ノート:論理包含

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統合提案[編集]

論理包含演算」と「条件文」は同じものについての記事で、内容もかなり重複しているので、統合したいと思います。統合後の記事名は「論理和」「論理積」などにあわせ「論理包含」としたいと思います。「条件文」を「論理包含演算」に統合し移動します。「条件文」は曖昧さ回避にします。--U3002 2007年6月28日 (木) 13:09 (UTC)[返信]

Logical and material implication[編集]

Hi, in the english wikipedia there is a link to this article from (entailment), but this article seems to be about the . Please check if the link is correct, and change it if not. I can not figure out, if the entailment article exists in the japanese wikipedia. Lipedia 2009年7月27日 (月) 16:57 (UTC)[返信]

It looks like there is a confusion in the article on the distinction between these two. In the introduction it more or less suggests that the subject is an "operator" (rather than a "statement") so that en:material implication is more appropriate. On the contrary, in the section "論理包含と条件文の関係", it is suggested that some logicians make distinction between "論理包含" (implication) and "条件文" (conditional), the former being "assertive" while the latter "anticipatory". Since I donnot have Japanese text around me right now, I cannot say which is which, but I agree that at least the distinction about the truth value operator and the statement that the value of this operator being true should be made clear and consistent within this article. --Makotoy 2009年7月29日 (水) 09:58 (UTC)[返信]

包含記号(⊃)について[編集]

論理包含の記号のバリエーションとして、 ⊆ が挙げられていますが、これは本当に使われているんでしょうか?一般的な論理の教科書などでは反対向きの ⊃ を使っています。歴史的にもこの記号が有名です。たとえば、http://d.hatena.ne.jp/m-hiyama/20061202/1165020456 など。なので、「集合の包含関係とはなぜか違う向き」という覚え方をしている人のほうが多い気がします(根拠はないですが)。このサイトによると歴史的には C の逆さ向きらしいです。--DOSEI 2009年8月2日 (日) 15:33 (UTC)[返信]

ご指摘のように、C の逆さ向き記号はペアノが使い始めたものです。記号(⊃)はラッセルがペアノに倣って使い始めたものです。⊆ の使用例は見つけられませんでしたので、記号の節を作って書き直してみました。不十分な所がありましたら、修正おねがいします。--敷島健一 2009年11月21日 (土) 16:49 (UTC)[返信]

例に挙げられている「数学的な例」の改善の提案について[編集]

この例を読んだときに、いくつか問題があるように感じました。 第一は、「千円以上持っている人は百円以上持っている」という文(命題)を、数学記号を用いて記述したときに、「x ≥ 1000 ⇒ x ≥ 100」と表すことができるとしていますが、あまり正確な記述ではないと考えます。日本語文を書き直したものとして、「とある人物Aは千円以上の金x円を所持している」という述語(命題)をP(x)、「とある人物Aは百円以上の金x円を所持している」という述語(命題)をQ(x)とするとき、「∀x ∈ N(P(x)Q(x))」という述語論理式に書き直せるのは正しいと思います。 その後の文に、「述語論理式」としての命題であるということの説明がなされています。これにより、この例の主張が正しいことが示されています。しかし、このように、後から正確さを補うという説明の仕方は、誤解を生みやすい記述であるとも考えております。 また、そもそも「述語」というものが、「具体的な(論理)変数を入れない限り、それが命題とはならない」ということにも、今の説明以上に注意を払う必要があると考えます。それとも、説明のし過ぎでしょうか。 第二は、具体例として金銭の「円」の単位を用いることで、「一円単位の数の幅」を意識してしまっていることです。上に挙げた述語論理式「∀x ∈ N(P(x)Q(x))」では問題になりませんが、「任意の x に対して x ≥ 1000 ⇒ x ≥ 100」という主張は、特別xが自然数であることを要求していません。確かに、日本語の主張する命題を見れば明らかであり、指摘をするまでもないように思われますが、やはり正確な記述という点から考えたときに、曖昧にするべきではないと考えております。 よって、以上2つの点から、例のほうを少し改善すべきではないかと考えております。 例えば、 「述語P(x)を「xは6の倍数である」とし、述語Q(x)を「xは3の倍数である」とする。このとき、以下に挙げる論理述語式について、「P(12)Q(12)」は真、「P(9)Q(9)」は真、「P(4)Q(4)」は真であることがいえる。 また、ある自然数xについて、P(x)が真で、Q(x)が偽となるxは存在しないことは明らかである。そのため「すべての自然数nに対して、P(n)Q(n)」は恒真であることが成り立つ。そこから、「すべての自然数nに対して、P(n)Q(n)」というように推論することができる。 P(x) , Q(x)の真理集合をそれぞれA , Bとすると、ABとなる。このことが、「⇒」が「論理包含」と呼ばれる所以である。」 という例を提案します。ここでは、「P(n)Q(n)」のように真偽が定かではないときに「→」を、「すべての自然数nに対して、P(n)Q(n)」のように命題が恒真であるときは「⇒」を用いています。

