ノート:赤毛のエイリークのサガ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

ビャルンエイ島の発見について[編集]

「カルルセフニの探検」の項で、前段に「ビャルンエイ島を目指した」とありながら、後段に「島を見つけた。. . . ビャルンエイ島(熊の島)と名付けた。」とあり、矛盾しています。確かにビャルンは熊、エイは島なので、後段の記述は間違いないものと思いますが、前段がたとえば「ビャルンエイ島に至る航海に出発した」の誤りなのか、あるいは島名が間違っているのか、資料をお持ちの方はお確かめいただけないでしょうか。--Hibiki-c 2010年7月26日 (月) 12:18 (UTC)[返信]

初版執筆者です。訳書を確認したところ、「一行百六十名で、まず西部植民地に向かい、そこからさらにビャルンエイ島へ航海した」(188頁)とあり、その直後に「<森に覆われた陸地の>南東の方角には島があった。その島で一頭の熊を仕止め、以降そこをビャルンエイ島(熊の島)と呼び、本土側をマルクランド(森の地)と名付けた」(188頁、<>内は引用者による)とあります。執筆時は「ビャルンエイ島へ航海した」という訳語を「ビャルンエイ島(の存在を知っていてそこ)を目指した」という意味で解釈しましたが、あるいは単に「ビャルンエイ島の方向に航海した」という意味なのかもしれません。そのほうが矛盾もなく自然ですが、サガ自体、中世に書きとめられたものなのでもともとのテキストから矛盾している、ということも有り得ると思います。原文を読めない私には測りかねますので、古ノルド語の原文に当たれる方にご教示願いたいと思います。--Miguel de la Mancha 2010年7月26日 (月) 17:08 (UTC)[返信]