ノート:正覚

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等正覚から正覚への改名提案[編集]

現記事名である「等正覚」は、「正等正覚」の簡略形の1つであり、別の簡略形である「正等覚」という語も、よく用いられています

また、記事中にもあるように、この翻訳語のパーリやサンスクリットの原語は、「正しい-覚り」という意味であり、「正等正覚」やその簡略形である「等正覚」や「正等覚」よりも、「正覚」というシンプルな表現の方が原義をより忠実に反映しています。

更に、「正等正覚」「等正覚」「正等覚」は、「無上正等正覚」「無上等正覚」「無上正等覚」といった形で、専ら(中国)大乗仏教の一部で用いられる装飾的な表現なので、上座部を含む仏教全般に通用する表現としても、シンプルな「正覚」という表現の方が望ましいと思います。

以上の理由から、記事名を「等正覚」から「正覚」へと改名し、「正等正覚」「等正覚」「正等覚」等は記事名で言及するようにする形にすることを提案します。--Zenji30会話2014年9月21日 (日) 08:41 (UTC)[返信]

反対  かつ 逆改名提案のための コメント : 「正覚」ではシンプル過ぎて、『般若心経』で最も世間に浸透している(と容易に想像し得る)「正等覚」「無上正等覚」とは意味が異なる言葉であるようにさえ思われます。また、「正覚」は 『 八正道 』 の8つの「正○」と紛らわしいのでリダイレクトさえ不要・不適切であるように思われます。よって、記事名は、
のいずれかを選択すべきであろうと思われます。この際、そう改名提案させていただきます。 PieceBlue会話2014年9月22日 (月) 16:08 (UTC)[返信]
コメント コメントありがとうございます。そのような意見があるだろうと予想して、冒頭の説明をしました。「等正覚」も「正等覚」も、共にそれなりに使用されてる「正等正覚」の略語であり、優劣付けづらいですし、正当性で言えば、まだ元の「正等正覚」をタイトルにした方がいいという話になりますよね。ただし、この元の「正等正覚」も、正確には「無上正等正覚」という形で用いられるのが本来の形です。そしてこれはPieceBlue氏もおっしゃるように、主として大乗仏教の般若経系の経典を奉じる宗派で用いられる語彙で、浄土系や上座部なども含む仏教全般に通用する用語とは言いづらいでしょう。
また、「正覚」では 八正道 の8つの「正○」と紛らわしいとおっしゃいますが、これらは共にパーリやサンスクリットの原語的には、同じ「samma/sammyak ~」という同系統の表現・語彙なので、紛らわしくて当たり前です。むしろ紛らわしくない方が、翻訳時に余計な装飾表現を付加してしまっているということですから、仏教理解の妨げになるという点で望ましくないですよね。そういった点でも「正等正覚」よりはシンプルな「正覚」がタイトルにふさわしいと思います。
また、シンプル過ぎるとおっしゃいますが、この語彙には、もっとシンプル・短絡的な「菩提」という音訳表現すらあります。これに比べれば、「正覚」は意訳的で意味も即座に理解できる、汎用性が高くて装飾的過ぎない、適度にバランスのとれた表現だと思います。だからこそ「等正覚」や「正等覚」に負けず劣らず、いやそれ以上に広く用いられているわけですね。
以上の理由から、第一候補は「正覚」、第二候補は「無上正等正覚」が妥当なところだと思いますし、PieceBlue氏のおっしゃる「正等覚」「無上正等覚」という略語の一形態は中途半端だと思います。
また、仮に「無上正等正覚」をタイトルにした場合、既述の通り中国大乗仏教特定宗派のニュアンスが強くなってしまうので、どのみち「正覚」というタイトルの汎用性の高い記事を別個に作ることになってしまうと思います。--Zenji30会話2014年9月23日 (火) 04:08 (UTC)[返信]
コメント ちなみに、『般若心経』にでてくる文言は「阿耨多羅三藐三菩提」であって、「正等覚」ではないですよね。したがって、PieceBlue氏の主張は現時点で主張としての体を成していません。まずは「正等覚」という略語を、現在の「等正覚」という略語に代わって記事名にしなければならない論拠を提示するところから始めてみて下さい。--Zenji30会話2014年9月26日 (金) 22:11 (UTC)[返信]
コメント また、「正覚」という表現は、辞書にも明記されているように、非常に一般的に用いられる表現であって、PieceBlue氏の「 リダイレクトさえ不要・不適切である」という意見は、何の根拠も無い全く不当・不適切なものだということもここで併せて追記しておきたいと思います。--Zenji30会話2014年9月26日 (金) 22:20 (UTC)[返信]
コメント PieceBlue氏は、他記事の議論における暴言を理由に、9月25日から1ヶ月間の投稿ブロックに処されているようです。これは本議論にPieceBlue氏が今後一ヶ月近く参加できないことを意味します。また、その投稿ブロックが解除されても、PieceBlue氏がこの議論に復帰すること、また上記したとおり、現時点で主張の体を成していないPieceBlue氏の意見に、PieceBlue氏が論理的な根拠を追加してくれることの保証はどこにもありません。
既に改名提案から一週間が経過し、他に異論が無い中、根拠の欠落した主張の体を成していない意見を書いたきり投稿ブロックされている、復帰の保証も無いPieceBlue氏を、1ヶ月ただ待ち続けるのは、他の利用者に迷惑でもあるので、ここでは一旦PieceBlue氏の書き込みを分離して考え、改名提案が異論無く一週間経過したものとして処理しておきたいと思います。
PieceBlue氏が投稿ブロックを解除された後、なおも明確な論拠を以て自分の考える記事名を主張なされるのであれば、PieceBlue氏が新たに改名提案をなさるのが筋だと思います。--Zenji30会話2014年9月30日 (火) 08:04 (UTC)[返信]
チェック 管理人JungleCrow氏にページ移動していただき、無事改名が完了しました。--Zenji30会話2014年10月25日 (土) 20:45 (UTC)[返信]

