ノート:李垠

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李垠[編集]

なまえで”イ・ウン”と現在の韓国語よみだけが記述されていますが、リが当時の発音です。また現在の北朝鮮でも”リ”です。 ここでは朝鮮語とあるの、”リ”が正しいのではないでしょうか? それとも両論書きますか?

Yi Jin も同じです。Rhee Jin.--Lulusuke 2006年9月9日 (土) 00:52 (UTC) 演じた俳優にラストプリンセスでコ・スとありますがコ・スが演じたのは甥のイ・ウ王子です。広島で被爆して亡くなった方です。この映画でイ・ウンを演じたのはパク・スヨン氏です。訂正お願いいたします。--rosehann[返信]

和暦削除について[編集]

Hyolee2さんにより、李垠の年表および李方子の文中のうち、和暦の一部が削除されました。下記の理由から、当面差し戻しさせていただきましたので、削除するのであればご協議願いします。
  • 両人共に日本にゆかりの深い人物であり、記事の殆どが日本関係のものです。全体の体裁からしても和暦は削除しないほうが良いと思います。
  • 削除時コメントがそれぞれ「(大韓帝国、大韓民国は日本暦を使用していない)」「(→戦後、韓国人として: 韓国帰国後の和暦部分は削除)」ですが、どちらも和暦削除の理由になっているとは思えません。
  • 李王垠伝記刊行会編『英親王李垠伝 李王朝最後の皇太子』共栄書房2001年でも日本国籍時以外の前後の事象についても元号表記(一部西暦を併記)を使用している。
  • 今回の和暦削除は日本国籍基準でもなく、在地起因でもなかったので削除基準が不明。
--Yasumi 2010年10月1日 (金) 21:53 (UTC)[返信]
李垠は大韓帝国皇太子につき日韓併合前と大韓民国帰国後の和暦使用はナンセンスですね。大韓帝国時代は建陽(1896年の太陽暦採用(陰暦11月17日を1月1日に))、光武(1897年8月16日から1907年まで)、隆熙(1907年から1910年の日韓併合まで)が使われていました。明治は使っていません。大韓民国は1962年以後は西暦のみ使用しています。(新聞には壇紀年号も使用されていますが。)--hyolee2/H.L.LEE 2010年10月1日 (金) 23:33 (UTC)[返信]
日本に関係のない記事ならいざ知らず、本記事の大部分は日本関連です。なにがナンセンスなのか理解しかねます(独自研究でしょうか?)。記事全体を通して読んでいただきたいと思います。また、大韓帝国に元号があることは元々承知していますが、それは日本元号を削除する理由にはなりません。更には日本元号表記は出典である信頼できる情報にもある表記です。なお、当然ですが、本記事の編集には、大韓帝国および大韓民国で日本の元号を使用したなどという主張など存在しません。--Yasumi 2010年10月2日 (土) 00:53 (UTC)[返信]
コメント なにか寝ぼけたことを書いていましたんで、いったん取り消しました。発言しなおし。
表記ガイド#年月日・時間の「日本に関する事柄の場合は和暦を併記することが望まれます。イスラームにおけるヒジュラ暦、フランス革命時における革命暦等も同様とします。」というくだりを、わたしは次のように解釈しています。
西暦と異なる暦法が使われていた時代のことは、その暦法での年号表記のほうが正確になるので、読者の理解を助けるために、併記が望まれる。
大日本帝国は1873年、大韓帝国は1896年から西暦 (グレゴリオ暦) を暦法に用いていますから、元号による年号表記は正確さを増すものではありません。同義反復が多用されると読みづらくなります。したがって、記事中の光武元年以降および明治30年以降の元号併記は不要とおもいます。
特に没年については、日本での事象というわけではない (それどころか死没地の大韓民国が日本の冊封、支配、保護、委任統治などの影響化にあった事実さえもいっさいない) ので、和暦年号を書く必要はまったくないでしょう。--Hatukanezumi 2010年10月2日 (土) 02:00 (UTC)[返信]
記事の年表記に関して、hyolee2さんの言われることと、Hatukanezumiさんの言われることには温度差があるようです。
