ノート:青函トンネル

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名前[編集]

今、地図がないんだけど、青森市と函館市を結んだら、とんでもないことになる。0null0 14:39 2003年12月7日 (UTC)

要するに「青」森市と「函」館市といいたいのでしょう。そのへんはどうするかは、うーん・・・210.230.239.83 14:41 2003年12月7日 (UTC)

ご指摘感謝します。修正しました。ところで、一つ疑問なのですが、「青函」の名は「青」森市と「函」館市からなのか、「青」森駅と「函」館駅からなのか……。どちらなのでしょう?(あるいはどちらも?)--以上の署名の無いコメントは、Tsk会話投稿記録)さんによるものです。2003年12月7日 (日) 14:57 (UTC)[返信]

私見ながら駅ではないでしょうか。鉄道航路としての青函連絡船の代替ですから。220.144.140.240 15:07 2003年12月7日 (UTC)
こういうことです・・・と言いかけたら、なんか飛んだようです。ま、いいや--以上の署名のないコメントは、218.222.50.165会話/Whois)さんが 2003年12月7日 (日) 15:08 (UTC) に投稿したものです。[返信]
編集競合で、しかも同じようなことを書いてしまったのですが……。
宇高連絡船(宇野駅~高松駅)も仁堀連絡船(仁方駅〜堀江駅)も駅名から取ったものでしたので、青函連絡船も青森駅と函館駅から取ったものでしょう。青函連絡船の置き換えであることを考えると、青函トンネルも青森駅と函館駅のような気がします。nnh 15:10 2003年12月7日 (UTC)

220.144.140.240さんも、nnhさんも、ありがとうございます。これからはもう少し落ち着いて書き込みたいと思います。Tsk 15:18 2003年12月7日 (UTC)

本人による転載[編集]

小舟で津軽海峡に出て、地質調査をしたところから細かく書き始めたら、タダじゃ済まないことになるが・・・ あと建さん主演の映画、戦車積載貨車の通過、北海道新幹線との共用構造、国鉄再建の中採算性を危ぶまれてキノコ栽培に転用され掛けた話、大量な湧水に対するポンプ設備、国際海峡津軽海峡下の領土の扱いについての議論、「青函隧道」の銘板の話、トンネル内高速運転、異常高湿対策、連続急勾配対策

まだ読み応えがないそうなので、こういうネタで、どんどんみんなでやっちゃってくれ。別にオレだけが書かなくてもいいことだ。NHKなんぞからパクるなよ。--以上の署名のないコメントは、218.222.50.235会話/Whois)さんが 2003年12月7日 (日) 17:46 (UTC) に投稿したものです。[返信]

「青函トンネルの中央部は、公海下の建造物ということで、開業前にその帰属および固定資産税の課税の可否が問題となったが、日本の領土の一部として各自治体に編入され」自分でネタ振っておきながら不明で申し訳ないんだが、上記のように日本国内では閣議で決まったのはいいとして、国際的にはどのように承認されているんでしたっけ?誰か知っていたらお願いします。218.222.50.235=114.182.79.49 2010年10月17日 (日) 18:40 (UTC)[返信]

一般的な話として、「(引用者註:従来から)公海の海床の下は、陸地から掘り進んだ場合に、国家による占有の対象となると考えられていた」と文献にあり(水上千之 2005『海洋法 : 展開と現在』有信堂高文社、p. 115)、公海下のトンネルや坑道には沿岸国の主権が認められるのが通例のようです。個別の問題として青函トンネルがどのように扱われているのかはわかりませんが。なお、主権が及ぶのはトンネルに関してのみなので、「領土」とは異なる旨、本文を修正しておきました。----Yes.on-no会話2013年10月1日 (火) 12:01 (UTC)[返信]

触雷事故[編集]

なんで、触雷事故を削除したのですか?--以上の署名のないコメントは、218.222.55.50会話/Whois)さんが 2003年12月8日 (月) 02:04 (UTC) に投稿したものです。[返信]

津軽海峡に機雷が流入し、発見されたことはありますが、連絡船の触雷事故自体は発生しておりません。
ソース:青函連絡船 栄光の航跡 JR北海道 1988年刊--以上の署名のないコメントは、61.115.107.180会話/Whois)さんが 2003年12月8日 (月) 03:47 (UTC) に投稿したものです。[返信]

