ノート:無限の猿定理

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訳出時の疑問[編集]

解決済み文献参照を修正。引用については継続して作業。

なぜか日本語版になかったので、英語版から翻訳してみました。すこし推敲してから、新着記事にでもだそうか。

  • アリストテレスは、〔…〕原子自体はそれぞれ類似的だが、形態、配列、位置の差別が起こりうるのだと説明している。彼はこの考えかたを、同じような「原子」つまりアルファベットの文字から悲劇でも喜劇でも作り出せるということにたとえている
    • 前半。en:infinite monkey theoremでは「配列」(ordering) と「位置」(position) のみを挙げていましたが、アリストテレス『形而上学』(Metaphysica) でもボルヘス『完全な図書館』(La biblioteca total) でもこれに加え「形態」(shape) を挙げていますので、修正しました。英語版も修正しておきます。
    • 後半。これは『完全な図書館』には見えますが、少なくとも『形而上学』には見えない記述です。キケロ『神々の本性について』(De natura deorum) では、引用箇所の直前を読めばわかるように、宇宙の誕生に関する原子論者の理論の譬えとしてテクストの生成を持ち出してきているにすぎません (「黄金製であれ何であれ」というのは、アリストテレスによる「資料」(ヒレー) と「形相」(エイドス) の峻別を意識しているのでしょう)。考えにくいですが、ボルヘスの勘違いの可能性もありますね。{{要出典}}を貼りました。しばらく待って出典が追加されないようなら、記述を除去してください。 --Hatukanezumi 2008年10月5日 (日) 06:09 (UTC)[返信]
      スペイン語原文をよく読んだら、『生成消滅論』(De Generatione et Corruptione)にあるとちゃんと書いてありますね。『生成消滅論』を確認して問題なければ、{{要出典}}ははがすことにします。 --Hatukanezumi 2008年10月6日 (月) 13:31 (UTC) 確認。文字からテクストが生成されるたとえ自体は『生成消滅論』にあります。冒頭定義文も変えました。英語版も修正しておきます。 --Hatukanezumi 2008年10月11日 (土) 06:50 (UTC)[返信]
  • ボルヘス『完全な図書館』の引用は、翻訳された資料を入手できていないので、仮訳です。入手できたら引用を差し替えます。ケストラーも同様 (なお、『機械の中の幽霊』(The Ghost in the Machine) は入手しやすく年代も早いので追記しました)。キッテル、キケロについては翻訳された資料からの引用です。そのほかの引用は独自に訳しました。ハクスリーの発言はやや脚色しすぎかもしれません。 --Hatukanezumi 2008年10月5日 (日) 06:09 (UTC)[返信]

とりあえず問題点は解決しているので、この節は閉じます。引用については、今後日訳文献が見つかれば差し替えてください (ただし、引用の要件を満たすことにはじゅうぶん注意を払ってください)。 --Hatukanezumi 2008年10月16日 (木) 13:24 (UTC)[返信]

「進化」の節の改稿[編集]

「進化」の節の編集をした際、間違えて細部の編集にしてしまいました。申し訳ありません。実際はかなり大胆な編集ですのでこちらで報告させていただきます。当該節の中で、誤訳と思わしき部分を中心に改稿しました。具体的には、

  • ハクスリー関係の部分は、「次の場所でも読める [1] 」を参照したところ、いくつか意味の取り違えがあると判断して改稿しました。
  • John F. MacArthur の主張まわりでは、英語版記事だけしか見ていませんが、誤訳と思われるいくつかの箇所を改稿しました。
  • ドーキンスの部分は、分かりにくく感じたための修正です。
  • Hugh Petrie の引用とその前の部分は、Of Two Minds を参照(Google Book Search で ^^;)したところ、意味の取り違えがあると判断して改稿しました。
  • James W. Valentineの部分は、分かりにくく感じたための修正です。
  • 他、気づいた範囲での小さな修正もあります。

