ノート:連邦首相 (ドイツ)

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"Bundeskanzler"を「連邦宰相」と訳すことには私は反対です。確かに第二帝政期の「帝国宰相」は"Reichskanzler"ですし、"Kanzler"という語は共通していますが、皇帝にのみ責任を負った帝国宰相(Reichskanzler)と議会の多数派により選出され議会に対して責任を負うBundeskanzlerは政治的機能が異なっていますし、「宰相」はそもそも「天子=皇帝の政務を補佐する役職」ですから現在のBundeskanzlerを「連邦宰相」と訳すことは不適切(ですし、アナクロ的)だと考えます。(ですからヴァイマル共和国期の役職名もReichskanzlerですが、これはドイツ国首相と訳すべきです)。なお蛇足ですがPremierministerはたまに他国の首相に転用されることもありますが、原則としてイギリスの首相です。それ以外の国(日本等)の首相は原則としてMinisterpräsidentです。このことを踏まえた上で、この項目を「ドイツの首相」と統合することを提案します。2006年1月23日 (月) 18:41 Takemitsu

ドイツ語の詳しいことはわかりませんが。ドイツの外務省のサイトを見ると、現在の首相について連邦首相としていますね[1]。それに倣うのが妥当かなと思います。あと、ついでですが、ビスマルクについては連邦宰相となってました[2]。Takemitsuさんのおっしゃる通りなようです。--mochi 2006年1月30日 (月) 17:42 (UTC)[返信]
    1. 私は「連邦宰相」という表現には違和感はないのですが、ドイツ史やドイツ政治の専門分野ではどういう訳語が充てられているか、ご存知でしょうか。専門分野の状況を踏まえておいた方がよいと思います。
    2. 統合提案とのことですが、Wikipedia:ページ名の変更にされた方がよろしいのではないでしょうか。ドイツの首相の記事も見ましたが、あちらはドイツ近現代史上の政府・政体において行政府の長であった官職を通観するために設けられているようですので、すくなくともそちらに統合するのは避けた方が良いと思います(通観は通観で認識利得があるでしょうから)。
    3. また、反応が無いとのことでしたが、Wikipedia:ページ名の変更もしくはWikipedia:統合依頼をご覧頂き、提案の告知をなされると多少とも違うかと存じます。また、ドイツ政治関係の執筆を活発にされているユーザーに呼びかけてみるのも手でしょう。よろしければお試し下さい。--ikedat76 2006年1月30日 (月) 18:34 (UTC)[返信]
上記の書き方だと私の賛否が不明確なので追記をすると、私はこの改名の提案の意義に懐疑的です。どちらかと言うと反対と言えるでしょう。
    1. ReichskanzlerのReichとはドイツ語で「(統一性のある)国」という程度の意味で、帝国を直ちに意味しません。1871年のビスマルクによる統一から1945年のナチスドイツの崩壊まで、ドイツの正式の国号は一貫してドイツ国(Deutsches Reich)でしたし、いわゆるヴァイマル共和国の「首相」もReichskanzlerを名乗っていました。
    2. ドイツ国の記事にもある通り、たしかにKanzlerの語は王の官房官僚を指す言葉です。しかし閣僚の首座を指しうる語が他にもあるにもかかわらず、それを当のドイツ人たちが「会に対して責任を負うBundeskanzler」に対しても依然として使いつづけ、(曖昧な言い方ですが)政治文化・伝統の継承をしていることを軽視することになるのを懸念します。
    3. 機能が違うから訳し分け、という方針も安直に乱発すると、逆に比較可能性を阻害することになることにも注意してください。--ikedat76 2006年2月3日 (金) 14:06 (UTC)[返信]


  1. 私は15年以上もドイツを専門にしてきましたが、この現代のドイツ、ドイツ連邦共和国Bundesrepublik DeutschlandのBundeskanzlerに対する連邦宰相という訳語が目につくようになったのは最近のことで、初めて目にしたのが今野君の『マックス・ヴェーバーとポーランド問題』(2002)の後書きで、彼自身ちょっと時代がかった言葉遣いを好む人だし、彼の著書の後書きという本来のテーマとはあまり関係ない、どちらかといえば私的なことを書いてる空間だから、微苦笑を浮かべながら大目に見たけれども、ここは百科事典ですから。Google検索をしてみれば分かりますが、Bundeskanzlerという単語にはまず一般的に(専門家の間でも)”首相”という訳の方が圧倒的に主流です。「連邦宰相」という訳を付けているのは私的なBlogや日記などです。
  2. 行政府の長にKanzlerという語を用いているから政治文化・伝統の連続性を見ないといけないという議論に対しては、次の反論が可能だと思います。アメリカやフランスのSenateに元老院という訳語をつけますか?彼らだって、自分たちの議会の一部にSenateと名付けたとき、ギリシャ・ローマにまで溯る民主主義の伝統を意識して名付けたのですから。それでも私は現代のフランスやアメリカのSenateは上院と訳すのが適訳だと思います。なぜならば例えばローマの元老院は国民から選出されたわけではないですし、国民から直接選出される現代民主国家のSenateと同一に論じるわけにはいきませんから。
  3. Senat(e)で思い出しましたが、ドイツのブレーメン州(市)のSenatを元老院とウィキペディア日本語版では訳していますが、これも完全に誤訳でブレーメン市(州)やハンブルク市のSenatは第一に立法機関ではなく、行政機関であり市州政府のことですし、こちらは中世まで溯る伝統を意識した「市参事会」という上手い訳語が定訳としてもあります。(例えば田沢五郎『ドイツ政治経済法制辞典』を参照)。
  4. このSenat(e)の例は言葉は背景と文脈によって訳し分けなければいけないという例になると思います。同一の言葉だからといって何が何でも一つの語、ここでは「宰相」で押し通すというのは文脈を無視することで、誤解の元になります。例えばドイツのことを何も知らない人に、ドイツには首相じゃなくて宰相がいるんだと説明したら、ドイツは帝国か、少なくとも議院内閣制はとっていないのかとその人はおそらく思うでしょう。

Takemitsu 2006年2月3日 (金) 22:59 (UTC)[返信]

専門家の間での定訳とはいえない語である件は了解しました。それであれば移動は問題ないと思いますのでお願いします。
それから蛇足ながら、Wikipedia:ウィキペチケットをご覧いただくことをお勧めいたします。私は構いませんが、Takemitsuさんの言葉遣いは、失礼ながら少し丁寧さに欠けるであるように思いました。ご留意頂ければ幸いです。--ikedat76 2006年2月4日 (土) 16:35 (UTC)追記です。上記は「連邦首相 (ドイツ)」への改名に賛成の趣旨です。ドイツの首相への統合は以前と同様の趣旨で反対です。--ikedat76 2006年2月5日 (日) 05:18 (UTC)[返信]