Hatukanezumiさんの意見は「この記事には西暦のみ記載することとし、元号は不要であるから削除すべき」とのことだと理解しました。私は「日本語版の読者には年代を和暦で追って理解する読者も多く、その利便性を考慮してこの記事に和暦併記を行うことは理解の助けとなるため有用」だと考えます。和暦併記は間違った事ではなく、出典(『英親王李垠伝』)にもある表記形態であり、和暦を削除する必要は無いと考えます。
また、表記ガイドについては「西暦を原則とします。和暦も併記することができます。」と素直に読めば、和暦併記は可能であり、少なくとも削除の理由にはなりません。hatukanezumiさんによる、表記ガイド文中に無い制限を加えた解釈は広く認められたものでしょうか?また、それは一概に機械的和暦削除に適用しえるものでしょうか?記事中の年表記を見たときに、明治43年の韓国併合、昭和20年の終戦と朝鮮放棄、昭和40年の日韓基本条約締結、などなどの基点となる出来事を和暦で連想する場合の利便性を考慮していただけたらと思います。
hyolee2さんの意見は「日韓併合前と大韓民国帰国後は和暦削除」と基準が分かりにくいのです。前者は国籍(?)基準(日本在地でも和暦削除、大韓帝国年号併記)、後者は在地基準(無国籍の場合は和暦併記、韓国へ移ってから西暦単記)のようです。国籍(?)基準であるならば、新憲法後の無国籍時代、渡米のための日本国籍取得時代など同一記事内で一々和暦を外したり付けたり、という区別をすべきとお考えでしょうか?または、在地基準であれば今後の記事発展により欧州外遊中・支那派遣中・米国滞在中の記事が追加された場合は、その部分だけ和暦を削除すべきという考え方でしょうか?いずれにしろ、リバートされた一部和暦削除は、どちらの基準でもないため、一貫したものてはありませんでした。どういう基準に則った削除意見なのでしょうか?ご説明いただきたいと思います。
現在の年表だけみれば、グレーゾーンもあるものの日本関連の項目が8割以上と多くを占めています(滞在年で見ても7.5割以上)。このように日本との関係が非常に深い日本の元王公族の人物記事であり、記事には和暦を併記して良いと考えます。
いずれにしろ、記事への有用性評価とルール解釈による相違であれば最終的にコミュニティに従うこととなりましょう。既に述べたとおり、私の意見はこの記事に「元号併記を受け入れる」というものです。あくまでも削除を推進するのであれば、この記事に「元号併記を認めない」「元号併記あるいは西暦単記を在地で区別する」「元号併記あるいは西暦単記を国籍(?)で区別する」などの対立意見を一本化あるいは併設してコメント依頼や投票による解決を推進していただきたいと思います。--Yasumi 2010年10月4日 (月) 11:42 (UTC)[返信]
うん。hyolee2/H.L.LEEさんの意見とHatukanezumiの意見はちがうよ。Yasumiさんとももちろんちがう。
  • hyolee2さんは、いわば「事象の『国籍』に応じて、適切な元号年号を記載すべきだ」というようなことを言っているとおもいます。
  • わたしは今回の場合、「事象を記述する年代の暦法がすべてグレゴリオ暦だから、西暦表記だけで十分」と言っています。
  • Yasumiさんはまた別の意見で、元号年号は表記すべきとしながら、日本元号の年代のみを表記するのがよいとしているようです。
ですから、三者とも一致するところとしないところがあります。
  • Hatukanezumiとhyokee2さんは「死没年日本国外の事象に元号併記は不要」という点でのみ一致します。
  • hyolee2さんとYasumiさんは、「日韓併合から韓国「帰国」までの間は和暦併記は可」という点で一致します。
  • YasumiさんとHatukanezumiは、一致しません。
さて、どうしましょうか。--Hatukanezumi 2010年10月4日 (月) 12:06 (UTC) 訂正。--Hatukanezumi 2010年10月4日 (月) 12:51 (UTC)[返信]

コメント 西暦を原則としつつ和暦も併記することに、何の問題があるのでしょうか?Hatukanezumiさんの見解には同意しかねます。--三階菱 2010年10月4日 (月) 12:20 (UTC)[返信]

