわれる。

とありますが、「日本軍の迎撃」より「墜落や飛行中止などの損害の方が多いくらいであった」というのは、どういう情報ソースによるものでしょうか? 日本の2000馬力エンジン(誉)でそういう話があったことはよく聞きます。ライトR-3350は、信頼性の高いエンジンで、その発展型が戦後DC-7やコンステレーションなどの旅客機にも採用されています。(故障が多発してよく落ちるようなエンジンを民間旅客機に採用することは無いはずです)

上記3点について、出版物で言及されたものを見たことが私はありません。 また、B29の損害と硫黄島の戦略的位置づけについて、誤解を生みかねない記述になってしまったのではないかと危惧しています。--Miya.m 2005年12月31日 (土) 13:01 (UTC)[返信]

Miya.m様、ご指摘有難うございました。第1の点に関しては、当方の言葉足らずで誤解があったようですが、全面的に間違いとは思えません。第2、第3の点についても、余りに意外なご指摘で、かえって驚きました。ただ、言い訳するつもりはありませんが、当方は職場のパソコンで休み時間にしか編集・執筆作業ができませんので、今すぐ返答致しかねる状況です(自宅にパソコンがありません)。詳しい回答は来週以降とさせていただきたく、ご了承下さい。61.122.217.180 2006年1月4日 (水) 08:51 (UTC)[返信]

Miya.m さんの指摘一点目はその通りだと思います。二点目についてですが 17万トンには焼夷弾を含むという資料もあり、また17万トンは日本本土に投下された爆弾の総量(B-29 以外によるものも含む)とする資料もあります。三点目については「エンジン故障による墜落や飛行中止などの損害の方が多いくらいであった」と言えるほどであったかは分かりませんがライトR-3350 は他のエンジンに比較してデリケートであったのは事実だと思いますし、開発過程においては開発中止になりかねない状態だったとも言います。B-29 のトラブルの主因は R-3350 であり、「信頼性の高いエンジンで」と評価できる状態ではなかったのでは? --61.24.43.84 2006年1月7日 (土) 02:30 (UTC)[返信]
ここのHPがよくかけてますね。他の資料と合わせて、少なくとも、開発からしばらくはライトR-3350のエンジン故障は頻発したようです。戦争末期以降は徐々に信頼性が向上したみたいですので、投入初期はともかく、戦争全体ではエンジン故障による損失が相対的に多かったかどうかは、数字を挙げて確認しないと書けないでしょう。--Los688 2006年1月7日 (土) 05:03 (UTC)[返信]
こんばんわMiya.mです。61.24.43.84さん、Los688 さん、詳細な調査ありがとうございます。私の方も調査不足でした。確かにライトR-3350の初期は信頼性の高いエンジンではなかったようですね。皆さんの調査の結果を元にさらに良い記事にしていただきますようお願いします。Miya.m 2006年1月7日 (土) 10:32 (UTC)[返信]

Miya.m様へ。回答が遅れて申し訳ありませんでした。時間が取れませんので、ごく簡単に回答させていただきます。第1の点については省略させて下さい。第2の点については、日本本土への投弾量17万トン(16万トンとする説もあり)に焼夷弾が含まれていないと言う意見は今回初めて見たもので、当方こそ、そのような珍説(失礼ながら、正に珍説と言うしかありません)の出所をお教え願いたいくらいです。第二次世界大戦時の日本空襲について書いた物には、は、『日本の古都はなぜ空襲を免れたか(以下『古都』と略称)』(吉田守男:朝日文庫)・『B‐29』(カール=バーガー:サンケイ出版)・『東京大空襲』(早乙女勝元:岩波新書)その他多くの書籍があり、確かに「投弾量16~17万トンに焼夷弾も含む」と記したものは見当たりませんが、それは、投弾量に焼夷弾を含めるのは全く当たり前で、わざわざ断る必要が無いからです。冗長を避けるため、かつ限られた時間しかないので、『古都』の139ページを引用します。

「(3月10日の東京大空襲以降の、本土への無差別爆撃が本格化した時期には)B29が搭載した爆弾の約70パーセントが焼夷弾爆撃に用いられ、約22パーセントが精密爆撃に用いられた」

