ノート:桂正和

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脚注リンクについて[編集]

内容についてはディテールまでよく調査された良質な記事だとは思うのですが、脚注リンクが多すぎて可読性が損なわれているように思います。読み上げブラウザを使うと[1][2]などがカッコを含めていちいち読み上げられてしまいますし、HTMLタグが多くなって無駄に容量を食うことになってしまいます。2008年6月10日21:53の版における脚注49~53のようにあきらかに冗長なマークアップもありますので、ページ数が違うだけの出典は一つにまとめる、段落ごとに脚注リンクをまとめるなど、脚注を最小限にとどめる編集をすべきかと思います。

出典を挙げるのは検証可能性のためなのですから、現在の版のような「生年月日はこの出典から確認して、本名はここから、デビュー作はここから……」というマークアップは必ずしも必要ではないでしょう。「この資料とこの資料を読めばこの節の内容は確認できる」くらいのマークアップでも十分検証可能と言えるのではないでしょうか?--チャボ 2008年6月13日 (金) 06:36 (UTC)[返信]

御意見ありがとうございます。
出典を挙げるのは検証可能性のためですので、むしろ「生年月日はこの出典から確認して、本名はここから、デビュー作はここから……」というマークアップが必要であり、その記述がどの出典に基づく物なのかを示さなければならないのではないでしょうか。もちろん読み上げブラウザにも対応できるような方法があれば、そのような配慮は必要だと思いますがこれはあくまで配慮であり、WPの最も根幹となる公式な方針であるWikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないに優先されるべき物ではないと思います。
現状では節ごとの参考文献を示すようなマークアップ方法はなく、節の参考文献のつもりでをrefタグで示しましても段落の出典としてみられる様に思います。よって、ページ数をまとめましても本文中からrefタグを減らす事は難しく、出典節中の総数は減らせましても本文中の[1]などは番号が減るだけで数は減りませんので、あまり効果がない様に思われます。--マクガイア 2008年6月14日 (土) 12:20 (UTC)[返信]

同じく可読性を著しく損なうと思いました。いくら検証可能性が重要だからといって、百科事典としての「可読性」をそれほど重要視せず二の次というのはマクガイアさんの考え方はちょっとそれは違うのじゃないかなと思いますよ。もちろん検証可能性は重要なことですが、編集に関わらないような一般閲覧者にとって(「記事内容が真実である」ことはもちろん大切なことで、)では「その『真実』が検証可能なことを示すための膨大な出典の羅列」と「記事が読みやすいこと」はどっちが大切でしょうか?Wikipediaは公式な方針うんぬん以前に「百科事典」です(公式な方針をなおざりにしろといっているのではありませんが)。結局のところ、出典をいちいち膨大に羅列しないで、まとめられるものは「参考文献」でまとめてしまうのではだめなのでしょうか?実際、そうやって多くの記事が「参考文献」にまとめられて書かれていますし、「出典はこれに代表されるから問題ない」とする意見を多数見ました。--220.107.170.208 2008年11月5日 (水) 11:20 (UTC)[返信]

御意見ありがとうございます。私は以下の考えにより、この記事に置いて出典をまとめることにメリットを感じておらず、出典をまとめることにはかなり消極的です。
  1. 私は出典を示す脚注リンクは「原則無視して必要に応じて閲覧する物」と捉えほとんど気にしておらず、可読性を損ねていると感じておりません。出典と脚注が同じ方式で記述されていますと読み飛ばしが困難となる事から、脚注と出典とは明確に区別しております。
  2. これはサブカル全般に言えることですが、体系的にまとめられている本があるようなメインカルチャーとは異なり、サブカル記事の場合ではある程度しっかりした記述にするためには細かい出典の積み重ねが重要となってきます。従ってまとめての記述では出典を確認したいと考えた方に対してかなり不親切であると考えます。この桂正和の執筆に利用した文献の全てを確認するのは中々大変である様に思います(私も結構苦労しました)。
  3. 出典をまとめると、出典を伴わない加筆が有っても出典に基づいている様に見えてしまいます。サブカル記事では出典を伴わない不用意な加筆が多々行なわれているのが実情であり、こうした事が起こる危険性が高いと考えています。
今回の回答と重複する部分は多いのですが、この件につきましては利用者‐会話:マクガイア#出典・脚注リンクについての方でも述べさせて頂きましたのでよろしければそちらもご覧下さい。--マクガイア 2008年11月5日 (水) 12:08 (UTC)[返信]

