ノート:般若心経

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の:>これまでの議論:2005年5月28日(土)15:06の版2005年8月31日 (水) 11:23の版参照

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空海と般若心経の部分に明確な誤記あり(訂正要求)[編集]

>>空海は主要な般若経典を集大成した玄奘訳『大般若経』600巻の総要ともしているが、『大般若経』には収録されていない。

この部分は明らかな誤りです。空海の『般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)』には、

「或が云く、大般若経の心要を略出するが故に心と名づく。是れ別会の説にあら不と云々。所謂(いわゆる)龍之蛇鱗(りょうのだりん)有るが如し」

とあります。空海は「秘鍵」において“般若心経は大般若菩薩の大心真言を説く陀羅尼経典”と位置づけ、般若心という経題も「ギャテイ ギャテイ…」の大心咒が説かれる故であるとします。ですから上記の一文は「(顕教の)者は般若心経を、“『大般若経』六百巻の心髄”であり“大般若経と別の会場(えじょう)で説かれたものではない”というが、それは龍に蛇の鱗があるからといって、両者が同じだというようなものである」と、つまり般若心経と大般若経に似た文言があるからといって両者を同じとしてはいけない、と批判し「『般若心経』を『大般若経』600巻の総要」とする立場とは正反対の考えです。さらには「秘鍵」では

「此の経に数(あまた)の翻訳あり。第一に羅什三蔵の訳、今の所説の本是れなり」

と述べ、『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』の訳経者は「鳩摩羅什」とし、対して

「次に唐の遍覚三蔵の翻には、題に仏説摩訶の四字無し。五蘊の下に等の字を加え、遠離の下に一切の字を除く。陀羅尼の後に功能(くのう)無し」

と大遍覚三蔵、つまり玄奘の訳した「般若心経」は、経題は『般若波羅蜜多心経』であり、『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』ではないとしています。さらにはこの一文からも、羅什訳『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』には「功能文」が付いていたことがうかがわれます。ですから、

>>空海請来(806)と称す玄奘訳とされる写本『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』

という部分もあきらかな誤りです。空海の『御請来目録』に「玄奘訳『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』」は存在しません。

空海の名をあげながら、弘法大師の思想とまったく正反対の記述をするのは問題があります。記事を訂正すべきでしょう。

参考 『般若心経秘鍵入門』(村岡 空:大覚寺出版部) 『般若心経の歴史的研究』(福井文雅:春秋社)

(2005年12月6日 (火) 11:11ー2005年12月7日 (水) 06:06 Yamakazudd51さん)

般若心経秘鍵について[編集]

現在、この般若心経の項目については、『般若心経秘鍵』に関する内容が混在し、仏教の専門家ではない大多数の一般の閲覧者にとって大変読みにくい状態となっております。

 また、般若心経は項目内に於いても述べられておりますが、真言宗以外の宗派に於いても愛用されているのですが、今の状態では真言宗一派に重点が置かれ過ぎているように思われます。特定の一派に偏重する事は、Wikipediaの基本精神である中立性重視の思想と相容れません。

そこで、般若心経秘鍵に関する内容を般若心経秘鍵の項目に移項させ、般若心経本体をどの宗派にもよる事のない中立的な内容にした上で、更に読みやすくしたいのですが、構いませんでしょうか。--Kstigarbha 2005年12月20日 (火) 11:21 (UTC)[返信]

 Kstigarbhaさんへ 賛成です。
>>般若心経秘鍵に関する内容を般若心経秘鍵の項目に移項させ、般若心経本体をどの宗派にもよる事のない中立的な内容にした上で、更に読みやすくしたいのですが

般若心経秘鍵は空海の般若心経の見解ですので、般若心経秘鍵に言及すれば、真言宗(空海)的にならざるを得ません。 永年の宗派的見解の相違を俄かには統一できかねますし、般若心経は真言宗的見解だけではありませんし。 空海の般若心経秘鍵は別項で述べるだけの値打ちはあるでしょう。期待しています。

>>大変読みにくい状態
 これも本当ですね。

--Soten 2005年12月23日 (金) 12:54 (UTC)soten[返信]

