ノート:魏延

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正史でこの事項は記されているでしょうか?それが本当なら魏延は極刑の対象となりますが…
諸葛亮の祈祷、魏延がそれを妨げた…どちらも伝説的かつ伝承的な話だと思います。
事実の魏延の場合は本文で詳しく記されているから、説明するまでもありませんね。--以上の署名のないコメントは、124.144.47.149会話/Whois)さんが 2006年6月18日 (日) 05:32 (UTC) に投稿したものです(Hansa 2010年2月28日 (日) 08:45 (UTC)による付記)。[返信]


毛沢東の発言について[編集]

毛沢東が楊尚昆を魏延になぞらえて批判したとの風聞が本邦において流布していますが、その根拠が不明です。なお、以下のリンク先の文章は合法的にアップロードされたものか定かでないため直リンクを避けています。

毛沢東の秘書を務めた李鋭氏による『廬山会議実録(増訂本)』(河南人民出版社、1989年)は1959年の廬山会議において劉少奇が彭徳懐につき「魏延の”反骨”がある」と評した旨に言及するのみです(http://202.96.64.144.pub.books.202.96.64.144.180w.com/19131505.pdf、pp169)。

また、毛沢東が廬山会議において「彭徳懐と黄万里との両人は後頭部に反骨がある」旨発言した事が伝えられています(例えば「黄万里先生訪談録」中の黄万里氏による回顧。http://www.xueshubook.com/Article/ShowArticle.asp?ArticleID=2410)。

さらにgoogle中文版で「楊尚昆 魏延」や「楊尚昆 反骨」などといったキーワードを検索すると、廬山会議における毛沢東の上記発言を楊尚昆自身が回顧する記事がヒットします。

以上のような情報が存在する一方で、毛が楊を魏延になぞらえて批判した事は本邦のネット上以外には発見できませんでした。人物の評価にかかわる問題であるため、確実な根拠が要求されて然るべきと考えます。--Сорасоуё 2008年9月7日 (日) 18:11 (UTC)[返信]

楊尚昆の記事内において出典が明記されていました。--PATMAN 2009年3月20日 (金) 13:09 (UTC)[返信]
光栄の書籍は信頼できないと思います。らりた 2009年3月20日 (金) 13:29 (UTC)[返信]
要出典になっていたのが放置されており、なおかつ ウィキペディアの別項に出典が記述されていたので、それを転載したまでです。ソースが信頼できないというなら、その根拠を示すべきでしょう。まあそんな事はご承知でしょうが。--PATMAN 2009年3月20日 (金) 16:56 (UTC)[返信]

根拠なら上でСорасоуё氏が述べておりますので、削除で問題なさそうですね。 --てぃーえす 2009年3月21日 (土) 08:06 (UTC)[返信]

「出典に対しての根拠」を提示して下さい。--PATMAN 2009年3月21日 (土) 08:56 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性についてもう一度お読み下さい。肝心な点を引用します。『ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性と呼んでいます。』--PATMAN 2009年3月21日 (土) 09:01 (UTC)[返信]
上で「光栄の書籍は信頼できないと思います。」とらりた氏が述べていますが、単にらりた氏が思っているだけでは根拠たり得ません。光栄の書籍が信頼できない事を、より信頼できる出典を明記の上で提示して下さい。ちなみに当方はあくまで他の記事内に書かれていた事を転載した立場ですので、より信頼できるソースを示して頂ければ異議はありません。出典を明記してある内容を恣意的判断で削除するような事は看過できません。--PATMAN 2009年3月21日 (土) 09:07 (UTC)[返信]
その光栄の書籍には、毛沢東の発言の出典(一次、二次情報源)は書かれているのでしょうか。もし書かれているなら、そちらを挙げるべきだと思いますし、書かれていないのであれば、真偽の検証がそこで止まってしまうため、検証可能とは呼べないと思います。--Roots774 2009年3月21日 (土) 09:41 (UTC)[返信]
Wikipedia:信頼できる情報源には
「彼らが議論している分野において、修士以上の学位、もしくは実証可能な形で公表された専門知識を有する人によるものを情報源に使ってください。より信頼できるのは、学術団体が関与しているものです。もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。こうした教科書の著者には、その科目について幅広く権威のある知識を持っていることが期待されるからです。一般的に、大学で使われる教科書は頻繁に改訂が行われ、権威を保ち続けようと努めます。しかし、高校や中学校の教科書は権威を保とうとするよりは、政治的な認可に従っています。」
上はウェブサイトについて話してますが、ゲームの解説本も同様であると考えて良いでしょう。また
「一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます」
「一般的に、情報源を確認するのが重要なのに加え、主張のためには元の情報源を引用することが望ましいです。一般的に、選択肢が与えられた場合は、信頼できない情報源よりも信頼できる情報源を引用するのが望ましいです」
とあり、このことからして光栄の本は「信頼できない情報源」に当たると考えます。加えて言えばこれらの楊尚昆に関する記述は「豆知識」の類であり、文章に絶対に必要なものとはいえません。それをわざわざ信頼できない情報源を元に書き記す必然性を感じません。
基本、歴史の記事を書く際には学術論文・専門書(出来るならば回顧と展望にて紹介されるレベルの)物を使用するべきであり、最低でも一般向けに専門家が書いた概説書を使うべきです。光栄の本は非専門家が書いた本であり(以下カギ括弧内はは私自身の感想。「かつ話を面白おかしくするためにかなりの部分ででたらめがまかり通っている。特に昔の本は酷い。」)、採用するにはかなり慎重な態度が必要とされ、一般的には採用すべきではないと言えると思います。らりた 2009年3月21日 (土) 11:56 (UTC)[返信]
横から失礼します。「楊尚昆は魏延だ」発言に関しては、記載の必要は無い、という意見に賛成です。党・政府の公式文書までは必要ありませんが、少なくとも、一定の水準にある「専門家」が「毛沢東はこのようなことを言っていた」、と言及した資料でなければ、原典としては通用しないというべきでしょう。なお、光栄の当該辞典には、出典の記載がありません。よって、検証可能性はない、とみなせます。--天竺鼠 2009年3月21日 (土) 14:55 (UTC)[返信]
繰り返しますが私は単に転載した立場であり、私自身が出典を確認した訳ではありません。出典として示されている文献において、さらに元をたどる出典が示されていないという事であれば、信頼できる資料ではないという事で了解です。--PATMAN 2009年3月21日 (土) 15:19 (UTC)[返信]
なお天竺鼠 氏は楊尚昆の項目において該当項目の削除を強行していますが、同意される以前においてそのような編集は控えていただきたい。--PATMAN 2009年3月22日 (日) 02:20 (UTC)[返信]

