ノート:端午

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「古くは薬球を作り、贈りあった。 」ってどういうことをしていたんでしょうか。ご存知の方、書き足しをお願いします。Mishika 08:09 2004年4月26日 (UTC)

これはどうも「薬球」ではなく「薬玉(くすだま)」のことのようですね。まずそこだけは書き換えます。Corwin 08:18 2004年4月26日 (UTC)

2009/5/30 の加筆について[編集]

2009/5/30 の加筆(こちらの加筆、Yonoemonさんによる)ですが 、いろいろ疑問があります。

風俗通義では端午と夏至に粽を食べる
『風俗通義』にそのような文はないようです。下に引く周処『風土記』の誤りではないでしょうか。
仲夏端午 烹鶩角麦黍
「麦」は衍字ではないでしょうか?
『荊楚歳時記』には(中略)屈原の故事は端午とは元来無関係
出典として引かれている『荊楚歳時記』に「五月五日競渡、俗為屈原投汨羅之日」(p.42)とはっきり書かれています。
『荊楚歳時記』には(中略)「以五彩絲係臂、名曰辟兵、令人不病瘟。」
こちらこそ『風俗通義』の逸文ではないでしょうか。上の出典でも確かに p.43 に見えますが、夏至のこととしているようなので、『風俗通義』の方がよいように思われます。

--Pekanpe会話) 2016年4月18日 (月) 20:22 (UTC)下線部の追記 --Kiyoweap会話2020年8月21日 (金) 08:41 (UTC)[返信]

調べて書き直しています。
@Pekanpeさん:『荊楚歳時記』にある"俗為屈原投汨羅之日"の文は、<屈原がこの日に入水したというのは"俗説"だ>と読めます。
そのあとでは曹娥の故事を取り上げ、漢代では伍子胥がこの日に祀られる対象であった、"屈平[=屈原]は関せずなり(不關屈平也)"と明言してますよね。
ですので"屈原の故事は端午とは元来無関係"というのは、歳時記の論旨に沿っていると思います。
一方"『荊楚歳時記』には荊楚地方では夏至に粽を食べるという記録が残されるのみ"というYonoemonさんの記述は訂正させてもらいました
(参:林芬蓉[1]のp. 119の注20: "これはもと呉均(梁)の『続齊譜記』にあった話であり,それを『剤楚歳時記』が引用したと推測できるということである"。)--Kiyoweap会話2020年8月21日 (金) 08:41 (UTC)[返信]
Kiyoweapさん、編集ありがとうございます。『荊楚歳時記』が「屈原がこの日に入水したというのは"俗説"だ」と言っている、というのはおっしゃる通りです。「中略」してしまいましたが、もともとこの箇所には「『荊楚歳時記』には荊楚地方では夏至に粽を食べるという記録が残されるのみであり、粽と屈原の故事は端午とは元来無関係であったと考えられる。」と書いてあり、この文章を普通に読むと「元来無関係」といっているのは記事を書いた人の判断であり、『荊楚歳時記』には屈原について何も言っていない、という意味に取れます。そうではない、ということが言いたかったのでした。--Pekanpe会話2020年8月22日 (土) 06:34 (UTC)[返信]