貴殿のような戦史に詳しい方が、まさか「爆弾」とは爆薬を用いて目標を破壊する破壊弾(爆裂弾)のみを意味するのだと思ってはおられますまい。現在はともかく、第二次大戦史にては、爆弾という語は破壊弾と焼夷弾の両方を意味します。仮に17万トンすべてが爆裂弾だったとすると大変なことになります。本土には爆裂弾と共に大量の焼夷弾が投下されたのは間違いないのですから、「総投弾量」は17万トンをはるかに越えるものだったことになります。『古都』によれば3倍以上ですが、うんと少なく見積もって半々ずつだったとしても、総量は34万トンになります。実際には小型機によるものも少しありますので、B29によるものは15万トンくらいか。これを2倍して30万トンと考えましょう。B29の爆弾搭載量を最大限の6トンとしても、30万トンを投弾するのに何機必要か。50000機です。これを、B29の空襲が始まった1944年11月から終戦までの270日で割ると、1日平均出撃機数は185機。だが実際には(単機による撹乱や偵察は別として)B29が編隊を組んで爆撃行に出たのは平均5日に1回くらいだったようです。すると、B29は1回につき900機以上の物凄い数が出撃した事になりますが、そんな事を信じている人などいないでしょう。

長くなりましたので、第3の点については『B‐29』の引用により回答に代えさせていただきます。

「1944年11月から翌年3月までの出撃で失われた78機のB29のうち53機は機械的(大部分が発動機)の故障によるもので、日本軍の反撃によるものではなかった」(160ページ)

「(日本本土空襲の全期間を通じてB29を)414機を失った。(中略)147機は、日本軍戦闘機あるいは対空砲火によるものであった」(206ページ)

以上につき、もし誤りがありましたらご指摘下さい。ご指摘・ご意見なき場合は記事の内容を、当方が以前に記したとおり差し戻させていただきます。61.122.217.180 2006年1月15日 (日) 07:32 (UTC)[返信]

こんばんわ、Miya.mです。詳細な調査報告ありがとうございます。ご提示いただいた資料と私の使っている資料につき比較検討させて頂きました。

  1. 『古都』の筆者吉田守男は文学部の方、早乙女勝元氏は働きながら戦争の語り部として作家活動に入られた方ですね。飛行機に関するデータをどこまで正確に把握されているか少し不安です。3月10日以後も、工業地帯には通常爆弾(bomb)主体の攻撃を行っています。ちなみに、英語では「焼夷弾」は「Incendiary (bomb)」もしくは「fire bomb」と明確に書かれます。「bomb」単独で焼夷弾を含む文献があればご教示ください。
  2. Los688さんが指摘された資料は技術的にも戦史的にも非常に詳細に記載されていますが、この中で明らかに 25,500ソーティー、通常爆弾17万トンと書かれています。
  3. 手元の資料は、戦時中プロペラ設計を行いその後航空評論家を続けられた佐貫亦男氏の『ヒコーキの心』です。その中で欧州戦線でのランカスターの爆弾投下量60万トンには焼夷弾は入っていない、B-29の日本への投下量17万トンにも焼夷弾は入っていないらしいとのコメントがあります。本稿はこの内容に沿って記述しています。
  4. B-29の搭載量を6トンとして出撃回数について推察されていますが、Los688さんの資料で25,500ソーティー、英語版で2万ソーティーの記載があります。また搭載量は正規状態で爆弾7250kg航続距離6600km(名機100より)、機銃を下ろして以後さらに増えています。百科事典としては、確認できる明確なデータを提示し、その後の判断は読者にゆだねるべきでしょう。
  5. 損失機数についてご提示いただいた数字をそのまま判断すると、日本軍により147機その他の要因で267機を失った、と読めます。267機全てがエンジン故障によるものであればおっしゃる通りです。しかし軍用機の損失はエンジン故障だけではありませんよね。訓練中の(下手な操縦による)事故、離陸時・着陸時の事故、その他の故障もあると思います。1945年3月以後はエンジンの問題が大きく改善されているという資料もあります。この数字を元にするとすれば、エンジン故障による損害>日本軍による被害 と断定するのではなく、非常に多かった 程度にまとめるべきでしょう。--Miya.m 2006年1月15日 (日) 11:29 (UTC)[返信]