基本的には英語版記事に沿うように、ただし訳だけでは不明確な所は補足して改稿したつもりです。--whym /hm/ 2008年10月7日 (火) 16:12 (UTC) いいながらまた「細部」にしてしまいました……。不要かもしれませんが、念のため、細部でないことを強調する目的で附記します --whym /hm/ 2008年10月7日 (火) 16:18 (UTC)[返信]

ありがとうございます。気を抜いて訳したところはしっかり直されたようです。 --Hatukanezumi 2008年10月16日 (木) 13:24 (UTC)[返信]

質問[編集]

『直接的な証明』の行の末尾の文、「これが我々の主張であった。」の我々とは誰のことでしょう?特定されないとおかしい気がします。--Ks 2008年10月15日 (水) 23:54 (UTC)[返信]

「これが我々の主張であった」は数学の教科書なんかでよく見る表現で、「数学の講義を受けているみんな」というような意味あいですね。しかし、「我々の主張」が明示されてないのはたしかなんで、加筆してみました。 --Hatukanezumi 2008年10月16日 (木) 13:24 (UTC)[返信]
そういう表現があるのですね。知りませんでした。--Ks 2008年10月16日 (木) 13:26 (UTC)[返信]
失礼しました。当該部分を書いたのは私ですが、数学の文献では著者も読者もひっくるめて we と呼ぶのが慣例でして、つい癖が出たようです。数学の定理は誰にとっても真理である、という気持ちが現れているのでしょうね。余談ですが、『数学者の書きもの心得』ISBN 978-4621047019 の p. 31 あたりには「読者を勇気付けるため」などど説明されています。しかし、確かに百科事典における記述としては不適当でした。今後気を付けます。
本項につきましては、ずいぶん前から立てようと目を付けていたのですが、多くの文献にあたる必要があるため、自分が分かる部分を訳しただけで挫折しておりました。今回、立項されてうれしいです。時間ができたらゆっくり読ませて頂きます。--白駒 2008年10月16日 (木) 17:46 (UTC)[返信]

記事の内容の正確性について[編集]

この記事はかなりの誤解を与えないか?[編集]

気にしてるのは、知らない人がこの記事を読むと、まるで無限の猿の定理という超簡単な定理が、高度な数学、計算機科学、統計力学、生物学、文学の全てと関わる大定理に見えてしまう事です。 無限の猿の定理が超簡単だからこれら全てに出てくるだけなのに、です。(「無限猿の定理が全ての学問で出てくる」というのは、「足し算が全ての学問で出てくる」というのと対して変わらない)。

本来簡単なはずのこの定理を難しく書いたり、あんまり関係ない内容を関係あるかのように記述する事で、結果として、大定理に見せかけてしまってる気がします。(意図的かどうかは分かりませんが)。

もちろん、nを無限大に飛ばした時の振る舞いを確率収束の概念を使って厳密に記述するなら、大学レベルの記述がいるのですが、 それはさいころの記事で「各々の目が出る確率が1/6」と書くべきところを「さいころの各々の目を元に持つ空間上に、一定値の測度を定義する事で得られる確率空間では、空間の任意の元に対してその元がでる確率は1/6である」と書くようなものです。

--Giant2007 2008年10月16日 (木) 17:05 (UTC)[返信]

数学的に重要というより、哲学的に重要なのだと私は理解しています。0.999... にしても、数学的には大した話ではありませんが、周辺の話題が組み込まれて秀逸な記事に選ばれています。数学的な大定理に見える、という懸念がおありでしたら、そう見えないようにするための具体的な改正案を出して頂ければ、と存じます。御指摘のように、きちんと定式化しようとすれば大学レベルの数学が必要なのであって、それを意図的とは私は感じませんでしたが、必要ならば当該部分の除去に反対はいたしません。まあ「各々の目が出る確率が1/6」にしても、哲学的にはかなり難しいことであります。 --白駒 2008年10月16日 (木) 18:26 (UTC)[返信]