→ikedat76さん。私の書き方が、少し学生を相手にするような書き方をして、不快に思われたかもしれません。その点は訂正しておきましたのでご容赦下さい。Takemitsu 2006年2月5日 (日) 21:09 (UTC)[返信]

ご理解いただきありがとうございます。若干くどいようですが、「連邦首相 (ドイツ)」への改名、ということでよろしいでしょうか。確認をお願いします。--ikedat76 2006年2月6日 (月) 05:51 (UTC)[返信]

議論の本題の方は専門家の間の普及度ということで異議ありませんが、現代のSenateの正式名称を元老院と訳することは広く行われていると思います。言葉の本義を突き詰めるならそもそも首相にしろ「相」は君主に仕える役職であるので宰相と本質的な違いはなんらありません。漢語までさかのぼる語義論に基づく名称決定を先例とすると収拾がつかなくなるので蛇足ながら申し述べておきます。--Extrahitz 2006年2月12日 (日) 07:08 (UTC)[返信]

日本の外務省の訳だと「連邦総理大臣」というのもあります。--220.105.155.28 2006年2月18日 (土) 02:33 (UTC)[返信]

確かにそのとおりです。それでどうするべきだとお考えなのでしょう。ドイツ連邦共和国外務省のサイトは連邦首相の語を採用し、Takemitsuさんにご指摘いただいた通り、専門家たちの間でも連邦首相の訳語が主であると述べられているとおりです。--ikedat76 2006年2月18日 (土) 09:26 (UTC)[返信]

選択肢の一つとして提示しました。日本語版における各国の国名の日本語呼称は日本の外務省の訳に準拠していますし。--220.105.155.28 2006年2月18日 (土) 11:56 (UTC)[返信]

外務省呼称が「ローマ法王」であるローマ教皇の例のように、外務省による呼称はあまり優先度は高くありません。学界での呼称と当事者の日本語での自称から場合ごとに選択されることがほとんどのようです。--Extrahitz 2006年2月18日 (土) 13:43 (UTC)[返信]


連邦宰相という名称を最初に記述したものです。皆様の議論を深く読ませて頂きました。少しだけコメントさせて頂きたいと思います。

  • 「kanzler」の訳について
元々「宰相」という漢字はご指摘のように「天子=皇帝の政務を補佐する役職」です。明治時代にドイツ並びにプロイセンの「kanzler」に「宰相」という漢語を当てられた当時の日本人の知恵には自分は感服致します。そしてドイツはその後様々な歴史を辿って現在に至りますが、他の大臣の名称は「minister」であっても、長たる名称は「kanzler」という言葉を採用し、現在でも「Bundeskanzler」という名称に引き継がれています。(連邦政府 (ドイツ)参照)これは各国どこの国もそうですが、役職名というものについて、歴史的な「権限や役割」は変化しても伝統的に「名称」だけは変わらずに引き継がれているというのが現状だと思います。「kanzler」という言葉がずっと引き継がれていることは、歴史や伝統を重んじるドイツの歴史観だと自分は思いますし、それは大きく尊重するべきと思います。あまりいい例ではないですが、日本の行政府の長の名称は正確には「首相」ではなく「内閣総理大臣」と表記するということと同じような感じが自分は致します。
また、世界にはこんな場合もあります。例えばイギリスの「大臣」の名称は「minister」ではなく「Secretary(直訳:秘書)」です。しかし日本語では「大臣」と訳します。明治時代にはすでに「大臣」と訳が当てられそのまま使用されて定着したためです。同じ「Secretary」でもアメリカでは「長官」という訳を当てています。これも明治時代にこの訳が当てられ定着しているからです。この場合当時の日本人は元々「大臣」という意味ではない「Secretary」を訳すのに、イギリスは君主制国家であるため「大臣」、アメリカは大統領制国家であるため「長官」という風に訳し分けたのだと推察しますが、この場合「Secretary」を「秘書官」と訳すべきという主張は自分にはありません。明治時代の先人の知恵を常に尊重するべきと思います。
  • カタカナ表記について(これはノート:ドイツ軍の自分のコメントをそのまま記述させて頂きます)
表記の正確さばかりを追求しすぎて、すべてカタカナ表記にするということは、一般の閲覧者に対する配慮に著しく欠けているのではないかと思います。カタカナ原語表記は、表現としては一番正確ですが「表音表記」であるため、名称だけで意味が伝わりにくく一般閲覧者に対する混乱が大きく、非常にナンセンスに思えます。日本語は世界に稀に見る多種多様な言語です。カタカナに代表される「表音表記」、漢字に代表される「表意表記」は、どちらに偏ることなく、双方の大切さを兼ね合わせて行かれるのが一番だと思います。正確さを追求することは大切ですが、深く追求し過ぎると言語学の議論にまでさかのぼるようなテーマですし。何より意味する訳語や漢字がある以上、一般的に広くに知れ渡っているカタカナ固有名詞ならともかく、そうでないならしっかりと訳を当てていくべきではないでしょうか?その意味で自分は「カタカナタイトル」には強く反対します。

自分としては外務省の表現である「連邦首相」にするべきか忠実性の「連邦宰相」にするべきかの議論をもっと加速させていくべきと思います。Treue 2006年2月21日 (火) 04:12 (UTC)[返信]

Treueさんの「忠実な訳」「正確な訳」の基準がよく理解できません。ノート:ドイツ軍では「諸外国の「軍」並びに「軍隊」の名称を忠実に正確に翻訳し表現すると、ほとんどの国で「~軍」という名称は無くなります(漢字文化圏以外での話ですよ)」と仰っていますが、そちらでの「忠実に正確に」は単純に逐語訳と呼ぶべきものであって、翻訳というのとはズレがあります。その一方で、こちらでは、Secretaryを秘書/大臣/長官とすることを適切と述べており、通常言うところの翻訳(言語の属する歴史的・文化的・社会的文脈を考慮に入れて訳語を充てる)に相当するものを「忠実」と述べておられます。後者の仕方で訳せば、非漢字圏の「軍隊」も「軍」「軍隊」を名乗っていることになります。2つの異なる基準を同じ人が使い分けているのは大変分かりにくい。
それとも、ドイツ軍の名称と言うのは「一部の日本人のドイツ軍マニアによる議論」であって、どうでもいいことをやっているという貶下を表明するための使い分けでしょうか(そうであってもなくてもこの発言は中傷かつ愚弄であると思いますが)。しかし、そうお考えだとすれば、それはドイツ史・ドイツ政治の研究に携わってきた「先人の知恵」をないがしろにするものだと言わざるを得ないでしょう。
ドイツ史・ドイツ政治の学問的研究においても、ドイツ軍の正式名称は訳しわけが存在します。名称の変更は、軍が当然に背景とする政治体制・外交体制の変動と連関しており、ドイツ史・ドイツ政治の理解の上でも、一定の意義のあるものです。イギリスやアメリカを引き合いに出したとしても、2度の大きな敗戦による政治体制・外交体制の変動を経験したドイツ史における歴史的存在としてのドイツ軍と、変動があったにせよ一応は円滑に移行した英米等とでは比較になりません。
それとも「明治の先人」の知恵ではないからどうでもよいということでしょうか。そして、こうした異論も「マニアのどうでもいい言い草」なのでしょうか。しかしそうであるなら、Kanzlerを何と訳するのかは「一部の日本人のドイツ史マニアによる議論」だと言われたら、ご自身がどうお感じになるか、想像してみていただきたいものです。--ikedat76 2006年2月21日 (火) 13:29 (UTC)[返信]