移転させてみました。私は他宗派の人間ですので真言教学に詳しくありません。詳しい方に加筆して頂ければと思います。また、Wikipediaは研究発表の場ではありませんので、学説の説明部分等を除きました。研究発表は印仏や智山学報、豊山学報、川崎大師紀要などでおやり頂ければと。ウィキペディアは万人向けの事典ですので、評価が確定していない説を載せますと、悪戯に一般信者の方々を混乱させるだけかと存じます。評価が確定した後に『般若心経』の学説の1つとして、短文の形で載せる事は問題ないかと思います。以前の版のように、学説がメインとなってしまっては本末顛倒です。--Kstigarbha 2005年12月30日 (金) 23:57 (UTC)[返信]

『悪戯に』→『徒に』でしょうか。Wikipedia は何らかの信者を利用者として想定しているわけではないのではありませんか? 真正な信者であれば Wikipedia で自分が信ずる説を否定する見解を読んだとしても、混乱することもありません。特に般若心経に関しては、先人の説を真実と看做してしまった一般向けの書物や、WEB サイトが極めて多いために誤解されている傾向があり、それを啓蒙するためにも各学説を公平に紹介する必要があると考えます。 2007年1月2日 (火) 08:08 (UTC)[返信]

初音ミクのリンクはどうかと思います。コメントに(笑)とは真摯な態度とも思えません。ただし編集合戦になるので敢えてリバートはしません。諸賢の判断をお願いいたします。 2007年12月24日 (月) 10:16 (UTC)[返信]


経文に振り仮名を振る事が出来るならば振ったほうがいいと思います。--マルク・ファイヤー 2011年9月13日 (火) 14:45 (UTC)[返信]

参照方法タグと言葉を濁さないタグについて[編集]

私は全くの門外漢ですが、門外漢も目にする機会の多い重要な仏教系記事としては、あまりに問題点が気になりましたので、タグを二つ付けさせて頂きました。

  • まずTemplate:参照方法を添付しました。これには詳しい説明は不要でしょう。極めて重要な記事でしかも量も多く書かれているのに、参考文献がただ「列挙」というのはちょっと如何なものかと思います。
  • 以下、具体的事例を挙げましたが、Wikipedia:言葉を濁さないに抵触する表現があまりに多く、門外漢で無ければ大幅に削除するか、もしくはTemplate:誰2Template:要出典範囲を貼り付けて回って居るところです。Wikipedia:言葉を濁さないに則った改善を期待したいと思います。
    • (具体的事例)「仏教の持つ呪術的な側面が特に強調されている。」「『般若心経』といえばこれを指すことが多い。」「陀羅尼の経典であるともいわれている。」「般若経典としては極めて特異なものと言える。」「中国で経として扱われるようになったのではないかという説もある。」「この頃に成立したものと推定する説がある。」「呪文による儀礼が先に成立していたという説もある。」「後者は大蔵経収録の羅什訳 『摩訶般若波羅蜜大明咒經』ともされている」「鳩摩羅什訳であるということも疑われている。」「鳩摩羅什訳と同様に玄奘訳であるということが疑われており、偽経説の根拠の一つとなっている。」「玄奘訳としてまとめられたものではないかとする説もある。」「一部には悪霊の力を「空ずる」という解釈もされた。」「一般の人々にとっては、「空」を説く経典と言うより、むしろ、「霊験あらたかな真言」の経典として受け止められており、」「一部には悪霊の力を「空ずる」という解釈もされた。」「平癒を祈願したりした人が多い。」--Kinno Angel会話2013年3月27日 (水) 11:31 (UTC)[返信]

浄土真宗における般若心経について[編集]

浄土真宗において、お墓の中に燃やす祈祷文として般若心経を一人九枚、何人分なのかはわかりませんが、かなりの数をボールペンで写経させて、墓に入れる時に燃やすそうです。ぼくが読んだかぎりでは、般若心経は、五感や意識がなくなり、無我に至り、空に至る、すなわち存在するのか存在しないのかもわからなくなり、涅槃に至る、つまり、解脱することを死者に対して、大神、大明、無上の呪として呪縛する祈祷文です。死者への祈りとしては申し分ありません。--バンパー会話2014年7月3日 (木) 14:40 (UTC)[返信]

訂正します。浄土真宗に般若心経は使いません。どうやら、他宗のセミナーに個人的に参加した親が新しく始めたことであり、他宗のものです。--バンパー会話2014年8月12日 (火) 23:04 (UTC)[返信]

浄土真宗では般若心経を読まないという意味は、「浄土真宗では般若心経を唱えることはご遠慮ください」「般若心経は、浄土真宗ではご遠慮ください」という意味でしょうか?--180.198.33.143 2022年6月26日 (日) 02:08 (UTC)[返信]