上に挙げた例よりもいい例がある方は、そちらを採用する方が好ましいです。

それでも、既存の例を採用するようでしたら、以上2つの点を見直して改めるべきだと考えております。 長文失礼いたしました。--大原竹男会話2016年2月16日 (火) 11:54 (UTC)[返信]

その部分はもう8年も前に、既存の例の代替として私が書いたものですね。当時の要約欄にコメントしたように、所詮エッセイに過ぎませんので、適切に書き直して頂いたり、いっそ省いて頂く分には異論はないのですが、大原竹男さんの主張もややちぐはぐに感じられるので、一応レスしておきます。
  • まず、当該部分は「論理包含」と呼ぶ由来を説明するのが主眼ではなく(それはおまけです)、当節の冒頭に宣言しているように、Pが偽ならば「PならばQ」が真と定義することを初学者に納得してもらおう、という趣旨です。
  • その程度の初学者を読者に想定しているので、必要以上に正確さを期すのは、かえって理解の邪魔になると思いました。正確さを期すならば、「その人の持っている金額を x 円とすれば」などと補うなどが考えられますが、冗長さを避ける為に意図的に省いたものです。その程度を補うならばまだしも、P(x) とか書いたら、初学者は読んでくれないでしょう。
  • 「後から正確さを補うという説明の仕方は、誤解を生みやすい」:そういう面もあるかもしれませんが、そういう記述は多くのテキストに見られます。まあ、好みの問題でしょうか。
  • x が自然数を動くか実数を動くかは、議論に全く影響はありません。気にする必要のないことでしょう。
--白駒会話2016年2月17日 (水) 02:09 (UTC)[返信]
白駒さん回答ありがとうございます。まず初めに、気分を害されたとしたら謝ります。もう一つ、私の勉強不足で物を言ったことを謝ります。
まず、由来の説明に関しては、白駒さんにならって加えたものですので、当方もこちらは主たるものではないとの認識でおります。
次に、百科事典の性質として、読者のことを考えれば、正確さが理解の邪魔になることを忘れていました。よって、P(x)など導入するのはもってのほかです。必要ならば、xの説明を加えるにとどまるべきだと思いました。
次に、使用しているxの全体集合を明らかにしないまま、「任意のx」としてしまうと正確ではないというのが主張ですが、自然数であることは自明なので、これも不必要かと思います。
なぜ、このように至らない私が提案をしてしまったかということを説明させてください。
私は、数学でつかわれている「ならば」というもの(矢印であらわされるもの)を調べているときにこのページにたどり着きました。「PならばQ」と言う命題がPが偽であるときは必ず真になるという定義を習いました。丁度良くこのページには例が書いてあったので、この例を見ました。そのとき、「x<1000のときも真となるために定義が理解される」のところがあまりよく理解できませんでした。そのときは、Pが偽でQが偽のときに真であるというのが納得できなかったためです。さらに、このページの用語の言い回しが、数学で使われる「ならば」の周辺の用語と多少差異があり、混乱していることもありました。(仮定と結論 が 前件と後件 等)
今は、定義であるというように心得ていたり、あるいはPが偽の時はQがどうであれ「話にならない」とされ真となる(自分個人の勝手な覚え方)として理解しています。今回の提案をしたことによって、表現の意図がわかりました。
当時のことを振り返れば、「任意」の説明は本筋からずれるとしても、「任意のxというように、xが500のときや1のときでも真となるためには」と多少長くはなりますが、改めると、私みたいなよっぽど気づかない初学者にもやさしい説明になるのではないのでしょうか。失礼しました。--大原竹男会話2016年2月18日 (木) 22:10 (UTC)[返信]

en:Material implication


疑問点[編集]

「記号」セクション[編集]

- 1889年のペアノの書籍においては、まず「Cの逆」が論理包含関係として導入され、その後に集合の包含関係に対して同じ記号が導入されています。そして「集合と命題に対して同じ記号を用いるが文脈から区別できる」という言及があります。ですから、むしろ逆で、これらの記号には密接な関係があるという見方ができるのではないでしょうか。なお、原典のラテン語-英語の対訳がこちらにあります: https://github.com/mdnahas/Peano_Book/blob/master/Peano.pdf --shinsa82会話2021年1月16日 (土) 17:38 (UTC)[返信]

賛成
たしかに、ペアノのƆが⊂(⊃ではない!)も意味することは、記号の濫用以上の意図がありそうですね。このトピックのある総説を読む限りでも、集合をモデルに説明しているので、集合論的な意味論を通じた「密接な関係」があると言えそうです。その際にƆと⊃との混乱についても触れてます。--Wint7会話2022年8月10日 (水) 23:19 (UTC)[返信]
完了
このスレッドのリンク先2つを出典として、疑問点の部分を解消しました。--Wint7会話2022年10月16日 (日) 13:32 (UTC)[返信]