パソコン使用時間が限られるため、再度回答が遅れましたことをお詫びします。損失機数については、確かにこちらの記述があいまいでした。但し、開き直るようではありますが、「日本軍の反撃よりも多いくらいであった」という書き方そのものは誤りではないように思います。テニアン島では、エノラ=ゲイ出撃の2日前にも、B29が4機一度に、離陸時に墜落炎上したそうであり(「ジュニア版太平洋戦史」)、リトルボーイがエノラ=ゲイの離陸後に機内で組み立て終了とされたのも、B29の事故が多いのを憂慮したためだそうです。
それはともかく、日本本土への投弾量については納得できかねます。吉田守男氏と早乙女勝元氏はおっしゃるとおりですから、個人的な記述には偏りはあるかも知れませんが、引用している資料は出所の確かなものですから、信頼していいでしょう。なるほど、3月10日以降も破壊弾による爆撃はありますが、『古都』によれば焼夷弾の投弾量が圧倒的に多かったのであり、それは他の戦史を見ても明らかだと思います。佐貫亦男氏の記述も「焼夷弾は入っていないらしい」とのことで、どうも歯切れが悪いようです。佐貫氏も、航空工学の専門家ではあっても、戦史についてはどうでしょうか? 20年ばかり前ですが、佐貫氏は『科学朝日』誌上で「進化の設計」と題する連載を持っておられました。題名からわかるとおり古生物学の話ですが、明らかな誤りや、首をひねりたくなる記述がいくつもあったのを覚えています。
閑話休題、当方が問題にしたいのは、17万トンの投弾量が破壊弾のみだとすると、焼夷弾を投下するためのB29を含めた出撃機数が――爆弾搭載量を7.25トンあるいはそれ以上としても、1回の出撃あたりの機数が不自然に増えてしまうことです。25500回の出撃では、17万トンの破壊弾の搭裁だけで精一杯で、焼夷弾まで手が回らないのはご理解いただけますか? また、実際に17万トンの内訳が破壊弾だけだとすると、なぜ焼夷弾の投弾量がいまだに明らかにされないのか? まさかアメリカ軍が、破壊弾の量は計測したが焼夷弾についてはそれを怠ったとも思えません。ならば推定値だけでも出てきそうなものですが、なぜ破壊弾17万トンだけしか伝わっていないのか? それよりは、17万トンの投弾量に破壊弾と焼夷弾が含まれていると考えたほうが合理的ではないかと思います。御回答如何?61.122.217.180 2006年1月22日 (日) 03:44 (UTC)[返信]

Miya.mです。B-29の投弾量について、都市を焼き払われた側にとって焼夷弾が多かったと感じるのは当然でしょう。私自身も焼夷弾が17万トンに入っていないと数字的に合わないように感じています。佐貫氏も同じ考えなので歯切れが悪い表現になっているのでしょう。アメリカ空軍は欧州戦線では焼夷弾と通常爆弾を明確に分けていましたが、太平洋戦争では一緒くたにしている可能性もあります。例えばB-29が日本に投下したものは色々あります。

  1. 通常爆弾
  2. 焼夷弾
  3. 港湾封鎖用の機雷
  4. 原子爆弾
  5. 宣伝ビラ

日本には原子爆弾まで落としているので、ひょっとして最初の二つを『通常爆弾』と呼んでいる可能性もあります。佐貫氏が言葉を濁したのもその辺りにあったのではないかと推察します。しかし個人的な推察・憶測を百科事典に記載できません。英語の一次資料に直接当たったわけではありませんが『通常爆弾17万トン』という表現は、焼夷弾が入っていると断定できる内容ではありません。個人的には『英語圏では通常爆弾と焼夷弾は別扱いされるが、B-29の投弾量17万トンに限れば焼夷弾を含んでいる可能性もある』と思います。しかしウィキペディアは個人的な独自の見解を書けませんので、専門家(航空評論家)の歯切れの悪い表現を採用しています。(なお私はP/T境界K/T境界も書いていますが、専門外の佐貫氏の古生物の話を参考にするつもりはありません)(ジュニア戦記は私も昔愛読していました)

またLos688さんの指摘された資料では、初期の頃のB-29の攻撃では、日本軍による被害よりもエンジン故障による損害が多いことが数字で示されています。ですから『初めの頃(○年△月まで)はエンジン故障による損失が日本軍による損害よりも多かった』はOKでしょう。しかし終戦までの全期間となると、『日本軍による損害よりも他の原因による損失の方が多かった』と書くべきでしょう。