いや、「無限の猿の定理」の文化的価値は疑ってませんし、その点ではとても素晴しい記事だと思ってます。 でも同時に、数学的には大きな誤解を招く記事だとも思ってるわけです。この記事を読む人の大半は、数学は専門外だと思われるので。

0.999...は数学的には大した話でなくとも、数学が専門外な人に向けた教育的に素晴しい記事(だから秀逸な記事になった(?))ですが、 それに対しこの記事は数学が専門外を煙に巻いてます。

「当該箇所を除去したい」とまでは思ってないのですが、誤解を招かないよう「実は簡単な内容なんだ」というのを前面に押し出した上で、全面改稿できれば、と思ってます。

とりあえず、指摘まで。時間が空いたら直してみます。--Giant2007 2008年10月16日 (木) 18:36 (UTC)[返信]

数学関係のはじめの2つの節は白駒さんが訳されました。
厳密な証明については、すぐあとにでてくるエミール・ボレルボレル-カッテッリの第2の補題を使っているのですし、そもそも当記事自体がやはり彼による大数の強法則に密接に関係した話題を扱っています。加えて、近代自然科学の分野で最初に「打鍵猿」に言及したのは彼のようです。彼は当記事の立役者のひとりといえます。
また、「簡単なこと」とおっしゃいますけど、確率という概念が自然を記述できる実体のある存在だと認識されたのは、ここ1、2世紀のことにすぎません (ハッキング『偶然を飼いならす』石原・重田訳、木鐸社、1999参照)。素朴な意味での「確率」(chance) と厳密な科学的概念としての「確率」(probability) との区別は長らく意識されませんでしたし (同書2章など参照)、現在でも一般にはそうです。数学の素養のある現代人の「常識的」なみかたからすると、当記事は「煙にまいている」記事に見えるのかもしれませんね。
当記事のもうひとりの立役者は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスだとおもいます。「起源と『完全な図書館』」の節は、彼の論説を解説しています。また、あとの「文学理論」の節で解説される論者の多くも、ボルヘスを意識しているのはまちがいないでしょう。そういうわけでこの記事は、単になにかの定理の数学的な正しさを論じているのではありません。
あと、進化論や分子生物学については、もうちょっと役者がほしいなあという気はします。たとえば、複雑系との関係でこの定理を論じているようなひとがいれば、だれか調べて加筆してほしいです。
あとえーと。勝手ながら、当記事を珍項目に推薦しときました。ご意見をください>>みなさん。 --Hatukanezumi 2008年10月17日 (金) 11:57 (UTC) 微加筆 --Hatukanezumi 2008年10月17日 (金) 12:28 (UTC)[返信]
珍項目の方では、短い文面で意見を書かねばならなかったんで、少しキツい書き方になってしまってすみません。
>単になにかの定理の数学的な正しさを論じているのではありません。
その通り。にもかかわらず、数学的な論調で書かれてるのが気になってるわけです。
> 「簡単なこと」とおっしゃいますけど、
「確率」の概念を厳密に定義するのは、おっしゃる通り心底大変です。
しかし、「無限の猿の定理」は、「何度も繰り返せばいつかは当たりがでる」というは当り前の事を言っているにすぎません。
その当り前の事を確率の概念を使ってわざと難しく言っているのを気にしてるわけです。