なるほど、流入自体と他の事故と混同していたようです。ただ危険性に対する配慮はあったので書くべきでしたが、これで一件落着です、どうも。--以上の署名のないコメントは、219.108.125.62会話/Whois)さんが 2003年12月8日 (月) 04:06 (UTC) に投稿したものです。[返信]


昭和の三大バカ査定[編集]

青函トンネルは、田谷廣明・元大蔵省主計官が「戦艦大和」「伊勢湾干拓事業」と並べて「昭和の三大バカ査定」と呼んだ金食い虫の巨大プロジェクトであるが、何だかんだ言ってみても北海道-本州間の貨物輸送の安定化を図ることができたのは意義深い。 海も空もダメでも列車なら何とか・・・ということはあり得る話。--以上の署名のないコメントは、220.220.158.80会話/Whois)さんが 2004年6月14日 (月) 12:30 (UTC) に投稿したものです。[返信]

工法[編集]

青函トンネルは新オーストリアトンネル工法(NATM工法)により建設されたとの記述がありますが、これは不適切な記述であると考えられます。 参考:

上記をはじめ、ほか多数のソースの記述を総合すると「掘削に用いられたのは在来工法(一部TBM工法・NATM工法)」との記述が妥当と判断したため、当該箇所につき訂正を行いました。--Number9 2007年6月25日 (月) 06:28 (UTC)[返信]

年月日[編集]

吉井書店発行「青函トンネル物語」(1986年)という本を読んだのですが、記事と日付が異なっていました。この本では、

  • 北海道側で斜坑の掘削開始-1964年5月8日
  • 北海道側で先進導抗の掘削開始-1967年3月4日
  • 本坑の起工式-1971年11月14日(北海道側)15日(本州側)

となっています。貫通日は同じです。現在書いてあるもののソースがわからないのでどちらが正しいか判別できません。ソースがわかる方、お願いします。ちなみに、

  • 北海道側調査工事起工式-1964年4月22日
  • 本州側で斜坑の掘削開始-1966年3月21日
  • 本州側で先進導抗の掘削開始-1970年1月17日

となっています。--Miita 2007年8月15日 (水) 22:53 (UTC)[返信]

架線トラブルの記述について[編集]

「2008年7月26日 - 架線トラブルで青函トンネル内に特急電車が5時間立ち往生」この手のトラブルは何度か発生しており、開業当初には青森の出口付近で立ち往生したため、JR北海道はJR東日本へ救護機関車の出動を要請した物の、JR北海道管内あるあることを理由にJR北海道で対処するようにと断られたこともあるはずです。そのため、この2008年7月のことだけを歴史に記載する根拠がないため削除しました。--118.237.64.7 2009年2月5日 (木) 14:33 (UTC)[返信]

適切な編集であると思います。なお、タイトルがついていなかったので勝手ながらおつけしました。不適切でしたら修正をお願いいたします。--Mugu-shisai 2009年6月7日 (日) 04:27 (UTC)[返信]

「正式名称」について[編集]

現在、記事では青函トンネルの正式名称は「青函隧道」であるとなっています。そこで、「青函隧道」が正式名称であるとしている資料を探しているのですが、見つけることができません。以下の資料も参照しましたが、「青函隧道」が正式名称であるとの記述は見当たりませんでした。

  • 青函トンネル物語編集委員会編 『青函トンネル物語』5版、吉井書店、1994年。
  • 鉄道ジャーナル社編 『鉄道ジャーナル』42巻3号通巻497号、鉄道ジャーナル社、2008年3月。(特集・津軽海峡線の20年)
  • 『JREA』31巻4号、日本鉄道技術協会、1988年4月。(津軽海峡線開業記念特集号)
  • 土木施工』29巻3号、山海堂、1988年3月。(特集・これが青函トンネルだ)
  • 大滝三夫 「青函トンネルにおける一等水準測量」『国土地理院時報』106集、国土交通省国土地理院、2005年。
  • 丸山雍成他 『日本交通史辞典』 吉川弘文館、2003年。