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「個人的な意見を記述しないように」と明記されています。--Miya.m 2006年1月22日 (日) 04:59 (UTC)[返信]
損失原因の件については、miya.m さんの提案のような書き方にせざるを得ないのではないでしょうか? エンジントラブル等機体の問題が多かったのは事実だと思いますが他の原因との比率が明確でないですし、日本本土までは B-29 にとっても遠く、航法の問題やそれに伴う燃料不足による損失も無視できるものでは無かったようですし。
通常爆弾と焼夷弾の件ですが、各説併記すべきでは? 手持ちの書籍でも文林堂『世界の傑作機 B-29』P-67 では、20AF の投下した爆弾の総量は 17万トン、そのうち 14万7千トンが B-29 による、としています(前後の文脈上、焼夷弾を含むように読めます)。P-54 ではソースが違うのか、爆弾と焼夷弾を合わせて 16万9,800トンが B-29 によるとしています。光人社『ジャパニーズ・エア・パワー』P-222 では米戦略爆撃調査団の報告として、焼夷弾を含む日本本土への投下爆弾総量は 16万1,425トン、うち 14万7,576トンが B-29 によるもの、と記述しています。諸説ある、と書くしかないのでは? --61.24.28.238 2006年1月22日 (日) 10:58 (UTC)[返信]
損失原因について曖昧さを残さず書こうとすれば、選択肢は少ないですね。B29の投下弾量については、確かな原典を示しながら諸説を併記することが今のウィキペディアの方針にかなうでしょう。詳細な調査、お疲れ様でした。61.24.28.238さんの加筆をお待ちしています。(ところで現在はログインせず匿名ユーザーとしてIPアドレスで編集されておられますが、アカウントの作成を是非ご検討ください)--Miya.m 2006年1月22日 (日) 11:34 (UTC)[返信]
(あんまり解決には結び付かないけどコメント)お金のかかるwikipediaということで、私もさっき『世界の傑作機 B-29』買ってきました。P54、渡辺洋二氏記載の箇所に爆弾・焼夷弾合わせて16万9千トンという記事もありますね。さらに、5-7月の焼夷弾投下量は73千トンと記載されています。これ以上は、焼夷弾と通常爆弾・機雷は出撃機数や各爆弾の重量も異なるので、USSBSの資料とかにあたって、計算をしないと検算できないかもしれません。エンジンのほうは、後に信頼性が上がったという記載はあちこちにあるのですが、数字面では分かりません。損失原因には航法ミスで山岳地帯に激突という話もありますし。--Los688 2006年1月22日 (日) 12:16 (UTC)[返信]
追記:USSBS(アメリカ戦略爆撃調査団)のサマリーがhttp://www.anesi.com/ussbs01.htm にありましたPage 16に、B-29の日本本土への総投下量は147,000トンとあります。本土以外への投下とか機雷とかはどうカウントされているか分かりませんが、投下量は14から17万トン、焼夷弾含むになるみたいです。--Los688 2006年1月22日 (日) 16:15 (UTC)[返信]

アルミ再生の記事[編集]

撃墜できたB-29の破片を融解して再生塊を作ったことは、当時金属専攻の学生だった私が、その工場に出かけて見学しました。利用者:Hinonbey 2007年7月7日(土)11:39 (UTC)

撃墜できたB-29の破片?ほんまかいなと思いましたが、当時の状況なら十分考えられます。結局アルミとして製造しなおしたのでしょうか?場所や精錬の方法や規模などそ状況の詳しいことをきかせていただきたいものです。今出川 2007年10月9日 (火) 05:44 (UTC)[返信]