>確率という概念が自然を記述できる実体のある存在だと認識されたのは、ここ1、2世紀のことにすぎません
そういう事は、確率論の歴史のような記事で取り扱うべきで、当該項目で扱うべき事なのかな、と。
確率概念の精緻化っていう壮大な内容を、「猿がシェイクスピアを…」っていう単なる慣用句に押しつけて説明するのを「煙に巻いてる」と思ってるのであって、
コルモゴロフ以前の素朴な確率概念を「煙に巻いてる」と思ってるわけじゃないですよ。
--Giant2007 2008年10月17日 (金) 12:40 (UTC)加筆--Giant2007 2008年10月17日 (金) 13:16 (UTC)インデント変更させていただきました。--Hatukanezumi 2008年10月18日 (土) 00:38 (UTC)[返信]
逆です。「数学の素養がある現代人」というのは、Giant2007さんのような主張をなさるかたを念頭に置いています。「定理は恒真命題だから、それ以上なにか解説することなどない」と考えるようなかたです。皮肉に感じられたら申し訳ない。
まあ、わたしからのこの件についてのコメントは、これまでとします。数学以外の節もちゃんと読んで (できれば示されている資料も読んで) コメントしてくださいね。 --Hatukanezumi 2008年10月18日 (土) 07:14 (UTC)[返信]

いじってみました[編集]

だいぶほおっておいてしまいましたが、上記の主張に従い、本文を弄ってみました。---Giant2007 2009年3月28日 (土) 01:15 (UTC)[返信]


定理と慣用句の混用(?)[編集]

この記事でもう一つ気になってるのは、単なる慣用句としての「猿がシェイクスピアを打つ確率」と数学的事実としての「無限の猿の定理」をごっちゃにしてるんじゃないか、という事です。

この記事を読むと、錚々たる著名人が「無限の猿の定理」について述べてるように書いてますが、単に慣用句や比喩として軽い気持ちで「猿がシェイクスピアを打つ」と言ったという程度の事を、 まるで真剣な発言として言ったかのように脚色してみたり、「無限の猿の定理」という数学的事実を厳密に述べたかのように脚色してみたりしてるんじゃなかろうか、と気になってるわけです。 この記事で書かれている著名人達は、本当に「無限の猿の定理」という言葉を直接用いているのでしょうか。

翻訳記事なんで、ここで聞いても真相は分からないかもしれませんが、どなたか知っていたら教えて下さい。--Giant2007 2008年10月17日 (金) 11:24 (UTC)[返信]

横から失礼します。珍項目の選考で賛成票を投じた者です[2]。Giant2007さんの「定理と慣用句の混用」の真意がわかりかねますが、この項目を一読した私個人の感想として、「ああ、いろんな人がこの定理を引用しているのだな」としか感じないくらい、この項目は中立的で客観的に書かれていると思いました。「脚色」とおっしゃいますが、この記事のどの部分がそれに該当する問題のある部分なのでしょうか?--Damena 2008年10月18日 (土) 04:17 (UTC)[返信]
例えて言うなら、私に取ってこの項目は、「水と油のように反発しあう」という慣用句の項目に、「H20-有機物反発法則」というタイトルをつけられたかのような印象なのです。
「単なる慣用句と化学上の事実をごっちゃにするなよ」とか、「そもそもそんな自明な事に「法則」なんて仰々しい名前つけないよ」というわけです。
「定理と慣用句の混用(?)」の方は疑念にすぎないですが…。(歴史は専門外なんで)。
確率ってのは300~400年くらいしか歴史がない比較的新しい概念で、精緻化されてからだと100年程度しか経ってないし、Hatukanezumiさんによりばchanceとprobabilityの違いが認識されたのもせいぜい100~200年前。まして一般の人に浸透したのはごく最近でしょう。
なんで、例えば本文中にでてるジョナサン・スウィフトが「無限の猿の定理」という数学的事実を知ってたのは、ちょっと考えにくいです。慣用句として「猿がシェイクスピアを打つ」って言っただけなんだろうな、と。1000年以上昔の人であるアリストテレスやキケロは言うまでもありません。
こう考えてみると、本文の歴史の節は「猿がシェイクスピアを打つ」っていう慣用句の歴史ではあっても、本項目の題材である「無限の猿の定理」の歴史じゃないはずなのに、両者が混用されてるんじゃないかな、と。
googleで検索してみた限り、数学の専門家が「無限の猿の定理」とか「infinite monkey theorem」って単語を使ってる例は見当たりませんでした。
そりゃそうです。当り前の事を言ってるだけなので、、わざわざ「定理」って呼ぶ必要はないのですから。
おそらく、確率を一般向けに分かりやすく説明する為の、pop science用語なのでしょう。
にもかかわらず、この項目はまるで「無限の猿の定理」ってのが確立された数学上の定理であるかのように説明してるのが、気になってるわけです。