なお、歴史的な経緯としましては、1955年2月に国鉄に発足した組織は「津軽海峡線連絡ずい道技術調査委員会」ですが、1963年3月5日に国鉄に設置された組織は「青函トンネル調査工事区」となっています。また、1973年11月13日に運輸大臣が決定した整備計画においては、「北海道新幹線は、津軽海峡部において、青函ずい道を津軽海峡部と共用する」とされており、「青函隧道」とは記載されていません。また、保守業務等の発注も青函トンネル名で行われているようです。

何をもって正式名称とするかはよく問題のおきるところです。しかし、青函トンネルにおいては、主な書籍に青函隧道が正式名称であるとの旨が記載されていないこと、古い公文書ではむしろ青函ずい道であること、現在では青函トンネルという名称が専ら使用され、青函隧道と使用される例はほとんどないことを考慮すると、「青函隧道」を「正式名称」であると断定して記述するのではなく、出入口の扁額には「青函隧道」と記されているとの記述にとどめるべきではないかと考えています。もしこの件に関して詳しい方、文献をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ご教授願います。--Mugu-shisai 2009年6月7日 (日) 04:27 (UTC)[返信]

通りすがり的発言で申し訳ないですが、「青函トンネル総集編 本州側工事の記録」というDVDがあるんですけども、題名は青函トンネルなんですが、「鹿島・熊谷・鉄建・青函隧道工事共同企業体」が施工したと出てます。「トンネル」という題名と反しているのでなんともいえませんけども。その他色々、調べてみましたが、「日本鉄道建設公団青函建設局」の出した論文で「青函海底トンネル建設工事における先進ボーリングによる地質の先方予知と実績」というのがあるようです。これは国立情報学研究所で見ることができるようですが(有料なので内容は未確認)トンネルとなっているようです。鉄道建設公団関係であたってみるのも手なのかもしれませんが、基本的に「トンネル」で書類関係は作成していたようです(ウェブ検索のみ)。あまりお役に立てないとは思いますが、たまたま目にしたものですから、申し訳ないです。--Hideokun 2009年6月7日 (日) 04:47 (UTC)[返信]
いえいえ、調査ありがとうございます。確かに、貫通式の写真に写っている記念看板を見てみても、「青函トンネル本坑貫通点」と大きく書かれているにも関わらず、工事の担当は「鹿島・熊谷・鉄建青函ずい道竜飛工事共同企業体」と「大成・間・前田青函ずい道吉岡工事共同企業体」となっています[1]。恐らくは、発注時は「青函ずい道工事」といった名称で発注したためではないかと思います。なお、現在においては、公団の後継組織は「青函トンネル」の名称を使用して保守作業等を発注しているようです[2]。--Mugu-shisai 2009年6月7日 (日) 12:21 (UTC)[返信]
CiNiiは時々利用しているので、無料コンテンツだけですが試しにいくつか見てみましたが、鉄建公団の資料だと「青函トンネル」が多いですね。ただ計画・建設段階の鉄建公団による呼称と、開業後の鉄道事業者による呼称が異なることはままあるので(片福連絡線→JR東西線など)、正式名称を確認するなら運輸省・国土交通省関係の資料をあたるのが良いのではないかと。--Alt winmaerik 2009年6月7日 (日) 14:32 (UTC)[返信]
(補足)
①一年以上前のことになりますが、地下鉄等旅客車の記事を修正するために、トンネルがらみの法令を調べたことがあります。感触としては、昭和40年代頃から法律・政令・省令に登場する用語が「隧道」「ずい道」から「トンネル」へ変化しています。いま生きている鉄道関係の法令で「隧道」「ずい道」の用語を用いているものはほとんど無いようです。
②国土交通省監修の統計資料「数字でみる鉄道」には、日本の鉄道用長大トンネルがJR・民鉄各々上位5位まで掲載されているページがありますが、名称は単に「青函」「大清水」などとなっています。鉄道が免許事業であることに鑑みると、正式名称は「○○隧道」「○○トンネル」の○○の部分だけで、隧道なのかトンネルなのかは、時の法令用語に依存するということではないでしょうか。ちなみに民鉄最長トンネルの名称は北越急行の「赤倉」ですが、第4位は三陸鉄道の「真崎トンネル」となっています。正式名称にこだわるとこんな例もでてきそうです。--Alt winmaerik 2009年6月7日 (日) 15:03 (UTC)[返信]
色々とありがとうございます。論文資料は「青函トンネル」が多いようですね。また、いつ頃から「隧道」から「トンネル」へと言葉が変遷していったのだろうと以前から気になっていたのですが、非常に参考になりました。『数字でみる鉄道』はすっかり失念していました。何が正式な名称なのかは奥が深いですね・・。
正式名称を確認するなら運輸省・国土交通省関係の資料をあたるのが良いのではないかと
実は、「正式名称は・・・とする」と明確に定義づけるような公文書があればと思い探していたのですが、残念ながらなかなかそのような資料はないようです。関連組織としては「青函トンネル調査出張所」(1964年1月16日)、「青函トンネル技術調査委員会」(1967年8月21日)、「青函トンネル問題懇談会答申」(1984年4月18日)、「青函トンネルの有効利用に関する関係省庁等連絡会議」(1984年11月30日)等、「青函トンネル」表記が圧倒的なのですが、やはり正式名称と断定はできません。
そこで、明確な定義が発見できない現状では「正式名称は・・・であえる」と記述してしまうのではなく、あえて正式名称に触れずに書くのがいいのではないかと考えています。「青函ずい道」「青函隧道」も歴史的にみて意義のある表記であることを踏まえたうえで、「なお、青函ずい道と表記されていたこともあり、扁額は青函隧道と表記されている」といったような記述方法が無難なのではないかと思っているところです。--Mugu-shisai 2009年6月7日 (日) 15:57 (UTC)[返信]