ご指摘は真摯に受け止めますが、ここでは「Bundeskanzler」についての議論のみ行わせて頂きます。ドイツ軍に関してはノート:ドイツ軍で議論を進めてください。ドイツ軍の名称に関して自分はここで討論を行うつもりもないし、色々な所で議論が行われていきますと、それこそ収拾つかなくなるように自分は思います。一応、礼にそって一言だけコメントしますが、ノート:ドイツ軍の自分の意見の趣旨は一般閲覧者から見て「他の国は『~軍』なのに何故ドイツ軍の名称だけカタカナなの?」っていう素朴な疑問の提起です。ここはドイツ専門家だけのためのサイトではないと思いますし、それこそドイツ関係の専門家の有識者によって「どれだけ一般の人に正確にそしてわかりやすくドイツのことを伝えるか」を行うサイトだと自分は認識してます。自分の目からはノート:ドイツ軍での議論が一般閲覧者に対する配慮に少し欠けた討論のように思えただけです。ご理解下さい。

では本題に移りますが、自分の意見は絶対に「カタカナ表記」にするべきではないというのが趣旨です。そこで、ドイツ政府並びに日本政府の両外務省で用いられている連邦首相という訳がよいか、連邦宰相がよいかを考えているわけです。今の両外務省の翻訳は「一般に意味が通じることを最優先に考えた翻訳」と自分は考えています。そこで自分としては、首相という言葉は元々「首席宰相」の略であり、現在の名称である「Bundeskanzler」には「首席」にあたる名称がないことから「首」という言葉を外した「連邦宰相」が適切と考えたわけです。「kanzler」という言葉自身に「首席宰相、首席大臣」と意味があると考え「首相」と訳すか、普通に「宰相」と訳すかと言うことだと思いますが、自分もドイツ語学を専攻しているわけでもないので、明治以降の先例に倣ったわけです。ikedat76様のご意見を伺います。Treue 2006年2月22日 (水) 01:28 (UTC)[返信]

多少なりとも感情的な表現をとったことをまずはお詫びします。
  1. しかしながら、私が指摘したかったのは、Treueさんのご発言が、他の参加者に敬意を払うという基本方針にそぐわないのではないか、という指摘であってドイツ軍関連の記事名の選択についてではありません。そのことをご理解ください。
  2. ところで、Treueさんのおっしゃる「正確な翻訳」の基準についてはお答えいただいていないと存じます。何が基準でしょうか?
  3. カタカナ転記は意義に乏しいという点については賛同いたします。しかし、その後の記事名選択の基準については賛同できません。この種の外国の事象についての記事名の選択の議論に別の箇所でもかかわりましたが、そこである方が述べられているように、こと記事名については、Wikipediaが何であるか(=事典)についての考慮が第1に立つべきであり、その限りで専門知識に過度に傾斜した記事名の選択は望ましくないと考えます。Wikipediaはドイツ史専門事典でも漢語の翻訳転用事典でもなく、その限りで、知識のない人が調べてみようと思ったときにアクセスしやすい記事名が極力望ましいと考えます。その意味で、ドイツ史・ドイツ政治の専門分野において主流であり・メディアにおいても流通度の高い「連邦首相」の語が望ましいでしょう。また、繰り返しになりますが、当事者が用いているということも有力な根拠と考えます。--ikedat76 2006年2月22日 (水) 12:23 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。ご返答させて頂きます。

自分はこの記事名を「連邦宰相」とさせて頂いた時には正直非常に悩みました。自分も当初はドイツ外務省のHPにある「連邦首相」という名称にするのが一番であると思ってましたから。しかし、ドイツ外務省のHPを熟読されるといくつか歴史的に不可解な翻訳があるのに気づきます。まずは、「Bundeskanzler」なのですが、北ドイツ連邦時代の「Bundeskanzler」は「連邦宰相」と訳し、現在の全く同じ「Bundeskanzler」は「連邦首相」と訳して分けている点です。これは「意味ある訳し分け」なのか「一般人向けに簡単な表現にしておいた」のか、この時点では自分では判別はつきませんでした。しかし、もうすこし読んで行くと、様々な箇所で不正確な翻訳があるのが目に付きます。例えばドイツ国という名称が一切出てなくて、普通にドイツ帝国ワイマール共和国といった名称を使って歴史を紹介している点に注目しました。このウィキでもワイマール共和国という記事名はワイマール共和政ですし、ドイツ関連の有識者にとって一般にこういった名称は正確な表現としては使いませんし、一般人にドイツの歴史を正確に伝えるという意味において、このHPの表現には自分は疑問を感じざるを得ません。このことからドイツ外務省のHPの翻訳で「現在のBundeskanzlerを連邦首相としている」点についても「一般日本人向けに首相という簡単な表現を採用した」という趣旨なのではないかと自分は解釈させて頂いたのです。自分としても一般閲覧者のことを第一と考え、知識のない人が調べてみようと思ったときにアクセスしやすい記事名が極力望ましいというikedat76様のご意見には非常に共感致します。カタカナを乱用するドイツマニア向け過ぎる記事名には自分は強く反対です。だから、どの当たりまで正確な表現にするべきかという難題がいつも立ちはだかります。こういった議論によって建設的に難題が解決されていくことに深く感謝致します。ご理解頂けるでしょうか。Treue 2006年2月22日 (水) 14:27 (UTC)[返信]