--Giant2007 2008年10月18日 (土) 05:40 (UTC)(長文、失礼しました)[返信]

インデント戻します。

要するに、近代以前の文学から「猿がシェイクスピアを打つ」という文句が引用されているが、現状の記事のままでは、「数学の定理として小説家たちがこれを用いている」と読者が誤解しかねないと、Giant2007さんは心配されているのですね。けだしあまりに歴史感覚がない人なら、そう受け取りかねないかもしれませんが、例えば、ガリバー旅行記に「n が大きくなるにつれて、Xn の値は小さくなる。」などといった記述があると本気で勘違いしてしまう人がどれくらいいるでしょうか。

実際、

  • 「キッテルとクレーマーによれば……統計学的な基礎に立って打鍵する猿を論じたものとしては初出である」
  • 「この定理のひとつが、エミール・ボレルの1913年の論文……として現れる」

とまずは、数学的バックグラウンドを説明し、

  • 「ホルヘ・ルイス・ボルヘスは……無限猿の観念の歴史をアリストテレスまで遡って論じた」

のように、関連する観念(Giant2007さんが言うところの「慣用句」?)が古代から存在することについて触れています。

「定理と慣用句の混用?」のせいで、読者が不必要に混乱してしまう……というのは杞憂に終わるのではないでしょうか。「水と油のように反発しあう」は確かに単なる比喩に過ぎませんが、例えばアリストテレスが「水と油はある条件の下に融和しあう」のような記述を残していたとしたら、特記すべきものとして「有機物におけるミセル化」という現代風タイトルの記事で言及しても良い気がします。--Damena 2008年10月18日 (土) 06:35 (UTC)[返信]

杞憂ではないと思います。
もちろん、小説家が「n が大きくなるにつれて、Xn の値は小さくなる」と書いたと思う読者はいないでしょうが、論理学者アリストテレスが無限猿を真面目に研究したと勘違いする人はいるかもしれません。
ボレル、エディントン、ドーキンズあたりになると、勘違いする人はとても多そうです。この3人は、事情を十分知りつつ、一般人に分かりやすくいう為に慣用句で述べた(多分)のであって、彼らが論文中で「本論文の結論を、無限の猿の定理を使って証明する」と書いたわけではないでしょう。--Giant2007 2008年10月18日 (土) 06:46 (UTC)[返信]
そうでしょうか。「20世紀初め、エミール・ボレルとアーサー・エディントンは、統計力学の基礎における暗黙のタイムスケールについて説明するために、この定理を用いた。」とありますが……。--Damena 2008年10月18日 (土) 06:54 (UTC)[返信]
その記述は、多分、「20世紀初め、(中略)「猿がシェイクスピアを打つくらい長い時間を要する」と慣用句で分かりやすく説明した」書くべきなのでしょう。
これを、「20世紀初め、(中略)、無限の猿の定理という数学上の定理により、統計力学のタイムスパンに数学的説明(数学的裏付け)を与える事に成功した」と誤読されるのをいやがってるわけです。--Giant2007 2008年10月18日 (土) 07:01 (UTC)[返信]
>「有機物におけるミセル化」
これが「水」とか「有機物」とか「ミセル化」とか「アリストテレス」の項目に書いてあったら納得ですが、「水と油のように反発する(慣用句)」の項目に書いてあったら、とても不自然ではないですか?--Giant2007 2008年10月18日 (土) 07:17 (UTC)[返信]