インデント戻します。「単に転載した立場」とのことですが、現状のWikipediaは間違いも多く、ひどい場合には虚偽の出典が書かれていることすらあります。元の情報の質を吟味することなしに転載してしまうのは、そのような間違った情報が広まる元となってしまいますし、元の情報が修正されても転載先が修正されないまま放置されてしまうということもあります。単なる転載であっても出典の確認は是非行っていただきたいと思います。--Roots774 2009年3月22日 (日) 03:36 (UTC)[返信]

了解して頂けたのなら、PATMANさん自身が要出典を除去した三国志演義の記述も責任持って編集して頂きたかったのですが・・・。 転載に伴う責任を理解して頂けなかったようで残念です。--Roots774 2009年3月25日 (水) 18:04 (UTC)[返信]

『単に転載した立場』なんて理由で、出典を確認すらしていない人がどうして出典を記載しているんでしょう?それだけで大問題では?出典を記載するのであれば、『単に転載した立場』であろうとなかろうと、出典を確認してから記載すべきです。まあ、何をソースに書かれたかも不明なゲームの解説本を出典に出しているようでは元々話になりませんが・・・それに、記載している内容も本項に不必要なトリビア的内容じゃないですか。序に言うと、PATMAN氏は議論の態度も終始最悪ですね。

--以上の署名のないコメントは、114.145.24.104会話/Whois)さんが 2009年3月27日 (金) 22:50 (UTC) に投稿したものです(Hansa 2010年2月28日 (日) 05:13 (UTC)による付記)。[返信]

編集者「獅子王悠犽」(恐らく「白銀的寳劍」と同一人物)の問題点について[編集]

Joffedです。まず「獅子王悠犽」という編集者による本記事の編集を見て、その記述に大いに問題があると思ったあまり編集合戦に至ったこと、その際管理者をはじめとする皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。

その上で、件の編集者の編集行為について、以下に思うところを述べさせていただきます。

「軍師」について[編集]

件の編集者は、魏延を軍師とすることに妙なこだわりがあるようですが、そのような記述をすること(特に記事の冒頭に表記すること)については、次の理由から反対します。

まず現行の三国志関連の書籍では、魏延を軍師であると特筆する記述が見つからないことが挙げられます。確かに魏延は前軍師にはなりましたが、それはあくまでも官職としてその地位にあったからであり、現在日本の「軍師」の語の一般的なイメージにあるような、いわゆる「軍略や政略の謀臣」として活躍した訳ではありません。こうした日本語での語義を無視して、(特に何の前置きもなく記事の冒頭で)機械的に軍師の語を安易に使うことは、かえって読む人を誤解させる恐れが大いにあります。

そして魏延以外にも官職としての軍師になった人物は大勢いるのに、魏延の記事のみに軍師を特記する必然性がないという点も挙げられます。例えば『三国志』(及び裴松之注)でざっと調べる限り、軍師になったのは以下の人物があげられます。