議論がすれ違っているようで不安を感じます。問題の本質は(ある特定の翻訳法ないし外来語表記法を前提として)どれが正確な翻訳かを選択するということではなく、複数ありうる翻訳法(外来語表記法)のいずれを基準として採るのか、という前提の問題だと考えます。
  1. その意味で言えば、問題のドイツ外務省のサイトは、誤訳ではなくなります。かのサイトは専門知識を習得してもらうためのものではなく、知識のない人まで含めてドイツに関心のある人にドイツを知ってもらう入り口を提供することが目的であって、その限りで専門知識からすれば誤訳である語も(知名度に即して)あえて採用してあるのだと私は判断します。「ドイツ国」と言われてもほとんどの人は何のことだか分からないでしょう。何が「正確な翻訳」かは、文脈に非常に依存する部分があり、そうした配慮の結果だというのが私の考えです。
  2. しかし決着の付け様のないことをあれこれ言うのはもう控えて、本質的問題に戻りましょう。Wikipedia:外来語表記法に挙げられるだけで、4種の基準(表記法)が挙げられており、議論を提起されたTakemitsuさんや私は専門分野での表記に従うという基準を前提することを支持しています。それに対して、Treueさんの“(準)逐語訳が適切である”という基準が適切かどうかが問題とすべき事柄なのです。
  3. 同じ文書を再び参照すると、Wikipedia:外来語表記法#表記が複数ある場合の「分野別・分野間で表記を統一するとき」を参照するなら、「周辺の用語とのバランスを考えて用語を選択すること」ために専門事典等を参照することが勧められています。Wikipediaが事典である限りにおいて、立項と記事名の基準は一貫しているべき(困難ですが…)だという記事名に関するWikipediaの基本方針からすれば、個人的嗜好によって(少なくとも)記事名を左右することは許容されません。この点からするなら、「連邦宰相」なる語も(失礼ながら充分に)「(漢語)マニア的」で趣味的な表記と見ることが出来ます。
  4. 「明治の先人」について繰り返し述べておられますが、ドイツに関する諸研究分野では「連邦首相」の訳語が主流であるという件については何も述べておられませんね。このTakemitsuさんの指摘をTreueさんがどう考えるか、それがさしあたり答えられるべき問いでしょう。専門分野において主流として定着した訳語を否定するほどの語なのでしょうか。「明治の先人」の賞賛ではなくTreueさんご自身の判断が必要です。--ikedat76 2006年2月22日 (水) 15:51 (UTC)[返信]

当方の趣旨も十分に理解して頂けていないみたいですね。当方もikedat76様の趣旨を十分に理解するよう努めるつもりでありますし、ikedat76様も宜しくお願いします。お互いの主張ばかりぶつけうことは時としていい時もあれば悪い時もあると思いますし。まず自分が理解しているikedat76様の意見の根本の趣旨は「タイトルを連邦首相とするべき」ということでよいのでしょうか?間違っていたら修正して下さい。

1.「ドイツ外務省のサイトは誤訳」とは一言も言ってません。「不正確な翻訳が見受けられると当方は考えている」と述べさせて頂きました。揚げ足をとるつもりは無いですが、当方の趣旨が十分に伝わっていないようで困ります。上記で自分は「連邦宰相にすべき」という主張を展開したつもりはありません。当方自身が最初に「連邦宰相」という記事名にした経緯を説明したにすぎず、「連邦宰相」とするべきか「連邦首相」とするべきか当方も判断に苦しんでいるという趣旨をご理解下さい。

2.「連邦宰相」という訳語は北ドイツ連邦時代の「Bundeskanzler」の訳語としてドイツ外務省のHPで使われています。故に採用しました。(4に続く)

3.今回の件に関してWikipedia:外来語表記法というもののどれを基準に判断するべきとお考えですか?読ませて頂きましたが、これは「カタカナ外来語」に関する基準ですよね?間違っていたらご指示をお願いします。ikedat76様の意見の趣旨は「タイトルを連邦首相とするべき」なのですか?「カタカナタイトルにするべき」ということなのでしょうか?正直十分に理解出来なかったので説明を詳しくお願いします。

4.何度も申し上げるようで恐縮ですが、上記で自分は「連邦宰相にすべき」という主張を展開したつもりはありません。当方の問題提起は北ドイツ連邦ドイツ連邦共和国の全く同じ「Bundeskanzler」を「連邦宰相」「連邦首相」とドイツ外務省のHPの通りに訳し分けるべきか?という点に尽きます。いずれドイツ語版を翻訳して「連邦宰相 (北ドイツ連邦)」という記事を作るつもりでありましたから、ここは当方としても早急に結論付けることも出来ない非常に難しい点なのです。皆様の知恵を拝借したい所であります。

5.現在の「Bundeskanzler」についてドイツに関する諸研究分野では「連邦首相」の訳語が主流であるという件は最もです。自分もその程度の正確性に留めた記述にするのが妥当な線かなと思っております。しかし、常に「この記事名だけこの正確度でよいうのか?」という疑問が残ります。ヴァイマル共和政しかりドイツ国しかりです。ドイツ国という記事は自分が最初に記述させて頂きましたが、調べていただけるとわかると思いますが「主流として定着した訳語」というでは些かありません。ドイツ帝国という記事名も本来なら帝政ドイツとするべきか当方はずっと悩んでいたくらいなので。一つの記事に関して詳しく議論していくことも大切ですが他との調和や妥当性の度合いを同じにしていくことも需要だと考えています。「専門分野において主流として定着した訳語を否定する」とご指摘がありましたが当方はこういったつもりは全くありません。何か「自分勝手な執筆者」という感じに受け止められているようで悲しさを感じます。Treue 2006年2月23日 (木) 02:13 (UTC)[返信]

箇条書きを対応させて簡潔に。
  1. 当初の命名の経緯の説明が求められていたのではなく、記事名および記事名の選択基準についての議論が行われていたはずです。したがって、何を基準とし何を記事名とするか、を述べていただきたく存じます。
  2. 上に同じです。
  3. 「連邦首相」を推します。Wikipedia:基本方針とガイドラインの一部であるWikipedia:外来語表記法で挙げられた基準の中では、専門分野での表記に従うという基準に従うことを推し、一番最初の提起者であるTakemitsuさんの提案にも、この点に関してのみ同意しました(逆に言えばそれ以外の論拠については同意していません――少なくとも明示的には)。カタカナ転記については、「意義が不明」と4記事合わせての記事名差し戻し提案で提案理由にはっきり述べたはずであり、私の意見が否定的であることは完全に明らかです(でなければなぜ差し戻しの理由に挙げるのでしょうか)。
  4. それは大変良いことですが、このタイミングこの場所でそれを求められるのは、適切とは思えません。まずこの記事名についての議論を片付けてからするべき議論ではありませんか。少なくとも私はTreueさんの趣旨について混乱しました。
  5. Treueさんが「身勝手」かどうかは分かりませんが、いまここで行われているのがいかなる議論であるかという文脈をいますこし読み取って、何を応答すべきかについてご配慮いただきたく感じます。今までお書きになったことも、「連邦宰相にすべき」という議論だとしか(私には)解釈できませんでした。それゆえ、「自分の書いた記事名にはこまごまとしたことを言いながら、他ユーザーを“一部マニア”呼ばわりするのか」と感じ、それゆえに、かのごとき応答をした次第です。
くどいようですが、「連邦首相」への記事名変更に同意(少なくとも反対しない)ということでよろしいのでしょうか。あらためて確認をお願いします。--ikedat76 2006年2月23日 (木) 13:04 (UTC)[返信]