提案から10日ほど経過しましたので、正式名称を断定しない書き方に修正してみました[3]。不備等ありましたらご指摘・修正願います。また、新たな資料等を発見された方がいらっしゃいましたら、ご指摘をお願いいたします。--Mugu-shisai 2009年6月17日 (水) 13:48 (UTC)[返信]

青函トンネルを走る電気機関車パンタグラフについて[編集]

青函トンネルを含む津軽海峡線を走る電気機関車は必ず、函館側のパンタグラフを使用しますが、この理由を知っている方がいらっしゃりましたら、編集の方を、できれば出典付きでお願いします。--ビスマス 2010年8月15日 (日) 14:27 (UTC)[返信]

新幹線と貨物のすれちがい問題について[編集]

  • ニュースで見たのですが、新幹線と貨物列車とのすれちがい問題について取り上げてました。これについても記事にしていいのでしょうか?そのリポートでは、「青函連絡線の復活か?」とまで伝えられてました。なんでもすれちがった際に横転する可能性があるのではないかという内容だったとか。--27.134.209.41 2011年12月3日 (土) 08:12 (UTC)[返信]

カートレインについて[編集]

「青函トンネルカートレイン構想としてカートレインの運行を行うことも定められていたが、実現には至っていない」と本文にありますが、カートレインの項目に、かつて東京-北海道 間で「カートレイン北海道」が運行されていた旨、記載されています。詳細を知らないので記事修正は控えますが、詳しくご存知の方はいらっしゃるでしょうか。--Yes.on-no会話2013年10月1日 (火) 12:07 (UTC)[返信]

「カートレイン北海道」は確かに青函トンネルを経由して運転されていましたが、ここでの青函トンネルカートレイン構想とは違います。「カートレイン北海道」は東京と北海道を結ぶ列車で、これに対して青函トンネルカートレイン構想は、青森-函館間のフェリーの代わりに、青森と函館で自動車を乗降させるものです。カートレインの記事にあるような、燃料の管理の問題や積み降ろしの手間など、現状の日本の鉄道設備や法令のネックがあって、青函間では実現していない、ということです。--Tam0031会話2013年10月1日 (火) 15:32 (UTC)[返信]
ありがとうございます。カートレインの記事に詳しい記載がありましたね。カートレインの運行自体は一時期、限定的に行われたことがあるものの、当初考えられていた構想は実現には至っていないという理解でよろしいでしょうか。現状の記事では、青函トンネルにおいてはカートレインの運行実績が一切ないという誤解を与えかねないと思いますので、註などで若干の補足はあって良いような気がします。--Yes.on-no会話2013年10月2日 (水) 06:30 (UTC)[返信]