荀攸(中軍師)・鍾繇(前軍師)・涼茂(左軍師)・毛玠(軍師)・董昭(軍師祭酒)・華歆(軍師)・成公英(軍師)・楊俊(征南軍師)・杜襲(大将軍軍師)・趙儼(軍師・征東軍師)・裴潜(太尉軍師)・辛毗(軍師・大将軍軍師)・徐邈(大将軍軍師)・諸葛亮(軍師中郎将・軍師将軍)・龐統(軍師中郎将)・劉琰(中軍師)・李厳(中軍師)・費禕(後軍師)・鄧芝(前軍師)・周喁(軍師)・張悌(軍師)・張昭(軍師)・丁奉(左軍師)・朱然(軍師)・全琮(左軍師)・劉惇(軍師)

このように、軍師の称号を得ている人物は魏延以外にも大勢います。そして彼らの大半が魏延同様の「官職としての軍師(参謀)」であり、日本語の一般的なイメージの「謀臣としての軍師」ではないことから、現行のWikipediaの彼らに関する記事の冒頭は、大抵は「武将」「政治家」と記していて、「軍師」と記すものは(荀攸・諸葛亮らを除けば)ほとんどありません。もし官職としての軍師であることを記事の冒頭に明記する必要があるというならば、上記の彼ら全員もそうしなければならなくなりますが、そんなことをする必要があるでしょうか。

件の編集者は、魏延は違うとコメントしていますが、現時点のところ、彼個人の見解の域を出るものではなく、さらには何がどう違うのか、その論拠となる出典を明確に提示できていません。Wikipedeliaのルールでは、こうした場合、「魏延は三国時代、蜀の将軍・軍師である」等、明確に記述している資料を持って来なければならず、それができなければ独自研究となるはずではなかったでしょうか。(以下7月20日追記『三国志』の記述は一次資料であり、これのみを根拠とすることは、「Wikipedia:独自研究は載せない」における「一次資料だけを出典としている状態は避けねばなりません」(一次資料と二次資料)に抵触するともいえます。

また実際、現行の中国書籍でさえ、魏延のことは「三国时代的将领」(『三国志辞典』山東教育出版社、1992年、679頁)、「三国时期蜀汉名将」(『三国志精華注訳評・蜀呉巻』長春出版、2009年、147頁)等、簡見する限りいずれも「将軍」と見なしていて、「軍師」と見なすものはありません

以上の理由から、魏延を(記事の冒頭で)軍師であるとわざわざ特記する必要はなく、現行の「武将」という記述のままでいいと考えます。

「部曲」について[編集]

件の編集者は、「部曲=私兵」と辞書にある語義を機械的に解釈している上、さらに「一兵卒」と解釈を飛躍させていますが、このように「私兵・一兵卒」の意味のみに限定することは、かえって記事を不正確なものにしてしまいます。

まず「部曲」の意味自体には様々な意味があり、『漢語大詞典』では次のようになっています。

  1. 古代军队编制单位。大将军营五部,校尉一人;部有曲,曲有军候一人。
  2. 借指军队。
  3. 古代豪门大族的私人军队,带有人身依附性质。
  4. 部属;部下。

実際、『三国志』魏延伝の当該箇所「以部曲隨先主」について、現行の現代日本語・中国語訳の書籍でも、以下のように解釈にゆれが生じています。

  • 一隊長として先主に随行して」(『正史三国志5』ちくま学芸文庫、294頁)
  • 作為私家軍隊將士跟隨劉備」(『三国志全訳』漢語大詞典出版社、)
  • 作为刘备的私人武装随刘备」(『三国志今注今訳』湖南師範大学出版社、)
  • 「他作为部下跟随先主刘备」(『三国志精華注訳評・蜀呉巻』長春出版、2009年、147頁)

このように現行の関連書籍での「部曲」の解釈にはそれぞれ幅があり(「一隊長」「將士=将校や兵士の総称」「私人武装=私兵」「部下」)、かつ原文の前後の文脈からも、「一兵卒」と解釈を限定できる根拠はないといえます。

ところで件の編集者は、3の解釈を採用して「部曲=私兵」とし、さらに『中国大百科全書』の「部曲」の項目の「介于奴婢与两人之间属于贱口的社会阶层」の記述から「部曲=私兵=一兵卒」であると主張しています(私見では、これ自体「独自研究」の「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に該当する行為だと思っています)。

しかし、『中国大百科全書(第一版)』の「部曲」の項目(「中国歴史Ⅰ」56頁)を調べてみると、原文の冒頭は次の通りでした。

魏晋南北朝时指家兵、私兵,隋唐时期指介于奴婢与良人之间属于贱口的社会阶层。(魏晋南北朝の時代は家兵・私兵を指す。隋唐の時期は奴婢と一般民の間にあって、賤民に属する社会階層を指す。