B-29の破片の融かし直しの件、返事します。僕は東京の大学の金属の学生でした。見学に連れられました。京浜東北線赤羽駅か川口駅から歩きました。暑かった。1945年7月でしょう。重油反射炉一基の小工場。炉は、縦 6 - 7m、横と高さ3m位、溶融解量 2 - 3トン位じゃなかったかな、あの釜。荷馬車、荷牛車で運ばれるB公のカケラを待ち構え、カケラと云っても大きいから、工員たちが(線路工事なんかで使う)両手振り上げるハンマーで炉の投入口の寸法まで叩きちぎり、融けたアルミの池に放り込んでました。アルミの湯の汲みだしは、ときどき炉を傾けて鋳型に受けていたように覚えます。『精製』は、湯の表面の酸化被膜やごみを、鋳込み時に手道具でかき取るくらいの事でした。(鋳込んだアルミ塊は、アルミ板圧延工場に運んで、ロールで板に延ばしたのでしょう。)目の前に眺める、B公の千切れた胴体や垂直尾翼は、つくづくデカかった。Hinonbey 2007年10月9日 (火) 07:04 (UTC)[返信]

アルミは当然電気炉で精錬しているものと考えていました。なるほど重油式の反射炉なのですか。このあとインゴットは再び精錬されたのでしょうか?気になるところです。それにしても、墜落した敵機を再利用するとは驚きです。30年ほど前、B29の部品(水平器だの銃弾で穴だらけのキャノピーだの)を日本の意外な場所で売っていましたが、そういう機体の一部をだれかが保存していたものだったのでしょう。貴重なお話をありがとうございました。今出川 2007年10月10日 (水) 16:53 (UTC)[返信]

再生インゴットの精製---これはB-29の再融解を見学したことと関係ない、僕の推論の返答です。1945年頃の冶金技術では、アルミニウムにとけ込んだ不純物を除くのは難しかった。僕の指導教官も「精製」が懸案で、僕にくれた卒業実験のテーマもそれで、僕がそれに成功してたら、老後のこの貧乏はなかった筈。1945年7月に融かしたB-29の再生インゴットが板に延ばされ、日の丸描いて飛んだかは、極めて疑わしい。敗戦直後の窮乏期には、アルミ系の砂型鋳物の鍋釜が出回ったものでした。Hinonbey 2007年10月10日 (水) 23:24 (UTC)[返信]

架空戦記とかシューティングゲームの記述は本体記事に場違いかどうか[編集]

  • このB-29とかの頁だけに限った話ではないのですが、航空機部門に作品とかアニメの記事が書かれてます、投稿者は若年の方々だとは思いますがなんか本文との乖離があるように思えてたまりません。自動車部門ではノートの議論や結果に基づいて「乗用車が登場する作品」すなわち登場作品のリストを原則として乗用車の記事に作らない。とか「乗用車に関連した物」など乗用車に関係があるプラモデルなどの物品、CMで使われた曲やロケ地および出演者、広告のキャッチコピー、法人、グループなどもリスト的に列記することはしないで下さいとなってますよね。それで航空機部門でもそれを準用して、本来プロジェクトで提起すべきですがまだあちらでは未整備状態です。(以前の自動車部門ほど深刻ではないからかもしれませんが)、したがって今回は取り敢えずここB-29だけの提案ですが本文での関連性の薄い作品項目はコメントアウトしてもいいかどうかいかかでしょうかね。papamaruchan22 2009年12月12日 (土) 08:16 (UTC)[返信]
コメント - 主役でも演じてない限りそれでいいと思います(私が考える基準ではB-29(当記事)には該当なし)。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2009年12月15日 (火) 14:40 (UTC)[返信]
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 航空/フォーマットで議論しましたが、結論が出ておりません。--sabuell 2009年12月26日 (土) 06:44 (UTC)[返信]
  • 取り敢えず不活発ですが>>反対ないようですので関連性の薄い項目として、一旦コメントアウトします。復活の場合ノートにて提案していただければリカバリーやぶさかでありません。papamaruchan22 2010年2月25日 (木) 08:24 (UTC)[返信]

朝鮮戦争中のB-29の死傷者について[編集]

書きなぐりで。空軍の資料 P56では、捕虜となったものが100名以上。Giants Over Korea: A Sky Too Far P86では、死者280名、負傷者398名。--Los688会話2014年9月17日 (水) 05:37 (UTC)[返信]

計画中心者について(軍の)[編集]

B29を設計したのは、ボーイング社ですが軍での中心者についての記事が少ないです。中心者はヘンリーHアーノルド将軍です。このアーノルド将軍についての説明又は、新しい記事が必要なのではないかと思いますが、皆さんどうでしょうか?--Satsatsatsatsatsat会話2015年2月22日 (日) 09:01 (UTC)[返信]