ノート:陸遜

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陸遜の流罪について[編集]

「ちくまの誤訳だ」と直接、書いてある文献というのは(私が知る限り)存在しないので、 「三国志ファンのためのサポート掲示板」でちょうど議論された部分をリンクします。

 http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one;no=702;id=

私はこの議論に加わっていませんが。

あと(やはりちくま文庫ですが)、高島俊男「三国志きらめく群像」p.356でも 「陸遜は国の重鎮だから、・・・流したり殺したりはできないので」と書いています。 陸遜が流罪になっていない傍証にはなるかと。 --つね 2010年8月13日 (金) 15:03 (UTC)[返信]

原文は「既不聽許,而遜外生顧譚、顧承、姚信,工以親附太子,枉見流徙。太子太傅吾粲坐數與遜交書,下獄死。權累遣中使責讓遜,遜憤恚致卒,時年六十三。家無餘財。」という文章なので、素直に「陸遜が孫権に譴責を受けて憤死した」、という書き方でよかったですね。--Kangoshiyouichi 2010年8月13日 (金) 20:16 (UTC)[返信]
回答ありがとうございます。釈迦に説法したみたいでいささか恥ずかしいですが。--つね 2010年8月14日 (土) 00:28 (UTC)[返信]