図の除去の提案[編集]

初期仏教」という節に掲載されている下記の2つの画像には出典情報がありません。

((此縁性」というキャプションの画像)

(「十二因縁」というキャプションの画像)
この2つの画像は、利用者:Amedamachaによる自作画像であるそうです(参照1)・(参照2)。利用者による自作画像であり出典情報の無いものを、「此縁性」や「十二因縁」の解説としてWikipediaのページに掲載することは、独自研究の披露に該当するものだと考えられます。この図の除去を提案します。7日待ってコメントが付かなければ除去します。--Leonidjp会話2015年9月17日 (木) 01:23 (UTC)[返信]

上記2015年9月17日 (木) 01:23 (UTC)の提案から7日以上経ち、その間、コメントが付きませんでしたので、この2つの図の除去を実行しました。--Leonidjp会話2015年9月25日 (金) 10:25 (UTC)[返信]

問題点の指摘[編集]

5月24日に指摘した問題点をここにも転記しておきます。--Leonidjp会話2017年6月12日 (月) 06:57 (UTC)[返信]

2017/05/24-1[編集]

阿耨多羅三藐三菩提は主に[[大乗仏教]]で用いられるが、[[部派仏教|部派仏典]]にも現れる<ref>[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E9%98%BF%E8%80%A8%E5%A4%9A%E7%BE%85%E4%B8%89%E8%97%90%E4%B8%89%E8%8F%A9%E6%8F%90&mode=search&uarsers%5B0%5D=%E9%98%BF%E5%90%AB%E9%83%A8 阿耨多羅三藐三菩提 (阿含部)] は大正新脩大蔵経に1万3500余回出現するが、阿含部は45回に過ぎない。</ref>。
  • 仏典において、単語の出現回数の多さが「主に用いられる」という〈意味〉を持つとの判断は、信頼できる資料において未発表。「主に○○で××される」というように〈回数の多さの意味〉を語ろうとする必要はなく、たんに出現回数だけを端的に述べればよいだけであろう。--Leonidjp会話2017年6月12日 (月) 06:57 (UTC)[返信]

