ノート:筒井氏

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「子孫」の記載について[編集]

  • 大分県の国東の豊後高田の筒井一族が本家筋の家系であることを表明するものが「筒家里」なのでしょうが、まずどこで読めるのかすら分からない資料ですし信頼に足る資料なのでしょうか。このように本家筋に近いことを表明する「筒井」さんは昔から多く、資料をでっち上げる話は聞きます。信憑性のない根拠で本家争いをやっているばかげた人も多いです。
  • そもそも、室町時代から「筒井党」は分家筋が多かったので、ちゃっかり定次系を標榜しちゃう家もあり、「筒家里」を元に子孫とするのは、「One of themな根拠に引きずられている」と思います。こういった説をいちいち全て取り上げるのは、混乱を招きます。
  • 例えば、私も「筒井」ですが、自分の家系は、江戸時代初期の筒井党大分裂の際に、佐賀の鍋島家に仕官した筒井党4家の末裔らしいですが、きちんとした根拠文書はありません。
  • きちんと営々と信頼に足る文書が残った(幕府にも公式文書がある)のは、旗本として存続した2つの筒井家くらいです。
  • よって、この項目は、いったん削除されてはいかがでしょう。--Oygs221会話2015年4月27日 (月) 14:42 (UTC)[返信]
同じ豊後国である大分市の鶴崎に近い高田地域(江戸時代は細川氏の所領)において、筒井党の一族が細川家に仕官し、ここに住み着き、今もなお「筒井」という姓の家が多くある地域があります。同じ豊後国で、一方は筒井という姓を明治時代初期まで秘匿し続け昭和に入って定次直系を標榜する家系図を出し、もう一方は、細川に仕官して江戸時代から筒井と名乗って堂々と役職に就いていたわけです。豊後国は小藩分立という事情はありますが、ちょっと不思議な感じはあります。--以上の署名のないコメントは、123.216.112.68会話)さんが 2015年5月5日 (火) 03:20 (JST) に投稿したものです(Dong1jin4による付記)。