このように、件の編集者が根拠とした記述は、隋唐時期のものであり、三国時代の記述の論拠とするのは適切でないことが分かります。

さらに『中国大百科全書』の記述の続きを見てみると、次のような箇所が見られます。

  • 部曲活跃的时候,通常是军事行动频繁的时候。魏晋以后,客的身分卑微化,部曲地位也随之卑微化,但并非所有称为部曲的都是私属,一些曾经在某人手下任将校的也称为某人的部曲。犹如"客"的地位虽然卑微,但魏晋南北朝时仍然有受到尊敬的"宾客"

ここの部分は、オンライン版[1]でも容易に見ることができますが、ここには「しかし部曲と呼ばれるものすべてが私的な奴隷であったわけではなく、かつて誰かの指揮下で将校に任じられた者も『誰それの部曲』と呼ぶことがあった」と、件の編集者の「部曲=私兵=一兵卒」でなければならないとする論拠を明確に否定している記述が見て取れます。

以上から、ここでの「部曲」の解釈は、「私兵」やましてや「一兵卒」の意味に限定せず、「彼の率いる軍の配下」(あるいは「彼の私兵部隊の配下」や「彼の私兵の部曲(軍の兵士あるいは将校)」)といった、ある程度解釈の余地を残した記述に留めるべきだと考えます。

件の編集者の編集態度について[編集]

こうした内容の是非以上に問題なのは、上の事例からも明らかなとおり、件の編集者が自分の主張に都合の悪い部分を隠して、記事を編集したという点です。特に「部曲」の解釈で、「介于奴婢与两人之间属于贱口的社会阶层」の直前にある「隋唐时期指」の記述を隠して、コメントでさも「部曲=私兵=一兵卒」の解釈の根拠であるかのように主張した行為は、故意以外に考えられないものであり、完全にアウトだと思います。記事の編集を行えるだけの日本語能力や中国古典の読解能力が不足している以上に、このように事実を歪曲・捏造するような態度を改めない限り、件の編集者にはWikipediaの記事の編集を止めてもらいたいと思っています。

先月以来、件の編集者の編集行為につきあった結果、取りあえず思うところをすべて書かせていただきました。この記事の今後どのように編集するか、件の編集者に対して以後どのような態度で接するかについては、皆様のご反応を見た上で、改めて判断したいと思います。

非常に長い文章になり失礼しました。--Joffed会話2016年7月8日 (金) 08:44 (UTC)[返信]

どこに書いていいかわかりませんが、取り敢えず感じることは基本的な日本語能力がない時点でもう編集自体に無理が生じている、ということです。アカウントを都度変えているのも意味不明です。「私にはもう関係ない」といいつつ結局編集を継続していることも理解に苦しみます。コメント依頼も考慮にいれるべきではないでしょうか。--Geso会話2016年7月12日 (火) 00:18 (UTC)[返信]
そもそも多重アカウントは即刻無期限ブロックだったのではないでしょうか。余り継続的な編集をしていないため、報告をしていないだけということですかね。--途方シネマズ会話2016年7月12日 (火) 00:23 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございました。もう少し様子を見てから数日後にコメント依頼を出すことにします。--Joffed会話2016年7月14日 (木) 01:06 (UTC)[返信]
数日経過しましたが、どうやら編集活動を停止した模様ですので、とりあえず日本語の記述として変なところや馴染まない箇所は直して、今回は終わりにしておきます。次回何かあったときは、またご相談よろしくお願いします。ご面倒をおかけしました。--Joffed会話2016年7月20日 (水) 01:36 (UTC)[返信]
編集を再開したので、コメント依頼Wikipedia:コメント依頼/神風普莉姆・白銀的寶劍・獅子王悠犽を提出しました。--Joffed会話2016年7月20日 (水) 09:10 (UTC)[返信]
Wikipedia:コメント依頼/神風普莉姆・白銀的寶劍・獅子王悠犽にて、hyolee2/H.L.LEE氏により完全なソックパペットであることが判明しました。hyolee2/H.L.LEE氏によるブロック依頼がされましたので、この問題は解決済みといたします。お騒がせしました。--Joffed会話2016年7月20日 (水) 14:08 (UTC)[返信]

Joffeさま[編集]

グレシャムの法則ですね。 いま、君の闘争は勝るが、だが.... 残したの編輯內容は史料錯用多い過ぎる。

これは、グレシャムの法則となる。 Joffeさまは楊儀のように闘争に勝るが、Wikiは史料として参照価値低いものとなり、 Wikiに大きな傷跡残した。

自分は勝利の目的で、闘争を開端するもの...... とても殘念の人ですね。神風普莉姆会話2016年8月3日 (水) 11:43 (UTC)神風普莉姆[返信]