コメント「日韓併合前と大韓民国帰国後は和暦削除」に賛成します。全体として日本にゆかりの深い人物であっても日本で起きたわけでない事象について和暦を付すことは間違いと思うからです。それで記事全体の統一性が損なわれると言うのであれば、和暦を全て取り払うしか統一性は保てないでしょう。和暦を付すなら日本についての事象についてだけです。--プリズム11 2010年10月4日 (月) 14:02 (UTC)[返信]

コメント「日韓併合前と大韓民国帰国後は和暦削除」には賛成します。個人的には全部削除でいいとおもうんですが、それも通りにくそうですし。
ですると、李方子李玖徳恵翁主桃山虔一なんかも同様の検討が必要になりそうですね。さすがに高宗 (朝鮮王)李承晩でも同じことをやったら変だとおもいますけどね。←けっこう未練がましい --Hatukanezumi 2010年10月10日 (日) 14:30 (UTC)[返信]

△11も全部削除で良いと思いますよ。ただもし和暦を併記したいのであれば日本で起きた事象についてだけでしょう、という意見です。--プリズム11 2010年10月11日 (月) 04:38 (UTC)[返信]

コメント全部削除に反対。少なくとも「日本の皇族と結婚」といった事象は日本での出来事でもあり、和暦削除の根拠が全く無い。理由も示さず削除削除とわめくのは止めなさい。220.215.96.141 2010年10月11日 (月) 08:06 (UTC)[返信]

どなたが「削除削除とわめ」いたのでしょうか?--プリズム11 2010年10月11日 (月) 08:13 (UTC)[返信]
和暦を全て取り払うしか統一性は保てないでしょう。これは誰が書いた?△11も全部削除で良いと思いますよこれも誰?あちこちで荒らしばかりいい加減にしとけよ。220.215.96.141 2010年10月11日 (月) 14:20 (UTC)[返信]

上の問答はなんだかよくわかりませんが、「日韓併合前と大韓民国帰国後は和暦削除」については特に異論もでないようなんで数日中にやっときます (だれかほかのひとがやってくれてもかまわない)。念のためですが、Yasumiさんはなにか意見ありますか。--Hatukanezumi 2010年10月11日 (月) 15:30 (UTC)[返信]