当方の趣旨が十分に伝わっていないのは当方の説明不足なのかも知れません。簡潔に趣旨を整理して述べさせて頂きます。

1.「カタカナタイトル」には絶対反対します。

2.現時点でこの「連邦首相 (ドイツ)」がよいか「連邦宰相 (ドイツ)」がよいか当方は早急には判断しかねます。よって「連邦首相」への記事名変更に同意も反対も出来ません。

3.「現在のカタカナタイトルから一旦記事名を差し戻す」ことには大いに賛成ですが、北ドイツ連邦ドイツ連邦共和国の全く同じ「Bundeskanzler」を「連邦宰相」「連邦首相」とドイツ外務省のHPの通りに訳し分けるべきか?という点の問題があります(ikedat76様は「まずこの記事名についての議論を片付けてからするべき議論ではありませんか。」というご意見ですが、当方はこれが、この記事名議論の根本問題だと理解して頂きたいと思います。閲覧者から見て、全く同じ「Bundeskanzler」が「連邦宰相」「連邦首相」と記事名が異なっている場合混乱が生じないか?これは意味ある訳し分けなのか?それとも統一した表現にするべきなのか?正確な表現とは何か?という問題を当方は考えています。)ので、当方自身も今後各種資料によって注意深く勉強させて頂き、後に再び意見を提起させて頂きます。Treue 2006年2月24日 (金) 03:20 (UTC)[返信]

「この記事名についての議論」とはタイトル差し戻し提案のことなのですが、ともかく合意を得られたと理解します。
Wikipediaは百科事典であって、何らかの専門事典(翻訳事典、漢語事典、ドイツ政治事典…)等々ではありません。記事名に過剰に凝ったり、翻訳の成立の歴史的経緯の説明に力を傾注するよりも、記事の対象である事象そのものの記述に力を入れるべきです。翻訳事情や「正確な翻訳」の問題ではなく、ドイツ史・ドイツ政治の専門分野における術語の選択や研究の状況を踏まえての執筆を希望します。--ikedat76 2006年2月24日 (金) 15:30 (UTC)[返信]
(記事名差し戻し提案について)記事名差し戻し提案について合意が形成されたと考えますので、記事名差し戻しを実行しました。--ikedat76 2006年2月24日 (金) 15:30 (UTC)[返信]

記事タイトル/編集方針[編集]

議論がだいぶ長くなっていますが、Wikipedia:ページサイズの問題があるほか、可読性に問題が出てきていますので、節を分割しました。--ikedat76 2006年3月9日 (木) 13:11 (UTC)[返信]

"kanzler"の訳語は、第一次世界大戦終結あたりを境にして、それ以前のドイツ帝国までが「宰相」、それ以後のヴァイマール共和国からが「首相」とするのがオーソドックスだと思います。したがって、北ドイツ連邦の"Bundeskanzler"は「連邦宰相」、ドイツ連邦共和国の"Bundeskanzler"は「連邦首相」という使い分けはありふれたもので、混乱を招くということはないと思います。定訳のあるものについては、(仮に訳語の正確性について多少の疑念があったとしても)、それを採用した方が余計な混乱を招かずにすむ安全牌だと考えています。前にもノート:アメリカ合衆国議会でも定訳を推すコメントをしましたが。--oxhop 2006年2月24日 (金) 16:21 (UTC)[返信]

久々に見てみたらだいぶ議論になっているので、これまでの(特にTreueさんの)議論を踏まえた上で私の意見を書かせていただきたいと思います。

  1. 私はドイツ外務省のオフィシャルサイトは見ていないのですが、このようなオフィシャルサイトがしばしば「専門の目で見た場合正確さにかけることがあるということは全く同感です。ただしこのTreueさんの考える「正確さ」の基準とは(ikedat76さんが既に指摘されていますように)何でしょうか。専門家の立場ということでしょうか。
  2. 例えばドイツ史やドイツ政治を専門にしている人たちにとっては、「第二帝国」ではなく「第二帝政」、「ワイマール共和国」ではなく、(但し「ワイマール共和制」でもなく)「ヴァイマル共和制」が(専門家の間で通用しており、その意味で規範性を持っているという意味で)「正確」な表現です。
  3. 但し「専門家の間で通用している」という意味で「正確」な表現という意味では、北ドイツ連邦のBundeskanzlerを「連邦宰相」と訳し、現代のドイツ連邦共和国のBundeskanzlerを「連邦首相」と訳しわけるのは「正確」な訳であり、この点では外務省のホームページは間違っていません。Oxhopさんが指摘されているとおり、この訳しわけはありふれたもので、混乱を招いたということは私は寡聞にして知りません。また国制が異なっており、歴史的なコンテクストが異なっているのですから、訳し分けは妥当と私は考えます。
  4. しかしTreueさんは「第二の」正確さの基準として「明治の先人の知恵」を持ち出されます。先人の知恵というのは役に立つ場合もありますが、明治の先人達の知っていたドイツはDas deutsche (Kaiser-)Reich(ドイツ帝国)であり、Bundesrepublik Deutschland(ドイツ連邦共和国)ではありませんでした。これまた反実仮想的な問いかけですが、明治の先人達はBundesrepublik Deutschlandを目の前にしていてもKanzlerを宰相と訳したでしょうか?
  5. 言葉の意味はコンテクストを抜きにしてはあり得ないのですかあら、コンテクスト次第で訳しわけるのが妥当だと私は考えます。第二帝政までを「宰相」と訳し、ヴァイマル共和制以後を「首相」と訳すのは帝政から共和制・民主主義国家へのドイツ政治史を反映しており、妥当な訳し分けだと私は考えます。ついでにいえば外国語一語に対して翻訳一語で押し通すというのは無理です。例えば先にSenat, senateの例を挙げましたが、(現代のみならず)ドイツには大学にもKanzlerはいます。大学内部の行政(行政は大学でもそれ以外でもVerwaltungですが)の責任者で、通常「事務総長」と訳しますが、これも「宰相」となされたいのでしょうか。また18世紀後半のプロイセンでKanzlerといえば(現代流にいえば)「法務大臣」のことです。ドイツ語のKanzlerにあたる英語はchancellorですが、この職に就いた有名な人物は16世紀後半ー17世紀前半の政治家・哲学者のフランシス・ベーコンが挙げられますが、彼の職は通常「宰相」ではなく「大法官」と訳されます。またconsulはローマ時代は「執政官」ですが、現代では「領事」です。
  6. 私も「ブンデスカンツラー」とのカタカナ表記には反対です。ただし議論が終熄するまでの移行措置と見ていました。
  7. なお「Wikipediaは百科事典であって、何らかの専門事典(翻訳事典、漢語事典、ドイツ政治事典…)等々ではありません。記事名に過剰に凝ったり、翻訳の成立の歴史的経緯の説明に力を傾注するよりも、記事の対象である事象そのものの記述に力を入れるべきです」とのikedat76さんの意見には全く賛成です。全く賛成であるが故に、「連邦宰相」という訳語は私には「(漢語)マニア的」で趣味的な表記」にしか見えず、反対です。少なくともBundeskanzlerという語をほぼ毎日原語で聞いて、毎日新聞雑誌その他で読んでいる立場からはそう見えます。