報告 IP利用者の編集により、「主に」という表現は無くなっています(参照)。--Leonidjp会話2017年8月13日 (日) 05:05 (UTC)[返信]

2017/05/24-2[編集]

[[帝釈天]]上の[[三十三天]](忉利天)で証得すると説かれるが<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『[[仏本行集]]経 (闍那崛多譯)』 (T0190_.03.0832c15: ): 即得上生三十三天。是時世尊既已證得阿耨多羅三藐三菩提。在鹿野苑。轉於無上法輪之後。時彼地居諸天。各各迭相唱告。其聲轉轉相承。上至三十三天。</ref>
  • この出典たる仏本行集経からの引用部分では、「既已證得」の證得が「三十三天」において起こったとは述べられていないのでは? 仮に「既已」を「既に已(おわ)る」と読むとしたら、三十三天に行く前に證得が「既におわっている」という文意かもしれないではないか(参照: http://lib-www.smt.city.sendai.jp/guide/jirei0305.pdf )
  • また文末の「上至三十三天」は、「諸天」の「聲」が三十三天に「至」っているという意味では? とすれば、阿耨多羅三藐三菩提の證得の場所の問題とは直接の関係は無いだろう。
  • このように、執筆者の解釈とは別の読み方も可能なのだから、どの読み方が正しいのかを決定するためには二次資料が必要であり、二次資料無しで「正しい読み方」を決定すればそれは独自研究に該当する。--Leonidjp会話2017年6月12日 (月) 06:57 (UTC)[返信]

報告 この箇所はIP利用者の編集により加筆されました(参照)。加筆後の状態の問題点についてはこちらにて取り扱っています。--Leonidjp会話2017年8月13日 (日) 05:10 (UTC)[返信]

2017/05/24-3[編集]

(阿耨多羅三藐三菩提は)大乗仏教は忍、精進、禅定、般若と[[回向]](迴向阿耨多羅三藐三菩提)<ref>[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E8%BF%B4%E5%90%91%E9%98%BF%E8%80%A8%E5%A4%9A%E7%BE%85%E4%B8%89%E8%97%90%E4%B8%89%E8%8F%A9%E6%8F%90&mode=search&uop=1 迴向阿耨多羅三藐三菩提] - 大正新脩大蔵経テキストデータベース。</ref>を巡らせたのちの還生(還相・還如)の文脈でも用いられる<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『[[大宝積経]](菩提流志譯)』 (T2646_.83.0606a12: ~): 還生贍部洲中。即於是劫。成阿耨多羅三藐三菩提。名曰妙行如來應正等覺明行圓滿善逝世間解無上丈夫調御士天人師佛薄伽梵。</ref>。
  • 大宝積経からの引用部分には「忍、精進、禅定、般若、回向、還相、還如」の語が無いのだから、これは、記事本文の「(阿耨多羅三藐三菩提は)忍、精進、禅定、般若と回向を巡らせたのちの還生(還相・還如)の文脈でも用いられる」という主張の出典にはならない。その「文脈」なるものが、大宝積経からの引用部分の「文脈」に一致するという主張そのものの根拠も無い。この記述は独自研究に該当しています。

今日から7日以内に対応がなされなければ、この部分を記事から削除することを予め告知しておきます。--Leonidjp会話2017年6月12日 (月) 06:57 (UTC)[返信]

報告 この箇所はIP利用者の編集により加筆されました(参照)。加筆後の状態の問題点についてはこちらにて取り扱っています。--Leonidjp会話2017年8月13日 (日) 05:10 (UTC)[返信]

編集の理由説明[編集]

2017/07/29[編集]

この編集について。

  • テンプレートで指摘してある問題点が解決していないのにテンプレートが除去されていたため、テンプレート復元。
  • IP利用者は「証得する」を「証得しおえる」と変更したいらしいので(特別:差分/64934496参照)、その部分だけはIP利用者の書いたとおりに再現。
  • 広説仏教語大辞典への要追加記述範囲テンプレート(特別:差分/64934496)に対しては、本文で応えておいた。しかし、本来このようなものはテンプレートを付けるまでもなく、同辞典の記述に疑問を持った本人(今回ならIP利用者)が自分で同辞典の当該ページを確認すればよいだけである。手近に同辞典がないなら、その旨をノートで明示して他人に確認を乞えばよいだけ。