バットマンフィギュア[編集]

(メモ)バットマンフィギュアでコメントアウトされている「デザインアレンジとパッケージイラストを担当」の情報は、バンダイの流通向けのTAMSHII NEWSに掲載されていたものです。(そのためネットショップに先行して情報が掲載されていました)。今月から一般向けホビー誌でも情報が解禁されていますので、最新号を確認いただければ出典は見つかるかと思います。私がちらりと見た限りでは、スーツデザインのアレンジを担当したことは掲載されていました。パッケージイラストについては確認できませんでしたが。--Giftlists 2008年7月29日 (火) 12:57 (UTC)[返信]

情報ありがとうございます。私は普段ホビー誌を読むことはないので、大変助かります。さっそく探してみます。--マクガイア 2008年7月29日 (火) 13:23 (UTC)[返信]

肖像写真[編集]

肖像が判明する写真が掲載されておりますが、非公人のプライバシーに関する権利についてWikipedia上問題ないのでしょうか。--ネコバット 2008年9月15日 (月) 20:13 (UTC)[返信]

Wikipedia:井戸端/subj/人物画像の掲載についてで議論しておりますので、そちらを参照してみてください。--59.147.80.88 2008年9月16日 (火) 06:37 (UTC)[返信]
  • ありがとうございます。そちらのほうは結論が出されていないようですね。常識的には方針「Wikipedia:画像利用の方針#法的問題の注意」の「肖像権について」に該当するため「部分的にモザイクなどの「消し」加工した画像を再アップロードし、元の画像を削除してください」ということになるのですが、モザイクを入れてしまえば当ページで写真を掲載している本来的な意味がまったくなくなってしまうので、このような状態で構わないのでしょうか?という疑問であります。--ネコバット 2008年9月16日 (火) 09:09 (UTC)[返信]
Wikipedia上問題あるかどうかが問われるよりも先に、社会常識的におかしいかどうかが問題にされるべきではないでしょうか。問題の写真がこの記事だけで使われるとされているものならば、まだグレーゾーンと言えるかもしれませんが、全世界の人に2次利用を許可するというかたちで公開しているのが酷いと思います。ウィキペディア執筆者が匿名である以上、撮影許可がなされているかどうか確認することはできません。ゆえに、撮影許可なしでも問題のない写真のみ受け付けるべきだと思います。
ウィキペディアの写真ライセンスの文言↓
「この作品の著作者である私は、この作品をパブリックドメインで提供します。これは全世界で適用されます。
パブリックドメインの適用が法的に不可能な場合:
私は法令によって要求される条件以外のいかなる条件もつけず、あらゆる人に対していかなる目的でもこの作品を利用する権利を認めます。」
被撮影者があずかり知らぬところで、彼(彼女)の肖像が勝手にパブリックドメイン化されてしまうとしたら、それは一種の暴力です。--Kk407 2009年2月7日 (土) 10:47 (UTC)[返信]
肖像権侵害を理由に写真を除去されましたが、肖像権侵害にはならないケースかも知れませんので、一旦差し戻させていただきました。私はスペイン語は全く理解できませんが、指摘されている写真はバルセロナで撮られウィキメディア・コモンズに掲載されているのではないでしょうか?それを前提に書きますが、『Wikipedia:画像利用の方針#肖像権について』には「企業が開催するイベントで社長などがするキーノートスピーチなどの場面」は肖像権侵害にはあたらないとの記載があります。今回の写真は、サイン会のようなイベントでの写真のようなので、この時点で「公人」と言えると思います。対面している男性は投稿者自身かもしれません。問題は後方に写っている男性二人です。この二人が編集長のような方ならば問題ありませんが、例えば漫画家のアシスタントや会場を整理している編集社の平社員ならば、肖像権の侵害になると思われます。いずれにしてもHPIM0370.JPGに書いてある注釈文を理解する必要はあるかと思います。
私自身特に後方二人の男性が問題ある画像だと思いますが、その解釈すら間違っている可能性もあります。今回のケースの場合「あきらかに」肖像権侵害とは言えないし、もし問題ある画像の場合Commons:削除依頼をしたりWikipedia:井戸端/subj/人物画像の掲載についてなど一定の議論を経た後に除去ならば異存はありません。--59.147.80.88 2009年2月11日 (水) 05:44 (UTC)[返信]