Takemitsu 2006年3月8日 (水) 23:15 (UTC)[返信]

user:Treueさんの編集方針および対話姿勢に疑問を感じます。

  1. 「忠実」「正確」な翻訳がいかなる翻訳であるかは文脈依存的であると、Takemitsuさんも指摘されています(また、私も指摘しました)が、どうやらそれ以外の「忠実さ」「正確さ」の基準をTreueさんはお持ちのようです。しかし、それが何であるのか、説明されない限りTreueさん本人ではない私や他の人には分かりかねます。他の箇所も含めて、Treue基準が何であるかが示されない限り、議論が建設的に進行させることができない場面が見られるにもかかわらず、基準をたずねても示さないという「対話」が繰り返されています。率直に言って、対話拒否の疑いを感じています。
  2. さらに言うなら、基準が何であるのかはっきりしないにもかかわらず、専門分野や学会、メディア、当事者などで通用している訳語をあえて拒否し、自らが推す(本人以外には不明確な)基準に基づいて選ばれた訳語を記事名にするべきと主張する一方で、記事名について議論する他ユーザーを「一部のマニア」呼ばわりするなど、その姿勢には、コミュニティとしてのWikipediaへの参加に求められる協調性や他ユーザーへの敬意の欠如を感じます。
  3. 繰り返し書くと「Wikipediaは百科事典であって、何らかの専門事典(翻訳事典、漢語事典、ドイツ政治事典…)等々ではありません。記事名に過剰に凝ったり、翻訳の成立の歴史的経緯の説明に力を傾注するよりも、記事の対象である事象そのものの記述に力を入れるべきです」。しかし、Treueさんが立項に関与されたライヒ首相の記事では、翻訳事典・語源事典の様相を呈しており、必須であるべき帝政ドイツおよびヴァイマル共和制における・ライヒ首相の憲法体制上の地位すら書かれていません。「~時代には…と呼ばれる」しか記述がない、というのはどういうことでしょう。
  4. 翻訳事情や語源問題が無価値だとは言いませんが、“空気を読んで”適切な場所・適切な記事で記事を書けばよいのであって、記事名をやたらアレコレと言う振る舞いには、疑問を覚えざるを得ません。--ikedat76 2006年3月9日 (木) 13:11 (UTC)[返信]

私の投稿は「連邦首相(ドイツ)」に変更賛成の趣旨です。 Takemitsu 2006年3月14日 (火) 11:28 (UTC)[返信]

連邦宰相 (ドイツ)→連邦首相 (ドイツ)への改名について 2006年3月15日22時(JST)時点での集計: 賛成/反対/その他=3(Takemitsuさん、oxhopさん、ikedat76) / 0 / 2(IP、user:Treueさん)

合意はほぼ形成されたと考えます。今週末あたりを目処に、これ以上議論の展開がないのであれば、改名を実行してもよいのではないでしょうか。いずれにせよ、ドイツの首相関係の記事本体の内容の充実が必要なことはかわりないようです。--ikedat76 2006年3月15日 (水) 13:29 (UTC)[返信]

コメント[編集]

ikedat76様に強く非難された者です。ノート:ドイツ軍という他の記事のノートでのことを何回も提示されるなど、どうもこの記事のノートを通じて個人への攻撃を中心とした議論展開がなされているように思えてなりません。Takemitsu様のように本記事についての議論を中心になされることを願います。ikedat76様に対し、Wikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:個人攻撃の除去Wikipedia:ウィキペチケットWikipedia:議論が白熱しても冷静に等に則り、個人的な非難が収まり建設的な対話がなされる状態になるまでしばらくこの項目への意見を差し控えさせて頂きます。Treue 2006年3月17日 (金) 05:38 (UTC)[返信]

個人攻撃ではありません。私は議論の建設的展開を望んでいますが、それに際して、自分と異なる意見をもつユーザーの意見についてよく知りたいと希望しているだけです。
しかし、現時点では、議論の建設的な形成に必要な応答が得られていません。Takemitsuさん、oxhopさん、そして私ikedat76の3人とも、学会・専門分野やメディア等で定訳として定着している「連邦首相」の語を記事名とすればよい、と言っているのに対し、「忠実」「正確」ではないからと「連邦宰相」の語にこだわりを示されるTreueさんに対し、なぜ定訳に反する訳語を主張するのか、理由を知りたく質問を繰り返しているにもかかわらず、“カタカナ転記には反対”以外の応答が得られていません。連邦首相でもカタカナ転記ではないことには違いなく、これでは(定訳に敢えて反対している)Treueさんの主張の根拠が何なのか分かりません。これでは、議論の建設的展開のために必要な情報が得られません。
Takemitsuさんもその可能性を指摘されているとおり、趣味的な問題でそうした主張をしているのだとしたら、ドイツの軍事関係記事の編集に参加しているユーザーに対して投げかけた言葉がTreueさんご自身についても当てはまり、他ユーザーへの敬意の欠如の一方で自分を特別扱いしていると映ります。そうでないなら、なぜ「連邦宰相」の訳語を採用すべきなのか、説得的な理由を示さなければなりません。
私の立場は簡潔であって、学会・専門分野での定訳を採用し、その訳語に問題があるのであれば、記事内で記述すればよい、というものです。また、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかに鑑みれば、訳語のことしか書かれていない記事というのは、改善の余地のある記事と考えざるを得ないと考えます。--ikedat76 2006年3月17日 (金) 13:06 (UTC)[返信]

何度も言うようですが「カタカナ表記には反対」「現時点で連邦宰相か連邦首相とすべきかわからない」というのが当方の趣旨で「連邦宰相という訳語を採用すべき」といった主張を書いた覚えはありません。それとも白黒はっきりしない中立的な意見は書くべきではないということでしょうか?些かikedat76様の思い込みでご判断されて当方を非難されているように思えますが如何でしょうか?