定理というものを大げさに考えすぎではないですか?直感的に当たり前なものでも、それに数学的に厳密な証明を与えることには大きな価値があります。直感に反する奇怪な反例がないことが証明されることで、どんな(病的な)例についても安心して使えることを担保するからです。実際のところ、これがどんな確率測度の元でも成り立つということはそれほど自明ではないと思います。もし「こんな当たり前のことは定理ではない」「こんな当然のことを定理と呼ぶのは大げさである」というお考えだとすれば、全く同意できないと言うことを申し上げておきます。--Kyoku 2008年10月18日 (土) 07:24 (UTC)[返信]

「無限の猿の定理」は、より一般的な定理(例えば大数の法則)から自明に従う(corollaly)に過ぎないのに、わざわざ「定理」と呼ぶのをおおげさだと思ってるわけです。重要視されるのは大数の法則の方であって系の方ではないでしょう。--Giant2007 2008年10月18日 (土) 07:27 (UTC)[返信]
無限の猿の定理はボレル-カンテリの補題の系であって、大数の(強/弱)法則と直接の関係はありません。正確にお願いします。--Kyoku 2008年10月18日 (土) 07:35 (UTC)[返信]
失礼しました。おっしゃる通り。(「無限の猿の定理」の定式化にもよりますが。)--Giant2007 2008年10月18日 (土) 07:36 (UTC)[返信]



「文学作品」節[編集]

かぼさんが『はてしない物語』について加筆してくださいましたので、さらに加筆がてら文学作品の節をつくってみました。こうすると雑多な内容の箇条書きになるおそれが一般にはあるわけですが、まあ日本語圏ではさほど言い習わされた「定理」でもないので、英語版のようにen:Infinite monkey theorem in popular cultureを分離するような事態にはならないとおもいます。

しかし念のため。ライトノヴェルの類や内輪受け的な話題の追加はご遠慮願います。また加筆する場合は、くれぐれも出典の明記をお願いします。

前置きはともかく、資料の存在がわかっているものの当方では資料未確認でコメントアウトしてあるものがあります[3]。資料をご覧になれるかたの加筆をお願いします。ザ・シンプソンズ』は「文学作品」じゃないですが、もしも加筆するならそのときにどこに入れるか考えましょう。 --Hatukanezumi 2008年10月18日 (土) 10:33 (UTC)[返信]

「ライトノヴェルの類や内輪受け的な話題の追加はご遠慮願います」というご意見に強く賛同です。…SF愛好者としては違和感が無いのですが、冷静に見るとレムはまだしもダグラス・アダムスR・A・ラファティ、ラッセル・マロニー(先ほど追加したのですが)あたりは内輪受けの謗りを免れない気がしてきました。除去すべしとの意見があれば全く反対はしないです。--Five-toed-sloth 2009年7月22日 (水) 18:38 (UTC)[返信]

記事名[編集]

記事名に{{要出典}}は異例と言いますか見苦しいと言いますか、とりあえずより適切なテンプレ{{暫定記事名}}があるので差し替えておきました。なお{{要出典}}を貼付なさったGiant2007さんによると(以下、本文 2009年7月10日 (金) 03:08よりカット&ペースト)

'''無限の猿定理''' {{要出典}}<!-- 「infinite monkey theorem」の日本語訳が「無限の猿定理」で定着している証拠となる文献をください。 -->(むげんのさるていり、{{lang-en|infinite monkey theorem}}{{要出典}}<!-- ←「infinite monkey theorem」という言葉を用いている文献をください. いや,ネットで検索すればひっかかるし,猿がタイプライター...という比喩はよく使われますが,「infinite monkey theorem」という単語を使っている「ちゃんとした出典」は知らないので. -->)はランダムに文字列を作り続ければどんな文字列もいつかはできあがるという事実を比喩的に表現したもので、(以下略)

とのことです。私は本件に関しては中立です(テンプレをより適切なものに替えたかっただけの者です)ので、以上、ご報告までに。--Five-toed-sloth 2009年7月22日 (水) 18:20 (UTC)[返信]