「日韓併合前と大韓民国帰国後は和暦削除」については特に異論もでないようなんで >なんで私の意見が無視されるのでしょうか?私は削除に合意していません。
王世子・李王については国籍でなく王族譜であり、その後の無国籍・日本国籍取得までは出典で確認できたのですが、その後の大韓民国国籍取得と日本国籍喪失について当方では確認できていません。今回の議論の前提として、はっきりしているのか疑問です。
日本と深く関係した人物であり、この項目は「日本に関する事柄」に該当すると思います。人物伝の一項目単位で、年号表記を国籍由来や在地由来で変化させるような事は一般的なのでしょうか?当時も今も和暦は西暦と並んで日本語利用者に広く年数を表現するために使われてきた表記ですので、読者が年数を理解・把握・比較る上で有効です。
また、発言を見るとプリズム11さんは下記発言から二種類のロジックを使われており矛盾しているようにも見え、例えば大韓帝国皇太子時代の日本留学の年表現や李王時代の外国在地の年表現についてどう考えているのかよくわかりませんでした。
  • 「日韓併合前と大韓民国帰国後は和暦削除には賛成」←(国籍(?)による年号区分論)日本国籍(?)時のみ和暦併記可という意見でしょうか?
  • 「もし和暦を併記したいのであれば日本で起きた事象についてだけ」←(在地による年号区分論)日本在国時のみ併記可という意見でしょうか?
--Yasumi 2010年10月11日 (月) 21:09 (UTC)[返信]
確かに「国籍」によるのか「場所」によるのか自分の中でもはっきりできていませんでした。そういう色々な基準が出て来うること、併記が必要とされているのではなく併記を妨げない程度の話なので全部削除の方がすっきりしますね。--プリズム11 2010年10月11日 (月) 21:56 (UTC)[返信]
削除には反対。もし大韓帝国の元号を追加したければ、併記すればよい。戦後に関しては、和暦を併記したほうが全体として読みやすい。つまり現状でよい。だいたい読者が不信に思うでしょう。なんでここだけ和暦が無いんだ?って。「そっかーこの時点では韓国籍で戦後は韓国には元号が無いから書いてないのかー」なんてエスパーすぎる。--R-H 2010年10月12日 (火) 01:17 (UTC)[返信]
要するに「西暦じゃない現地の元号を併記するかどうかの統一基準を決めなければならないのは面倒だし、事実上無理だ」って話なので、言うまでもなく韓国の元号も要らないでしょ。不審に思う読者のためにも統一基準の方が良いですね。とすると全部削除しか残りませんよ。--プリズム11 2010年10月12日 (火) 01:59 (UTC)[返信]
  • コメント 大韓帝国時代の和暦排除派の方へ確認したいのですが、日韓併合前の和暦について大韓帝国が事実上の保護国となった第二次日韓協約締結以降の期間はどうするんでしょうか? このことも検討しての大韓帝国時代の和暦排除提案でしょうか? 個人としては、事実上の保護国化~併合までの期間も和暦併記の方がいいような気がしますがね。ということで一つ異論を提示しておきます。--かげろん 2010年10月12日 (火) 06:29 (UTC)[返信]
和暦を併記したい人はなぜ「和暦を排除」しているように宣伝しているんでしょうか。「記事内の統一性から全部併記すべき」と書いているから「統一性を重視する論理の帰結としては全部削除しかないですね」という客観的事実を述べているだけなんですがね。それは論理の帰結であって、意見じゃないですね。--プリズム11 2010年10月12日 (火) 09:50 (UTC)[返信]
コメント 話を広げてしまいますが、かげろんさんが検討と言われるので材料を提供します (以下「和暦」というのは「日本の元号を使った年号」という意味です)。
最近、某首相も読んだという大城立裕『小説琉球処分』が再文庫化されたんで読んだんですが、琉球王国琉球処分まで数百年にわたって日華「両属」、つまり両方の国の朝廷に服属して朝貢するという政策、をとってきたんですね。この場合、年代表記に元号の年号を併記するとしたら、基本は日本元号との元号とのダブル併記ということになりますよね。そうでなく和暦のみ併記したら日本中心の記述ですから (ただ、当時のは中国のものを使っていた可能性はあって、そうすると和暦の併記は不正確ということになります)。
さて、和暦のみ併記にしてよいのはいつからでしょうか。島津の支配が始まったときでしょうか。でもこの時点では「両属」政策は続いているのです。では琉球処分以降でしょうか。しかしこれは、国際政治上は独立国と解釈する余地があった琉球を日本がとして併合したものですから、和暦のみ併記するのはまだ日本中心の観点ではないでしょうか。
戦後、米国の管理下を脱した「本土復帰」以降なら、併記するのは和暦のみでよさそうです。しかしそれ以前の米国の影響の下にあった琉球政府の時代は、和暦を併記するのはおかしいことになりますね。
長々書きましたが、「日本とゆかりがある」といった概括的な理由づけで記事全体で一括の方針をたてようとすると、どうしてもあいまいさを含みます。琉球/沖縄の例ほど極端ではないですが、当記事の場合もそうですし、上で述べた李垠の係累の記事だってそうです。さらに孫文金大中アウンサンスーチー (いずれも日本で生活していたことがある) まで広げて考えれば、記事の記述すべてに和暦のみを併記することが中立的でないことはあきらかでしょう。