そして、以下の記述を何度もこの記事のノートで書かれる意味を答えてください。当方は以下の記述がこのノートで議論するべき内容とはかけ離れた個人攻撃的な記述であると考えています。ikedat76様がノート:ドイツ軍での当方の失態を何度もこの記事で持ち出すことは、ユーザーの意見についてよく知りたいと希望しているとは思いがたい記述と考えますので、明確な回答をお願いします。

さらに言うなら、基準が何であるのかはっきりしないにもかかわらず、専門分野や学会、メディア、当事者などで通用している訳語をあえて拒否し、自らが推す(本人以外には不明確な)基準に基づいて選ばれた訳語を記事名にするべきと主張する一方で、記事名について議論する他ユーザーを「一部のマニア」呼ばわりするなど、その姿勢には、コミュニティとしてのWikipediaへの参加に求められる協調性や他ユーザーへの敬意の欠如を感じます。

Wikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:個人攻撃の除去Wikipedia:ウィキペチケットWikipedia:議論が白熱しても冷静に等に則り、ikedat76様が、上記のことに対し明確な回答を示し、個人的な非難が収まり建設的な対話がなされる状態になることを願います。Treue 2006年3月18日 (土) 04:19 (UTC)[返信]

私が当初提起した議論は“「連邦宰相 (ドイツ)」から「ブンデスカンツラー」への改名手続きに疑問があるから記事名を差し戻すべきだ”というものでした。したがって、この文脈で有意な意見とは、差し戻しに対する賛否です。しかし、Treueさんの一番最初の発言は訳語選択の経緯であって、賛否表明ではありませんでした。議論の形成(差し戻すべきか否かの決定)に少なくとも寄与できない(判断がつかない)のであれば、発言をお控えいただくべきでした。

連邦首相の訳語について「同意も反対も出来ません」と明言しておられます。定訳があるという他のユーザーの指摘がある文脈の中でこの発言を読むと、専門家たちが合意している訳語に同意できない、と述べていると読み取れます(Takemitsuさんもそう理解されています)。これはきわめて強い主張であって、その根拠が知りたいと考えましたが、満足な回答が得られませんでした。そこで、投稿履歴や他の記事での発言からどういう考え方のユーザーなのかを把握しようと努めた結果、上記の指摘のような結論に至りました。他記事のノートと書いておられますが、本記事を対象に含む議論が行われていたのであり、Bundeskanzlerの訳語に関するTreueさんの発言もその文脈で出てきたものであり、無関係ではありません。

この基準の提示なしに、定訳に疑義をさしはさむという主張を繰り返す振る舞いについて、疑問を呈しているのも私一人ではありません。Takemitsuさんも漢語マニア的で専門分野での状況からしても疑問だと述べておられます。そのようなマニア的と受け取られかねない振る舞いをする一方で、他ユーザーを「一部のマニア」呼ばわりするのは、Wikipediaコミュニティにおいて歓迎されない、自分を特別扱いする態度と解釈せざるを得ません。それは同時に、この記事においての議論の建設的形成にとって問題的です。

また、「失態」であったと書いておられますが、その旨の発言はたった今ここで初めて拝見したのであって、それではTreueさんではない私にわかりません。ノート:ドイツ軍での発言についてに限り、失言を認められたことは了解します。

しかし、根拠を明らかにしないままに強い主張をしている、という指摘は依然として妥当していると考えます。Treueさんがまずするべきは私もTakemitsuさんも不可解に思っている、Treueさんの基準を明示することです。個人攻撃を口実に議論の破綻を取り繕うことではありません。それがない限り、批判は撤回できません。--ikedat76 2006年3月18日 (土) 07:25 (UTC)[返信]

私も連邦首相への改名には賛成ですが、Ikedat76さんが過剰に攻撃的であるという点でTreueさんに同意します。「逡巡している理由」をTreueさんは明確に「原語が同じであるのに訳し分けるのは適切か」という点であると述べておられます。理由を述べていないという批判は不適切です。また「態度」に対する非難も行き過ぎであると思えます。少なくとも、こちらのノートでは、Treueさんは紳士的に発言しておられます。Clinamen 2006年3月18日 (土) 08:04 (UTC)[返信]
  1. 賛否表明が求められている文脈で、(賛否表明ではなく)個人の執筆上の思案を開陳するのが、議論の形成に対する適切な寄与でしょうか?
  2. 「原語が同じであるのに訳し分けるのは適切か」と言っておられるのも知っていますが、それは理由ではなく論点です。そして、それは同時に、専門家たちによって同意された定訳(の訳し分け)に対する異論に他ならないばかりか、翻訳に関する常識的理解(文脈依存的に訳し分ける)とも背反するものです。それゆえ、なぜかかる論点が提出されなければならないのか、理由を尋ねているのですが、「忠実」「正確」等の語を繰り返すばかりで、応答になっていません。なおかつ、この場のように公開の議論の場に開示された記述である以上、他者による何らかの検討にさらされるのは当然のことで、それが嫌なら開示しなければよかったのです。
  3. Treueさんは“逡巡している”とご本人およびClinamenさんはお書きですが、2006年2月21日 04:12 (UTC)付けで「自分としては外務省の表現である「連邦首相」にするべきか忠実性の「連邦宰相」にするべきかの議論をもっと加速させていくべきと思います」と、連邦宰相の語に強いrecommendation(「忠実」)を与えておられます。これが逡巡している人の発言なのでしょうか? 逡巡の末に他者の意見を求めるなら、それなりの書きようをしていただかなければこちらも分かりません。
  4. このように、説得的な理由のないままに独自の主張を通そうとするなら、それは充分に「趣味的」「マニア的」です。そのようなことをしながら、他方では他のユーザーを「一部のマニア」呼ばわりする態度は、他ユーザーへの敬意の欠如に充分に値します。
  5. 紳士的であるかどうかは問題ではありません。「紳士的に」であれば質問をはぐらかしてよいのでしょうか。
  6. 批判を受けて、自らの論点を維持しがたくなった末に、自らの議論の性格を事後的に変更し、他者に責任転嫁しているだけだと判断します。氏の論点に疑問を呈しているのは私ひとりではないことに注意してください。--ikedat76 2006年3月19日 (日) 02:32 (UTC)[返信]

ikedat76様の見解にいくつかお答えしておきます。

1.「この文脈で有意な意見とは、差し戻しに対する賛否です。しかし、Treueさんの一番最初の発言は訳語選択の経緯であって、賛否表明ではありませんでした。議論の形成(差し戻すべきか否かの決定)に少なくとも寄与できない(判断がつかない)のであれば、発言をお控えいただくべきでした。