確率についての記述がおかしい[編集]

誤解して記述しているのか、短く書きすぎて変な表現になったのかわかりませんが、 1兆分の1の確率の操作を「1兆回程度繰り返せば「monkey」という文字列がタイプされると言える」というのは、 よくある確率についての誤解に思えます(1/100のガチャは100回引けば当たる、というような誤解)。 同様に、後ろにある「1兆/6回程度で十分」も何がどう十分なのか謎ですし、どういう計算なんでしょうか。

ここはタイプされる確率(またはされない確率)を明記すべきだと思います。 さらに、英語版のように、〇〇回で●●%、□□回に増やすと■■%、無限回だと・・・、みたいな論法の方が確率の変化がわかって良いのではないでしょうか --2409:11:1201:E300:5C24:9D1C:B0FB:9798 2018年8月16日 (木) 15:52 (UTC)[返信]

「1兆回」ではなく「1兆回程度」です。まあどの「程度」なんだって話ですが。説明は変えるべきだと思いますけど他の人に任せます。6で割るのは…|monkey|xxxxxx|…とか…|xxxxxx|monkey|…とかの他に…|xmonke|yxxxxx|…とか…|xxmonk|eyxxxx|…とかでもOKだからです。新規作成 (利用者名) 会話2018年8月17日 (金) 03:43 (UTC)[返信]
上のコメントは雑すぎたので追記。確率 p = 1/1兆 で成功する独立な試行を n = 1兆回連続で失敗する確率は
(1 − p)n ≒ 36.8%
で、2兆回連続で失敗する確率は 13.5% です[4]。6兆回だと 0.25% なので、連続性を考慮すれば1兆回は正しそうですが……。新規作成 (利用者名) 会話2018年8月18日 (土) 02:13 (UTC)[返信]

IP変わってますが、元コメントの者です。 根本的に分かっておられないようなのでもう少し具体的に書きます。

一兆回でも一兆回程度でも百兆回でも本質的な問題は変わりません。 有限回の試行で言えるのは〇〇%の確率で成功するといったことだけです。 具体的には、一度以上 monkey が出てくる確率は、一兆回の試行では約63.2%です。 一兆回というのは、統計分野でよく出てくる 95% や 99% ですらありません。 「63% 以上なら●●とみなして良い」といった一般的な合意がなければ(無いですよね?あったらすみません)、あのような表記はおかしいということです。 少なくとも確率の値は明記されるべきだと思いますが、元の文章ではそこが欠如しています。

後半の指摘については、一兆/6回では約63.2%(上で計算した値)に一致しないのではないかという意味です (上記の 63% 以上なら十分という一般的な合意があったと仮定した場合、値が一致すれば話の筋は通る)。 もっと端的に言えば、パターンが6倍になったからといって単純に6で割るのは間違っているのではないか、ということです。

一兆/6回の場合の確率計算の方法は、頭が回らず思いつかなかったので小さい数で示してみます。 (私は確率の知識も大して無く、勉強したのも10年以上前なので、間違っていたり、簡単な式で表せるところがあるかもしれません)

12回の試行で一度以上 monkey が出る確率は 約1.2*10-9% です。 では、12/6=2回の試行で「試行間の連続を許した」場合はどうでしょうか。 二回の試行のうち、一度でも monkey が出る確率

(間違ってたら教えてください)

約1.2*10-9% と 約7*10-10%、値が結構違いますね。12回の試行の場合と、12/6回で「試行間の連続を許した」場合とでは同じ確率になりませんでした。 ポイントは1回目の試行での確率と2回目の試行での確率を掛けているところでしょうか。 試行回数を増やせば増やす程こういった積が増えていって複雑になるように思えます。