こういう場合、結論がでるまで「肖像権保有者にとって有利になるように」慎重に対処すべきですので、IPアドレス59.147.80.88さんのご意見はご意見として、一旦肖像写真は表示しない状態でWikipediaの方針を確認するのが宜しいと考えます。また記事の完成度において肖像写真(そもそも、この写真がホンモノかどうか、投稿者以外には確認できませんよね?そっくりさんかも知れないし・・)は必要不可欠とまでは言えないものだと考えますがいかがでしょうか。サイン会で撮影された肖像であれば公人扱いでライセンスフリーだとの話しも寡聞にして聞きません。(あーいやでも自営業者が自営の業務として撮影を許諾した場合がもあるか・・その場合でも頒布しない暗黙の前提で許諾してる場合もあるだろうし・・ムムム・・)--ネコバット 2009年2月11日 (水) 06:42 (UTC)肖像権という記事で勉強した限りでは、財産権としての肖像権侵害に触れる「可能性」があり、掲載の差し止め訴訟を起こされるなり、損害賠償請求訴訟を起こされるなりしてWikipediaが敗訴した場合には掲載できなくなりますが、民事裁判を起こされるまでは掲載しておいても構わない、と投稿者レベルで勝手に判断してWikipedia財団にツケを持っていくスタンスでよいのかどうか、ちと疑念があります。ご意見を承りたいです。--ネコバット 2009年2月11日 (水) 06:56 (UTC)[返信]
「肖像写真は表示しない状態でWikipediaの方針を確認するのが宜しいと考えます。」という意見に関しては賛同します。私自身少なくても後方2名の男性は問題ありと思われます。ただし、それは一時的避難に行うべきであって、除去する方は「Wikipediaの方針を確認する」努力を積極的に行うべきではと思います。少なくても注釈文は理解する必要はあり、問題がある画像についてはCommons:削除依頼するべきかと思います。--59.147.80.88 2009年2月11日 (水) 07:40 (UTC)[返信]
(追加コメント)ウィキメディア・コモンズにデータが残っている以上、除去は根本的な解決にならず[除去する方は「Wikipediaの方針を確認する」努力を積極的に行うべきでは]という点は改めて指摘おき、問題なき場合は表示しても差し障りないと思われます。それはさておき、今回コメントはネコバット氏の「サイン会で撮影された肖像であれば公人」という点に関し、補足説明をしておきます。その前に2点前置きしておきたいのですが、
  1. Wikipedia:画像利用の方針#肖像権について』の「「公人」が公務をしている状態の写真」は肖像権が問題にされることは無い、との記述が正確であると仮定する
  2. 私が記述している内容は専門家(例えば弁護士など)の助言をうけたものではないので、正確な記述がなされているか確認していない
という点を明確にしておきます。その上で4名が写真に撮られていますが、内3名は解りませんので主題の被写体に関して記述します。ペンネームでのみ活動している漫画家、サイン会など公の場に容姿を明確しない漫画家は「公人」とは言えないと思います。例えばなにかの受賞パーティーというのも、不特定者が参加することはないと思いますので「公の場」ではないと思います。「公人」とは、<公職にある人>という他に、<社会的な立場にある人>があり、取締役、弁護士、大学の学長、雑誌の編集長、ジャーナリスト作家などが含まれると思われます。そこでサイン会は「公人が公務をしている状態」すなわち、『Wikipedia:画像利用の方針#肖像権について』の例題として挙がっている「企業が開催するイベントで社長などがするキーノートスピーチなどの場面」に類似する状態と思われます。--59.147.80.88 2009年2月14日 (土) 07:46 (UTC)[返信]

鳥山明との合作[編集]

単独記事にしててもいいのでは? --神頼みより安上がり 2010年3月30日 (火) 03:30 (UTC)[返信]

コメント それは、「さちえちゃん」と「ジヤ」の二つを独立記事とするということでしょうか? あるいは「鳥山明と桂正和の合作」(仮)の様な形で二作を合わせた形で独立記事とするということでしょうか?
実を言いますと「ジヤ」については短期ではありますが連載ですし、独立記事をローカルで執筆中です(だいぶ予定より遅れていますが……)。--マクガイア 2010年3月30日 (火) 14:07 (UTC)[返信]

共作なのに片方の作者の記事内に書かれ、桂正和×鳥山明共作短編集 カツラアキラという名前で短編集が発売されているので分割してもいいのでは?--210.225.222.181 2015年5月16日 (土) 01:42 (UTC)[返信]