賛否表明が求められている文脈で、(賛否表明ではなく)個人の執筆上の思案を開陳するのが、議論の形成に対する適切な寄与でしょうか?」→このようなルールはこのサイトで当方は初めて知りました。以後気をつけます。よろしければ、ソースとなるウィキのルールをご提示下されば幸いです。

2.「専門家たちによって同意された定訳(の訳し分け)に対する異論に他ならないばかりか、翻訳に関する常識的理解(文脈依存的に訳し分ける)とも背反するものです。それゆえ、なぜかかる論点が提出されなければならないのか、理由を尋ねているのですが、「忠実」「正確」等の語を繰り返すばかりで、応答になっていません。」

「Treueさんの基準を明示することです。個人攻撃を口実に議論の破綻を取り繕うことではありません。それがない限り、批判は撤回できません。」→ikedat76様の基準を求めていることについてですが、何度も同じことですが、自分の意見は「どうこうすべき」という意見ではなく「どうするべきかわからない」という意見です。「どうすべき」ではなく「わからない」という基準というのは自分の意見形成も踏まえて十分に記述させて頂いたつもりですし、これ以上に述べることは何もありませんよ。

また==コメント==における当方の趣旨は「批判の撤回ではなく」「建設的な議論の形成」です。 ikedat76様御自身が当方に対しどうこう感じていても、それはikedat76様御自身の考えであり、訂正を求めるつもりではありません。Wikipedia:個人攻撃はしないWikipedia:個人攻撃の除去Wikipedia:ウィキペチケットWikipedia:議論が白熱しても冷静に等に則り、ノートでの個人的な非難が収まり建設的な対話がなされる状態を望むだけです。

3.他者の意見を独自解釈し、決め付けでことをすすめていくことには深い疑問を覚えます。他者の意見というのはその人自身の意見であって、不十分な要素、少なくとも理解できていない段階での断定的な言動はトラブルを生じる要素であることを十分に考えて今後行動していかれた方がいいでしょうね。

4.「説得的な理由のないままに独自の主張を通そうとするなら、それは充分に「趣味的」「マニア的」です。そのようなことをしながら、他方では他のユーザーを「一部のマニア」呼ばわりする態度は、他ユーザーへの敬意の欠如に充分に値します。」

「また、「失態」であったと書いておられますが、その旨の発言はたった今ここで初めて拝見したのであって、それではTreueさんではない私にわかりません。ノート:ドイツ軍での発言についてに限り、失言を認められたことは了解します。」→ノート:ドイツ軍でのことについてこのノートで記述することはありません。混同を来たします。何故このノートで何度も執拗に記述されるのか感情的なものを感じざるを得ません。

5.質問をはぐらかしてよいのでしょうか。→すべてに答えています。ikedat76様が「はぐらした」と捕らえるのは自由ですが、ご自身の解釈ですべてを決め付けるやり方には大きな疑問を感じます。

6.「氏の論点に疑問を呈しているのは私ひとりではないことに注意してください。」

「この基準の提示なしに、定訳に疑義をさしはさむという主張を繰り返す振る舞いについて、疑問を呈しているのも私一人ではありません。Takemitsuさんも漢語マニア的で専門分野での状況からしても疑問だと述べておられます。」→Takemitsu様には後に意見を送っておきます。

ikedat76様に対しもう最後させて頂きます。これ以上の討論をこの記事のノートで行うのはこの記事に対して失礼なので。ikedat76様は、他者の考え(少なくとも当方の考え)がわからない中で「理解できない」という理由のみで他者の考えをご自分で推し量って解釈し、ことを進めることは如何かと思います。自分は「どうこうするべき」と言った考えを記述させて頂いたわけでもありません。「意見」を記述したことに何が不満であったのか不思議なところです。当方の考えは現時点で今まで記述させた頂いたことがすべてでそれ以上のものはありません。「相手の意見の本論は何か?」というのは常に考えて以後このサイトで他者との討論に役立てて下さい。また、ikedat76様がドイツ関係がお詳しいのであれば、ドイツ語の詳しいユーザーはまだまだ少ないと思いますので、まだ翻訳されてないドイツ語版記事の執筆での御活躍を願っています。Treue 2006年3月19日 (日) 03:48 (UTC)[返信]

被害者面で逃げたいというのであればご随意に。
「どうするべきかわからない」ことなど無いと他の方々も指摘されているにもかかわらず、依然として「わからない」とTreueさんが言い続けるその理由を知ることは、「建設的な議論」のために必要なことです。そしてそのためにこそ質問をしましたが、答えが得られていない以上、他人に意見を理解させる努力を欠いていると見なされても仕方が無いでしょう。理解できない意見は尊重しようがありませんし、尊重すると言うことは同意を与えることとは何の関係もありません。
また、議論の進行上必要なものがもたらされないことに対する批判を個人攻撃と反発する以上、Treueさんが求められていることは事実上“批判の撤回”を意味します。しかし、批判点に依然として変化が無い以上は、撤回不能と判断します。
誤読だというなら、誤読を招かない文章をお書きいただくべきでした。Takemitsuさんに意見を求められるのも結構ですが、前節で氏がされている指摘をよくご覧ください。手厳しい表現こそないにせよ、私と趣旨において同一ですよ。「「相手の意見の本論は何か?」というのは常に考えて以後このサイトで他者との討論に役立てて下さい。」--ikedat76 2006年3月21日 (火) 03:49 (UTC)[返信]

結論[編集]

"Bundeskanzler"を「連邦首相」と訳すこと、記事名を「連邦首相 (ドイツ)」とすることについて。

  • 賛成: 4票(Takemitsuさん、ikedat76さん、Clinamenさん、oxhop)
  • 反対: 0票
  • 棄権: 1票(Treueさん)

本件については、これで一件落着としましょう。移動先の「連邦首相 (ドイツ)」の削除依頼を出しましたので、しばらくお待ち下さい。--oxhop 2006年3月21日 (火) 12:22 (UTC)[返信]