単純に試行回数を6で割っただけでこのような式の値が出てくるものでしょうか? もしかしたら一兆/6回程度の試行なら、全く同じ確率値でなくとも、良い近似になっていたりするかもしれないですが、 その辺がわからなかったので「どういう計算なんでしょうか」という表現になっています。 --2409:11:1201:E300:2C47:7BA2:D0B5:1C37 2018年8月18日 (土) 05:56 (UTC)[返信]

上のコメントを書いてて思ったのですが、「試行間の連続を許した」場合は示さないほうが良いのではないでしょうか。 monkey 以外の文字列を対象として考えた場合、確率が変わってくる気がします。例えば、同じ6文字でも momomo や mmmmmm の場合、前後でつながるパターンが増えます。 そうすると一般的な話ではなくなってきて、ちゃんと説明すると話が脱線しすぎという感がありますし、「試行間の連続を許した」場合について触れなくても定理の理解には差し支えないと思います。 --2409:11:1201:E300:2C47:7BA2:D0B5:1C37 2018年8月18日 (土) 06:10 (UTC)[返信]

横から失礼しますが、本文が言っているのは期待値のことではないでしょうか。確率1/1兆の試行を繰り返すとき、初めて成功するまでの試行回数の期待値は1兆回です(cf.幾何分布)。--115.37.66.58 2018年8月18日 (土) 20:45 (UTC)[返信]
コメント いや分かってはいる(つもりな)んですがちゃんとコメントしようとすると長くなるもんでどうしたものかと(単純に私が長いコメントを書きたくないだけです、すみません)。63%は仰る通り小さすぎるのでその周辺は書き換えて誤魔化してます(昨日のコメントの時点で[5]。6で割る部分も消してます。期待値のつもりだとしても誤解を招く書き方はよくない)。
「後半の指摘」は感覚的にそうならないかなーという程度の感想で、数学的には確かめていません。続く施行にまたがるものを考えると独立でなくなってしまうのですよね。n 回だとmonkeyの現れていい場所が n カ所から 6(n − 1) + 1 ≒ 6n (n 十分大) カ所に、ほぼ6倍に増えるので、n 回の試行が実際には 6n 回の試行になっていると考えたいところですが独立ではないところがまずいですよね。もっと単純な例で、文字が0,1の二択,長さも2文字とか考えてみてはどうでしょう。という話はちょっと脱線気味ですか。ウィキペディアとしては、出典が欲しいところです。
繰り返しになりますがご指摘の怪しいところは既に記事から削ってます。が本当にほぼ削った(とりあえずやばいところをなくした)だけで改善が必須です。IPさんも「確率の値は明記されるべき」といった考えをおもちのようなので、記事を編集されてみては。新規作成 (利用者名) 会話2018年8月19日 (日) 04:17 (UTC)[返信]

記事名信任提案[編集]

  • 桑嶋幹『知りたい!サイエンス:ふしぎな思考実験の世界―科学の大発見の秘密を解きあかす』技術評論社、2012年12月、12頁。ISBN 978-4-7741-5384-1https://gihyo.jp/assets/files/book/2012/978-4-7741-5384-1/9784774153841-01.pdf 
  • 永野裕之 (2020年6月21日). “音楽の天才モーツァルトと「無限の猿定理」”. 2023年5月19日閲覧。
  • 横山明日希「猿が「hamlet」と打てる確率は1兆分の1」『PRESIDENT』2019年3月4日、2023年5月19日閲覧 
  • 新屋良磨「オートマトン理論再考」『コンピュータ ソフトウェア』第34巻第3号、日本ソフトウェア科学会、2017年9月、27頁、doi:10.11309/jssst.34.3_3ISSN 0289-6540 

「無限の猿定理」の訳語がウィキペディア発な気はしなくもないですが、すでに定着しているとみられるため、暫定記事名テンプレートを外すことを提案します。--ネイ会話2023年5月19日 (金) 14:43 (UTC)[返信]

チェック 記事名は信任されたものとします。--ネイ会話2023年6月7日 (水) 08:00 (UTC)[返信]