--Leonidjp会話2017年7月29日 (土) 00:56 (UTC)[返信]

報告
Leonidjpさん、こんにちは。Leonidjpさんの編集とほぼ同時刻に編集していました。「Template:独自研究範囲」の除去について差し戻しするついでに、「Template:要追加記述範囲」について加筆していました。『広説佛教語大辞典』の記述に基づいてサンスクリットとパーリ語を記述し、文献については略称を正称表記としました。誤字などの確認をしていただけましたら幸いです。--Resto1578会話2017年7月29日 (土) 01:42 (UTC)[返信]
コメント Resto1578さま、原語を具体的にご記入くださり、ありがとうございました。--Leonidjp会話2017年7月29日 (土) 01:50 (UTC)[返信]
To 利用者:Leonidjp
>テンプレートで指摘してある問題点が解決していないのにテンプレートが除去されていたため、テンプレート復元。

>>ほとんど応えている
コメント 間違ってる。ほとんど応えられていない。
  • 「三十三天]](忉利天)で証得しおえる」という主張の「三十三天で」という場所設定が妥当ではないのではないかとテンプレートは言っているのに、何の対応もないままテンプレートを剥がしているではないか(参照)。
  • テンプレートは大宝積経について【大宝積経からの引用部分には「忍、精進、禅定、般若、回向、還相、還如」の語が無いのだから、これは、記事本文の「(阿耨多羅三藐三菩提は)忍、精進、禅定、般若と回向を巡らせたのちの還生(還相・還如)の文脈でも用いられる」という主張の出典にはならない。その「文脈」なるものが、大宝積経からの引用部分の「文脈」に一致するという主張そのものの根拠も無い。】と言っているのに、この点について大宝積経に関する何らの修正も施さないままテンプレートを削除しているではないか(参照)。さらに文末には大般若波羅蜜多経を出典として記入しているが、それを記入したからといって大宝積経に関する問題が解決したわけではない。
  • IP利用者の編集によって問題が解決されたと言えるのは15行目文頭の「阿耨多羅三藐三菩提は主に大乗仏教で用いられる」の「主に」が無くなった点だけである(参照)。
要するに、解決したと言えるのは1点のみ。問題点をこれだけ大量に残置しておきながら、これのどこが「(問題点の指摘に対して)ほとんど応えている」ことになるのか。なるわけがないではないか。タグの不当な削除が行われたわけだ。タグの削除こそが不正なのであるから、その削除されたタグが存在していたことは正当なことだった。--Leonidjp会話2017年7月30日 (日) 10:10 (UTC)[返信]

報告 上述のテンプレート不当除去の問題(#2017/07/29)に加え、#2017/05/24-2および#2017/05/24-3にて指摘されている問題点にも具体的な対応はなされませんでした。これらの問題箇所は、信頼できる二次資料において未発表の説や経典解説が発表されたものとして削除しました。--Leonidjp会話2017年8月13日 (日) 05:16 (UTC)[返信]

報告 なお、この編集で15行目末尾に加筆されていた大般若波羅蜜多経からの引用には、還生、還相、還如という語が含まれていないので、これは「(阿耨多羅三藐三菩提は)還生(還相・還如)の文脈でも用いられる」という文の出典としては出典無効。従ってこれも削除しました。--Leonidjp会話2017年8月13日 (日) 05:34 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

現在の悟りの記事は、仏教に限らない各宗教の話をするところですが、記載の大部分が仏教に割かれてしまっています。そのため正覚の記事を悟り (仏教)に改名し、悟りから内容を転記、正覚はその1セクション内の記載とすることを考えました。ご意見あればお願いいたします。--Yuasan会話2021年6月26日 (土) 06:30 (UTC)[返信]

失礼しました、菩提を使うほうがよさそうなので取り下げます。--Yuasan会話2021年7月3日 (土) 12:05 (UTC)[返信]