少なくとも、当記事のすべての年号表記を和暦併記とするのはやめるべきだ、と考えます。この点に合意が得られないのなら、「和暦併記そのものをやめるべきだ」という意見がでるのももっともなことです。以上、検討してみましたでした。--Hatukanezumi 2010年10月12日 (火) 14:02 (UTC)[返信]
合意できる箇所については和暦併記をしないという 提案
特異な意見がひとつあります。Yasumiさんは、すべての年号に和暦を併記するべきだと主張しているようです。ほかのかたは併記する範囲に異論はあっても、すべて和暦表記でいいとは主張していません。
これは問題です。というのは、このままですと当記事のすくなくとも年号表記に関しては、Yasumiさんを説得しないかぎりほかのひとは修正できないということになってしまいます。
そこでYasumiさんにお願いなのですが、ここはひとつ折れて、「少なくとも第二次日韓協約締結以前と李の帰国以後については、和暦表記を除去する」ということに、同意していただけませんか。
なお、最終的にどの範囲に和暦表記ができるか、すべきかについては、この場のみんなそれぞれに意見に違いがあるようです。また、グレーな部分については当記事だけにもとづいて決めることは難しいとおもうので、場を移したほうがいいとおもいます。--Hatukanezumi 2010年10月15日 (金) 15:47 (UTC)[返信]
Hatukanezumiさんの2010年10月12日 (火) 14:02 (UTC)の本記事から和暦を制限する提案には合意できません。「特異な意見がひとつあります。Yasumiさんは、すべての年号に和暦を併記するべきだと主張しているようです。ほかのかたは併記する範囲に異論はあっても、すべて和暦表記でいいとは主張していません。」この意見は極めて誘導的に思えます。いままで出た三階菱さんやR-Hさんの意見は私と同じく「この記事から和暦併記を排除すべきでない」というものに見えます。意見の多少で議論にまとめを掛けるのであればWikipedia:論争の解決に従って、コメント依頼で意見を募り、場合によってはWikipedia:調査投票の方法でコミュニティの多数に従う必要があると考えます。
かなり観点のズレを感じざるを得ないわけですが・・・Hatukanezumiさんの意見には日本語で和暦も暦として使用されているという事実を無視しているかのようです。「琉球王国・・・の場合、年代表記に・・・和暦のみ併記したら日本中心の記述ですから」(この論法なら「2010」表記も日本・中国POV?)についても、JPOVに該当しないように思えます。例えば今年の出来事について年表記をする場合、日本語では国籍や地域を限定せず「今年」のことを「平成22年」とも表記します(当然、西暦「2010年」と表記する場合もある)。これは李垠の生きていた時代も同じであり、大韓帝国時代であっても大韓民国時代であっても、日本語では「その年」のことを「明治○○年や昭和△△年」とも表記しており(当然、西暦「××年」と表記する場合もある)、日本語において「その年」が場所や国籍の別で「元号□□年」で無くなるようなことはあません。
同じく「和暦のみを併記することが中立的でない」との意見について、現状までの意見で「西暦を排除して和暦のみ」や「併記できるのは和暦のみ」との意見は出ていませんのでここでの議論に関係ない意見でしょう。どうしてこのような前提を違えた意見が出るのか理解できません。
プリズム11さんの2010年10月11日 (月) 21:56 (UTC)の意見は更に分かりにくく、国籍区別や在地区別の基準が「自分の中でもはっきりできていませんでした」とのことですが、結論が「全部削除の方がすっきりしますね」であり、和暦併記を局限ないし全廃できれば理由はなんでも良いと言う意見になっています。
これら和暦が暦として年表記に使用されているという事実、人物伝において年推移・年差を理解する助け、記事を単位として李垠および李方子が日本に関係した人物であること、和暦併記は出典でも使われている用法であることから、本記事から和暦併記を排除する理由はないものと考えます。日本には二系統の年表記法があり、年代を追う利便性を日本語読者から排除すべきではありません。--Yasumi 2010年10月15日 (金) 21:54 (UTC)[返信]
人の意見を捏造しないで下さい。
Wikipedia内でルールの統一性がなければなりません。ここでの決定は他の記事にも影響を及ぼすのです。「日本にゆかりの深い人物であり、記事の殆どが日本関係のもの」などという曖昧な基準では、他の記事をどうするべきなのか全然分かりませんよね。
またルールは明確であって、それを一読しただけで具体的にどうすれば良いのか分からないと意味がありません。とすれば「日本国籍を保持していた間だけは和暦をつける」「日本にいた間だけは和暦をつける」などという基準はあまり良くないと思います。
和暦を併記することに関してはルールで強制されているわけでもなく推奨されているわけでもなく「西暦を原則とします。和暦も併記することができます。」とあるだけです。無論これだけでは削除の理由はありませんが、記事によって、無理に併記すればルールの統一性に害を及ぼすような、そういう性質の記事があるのであれば併記すべきではありません。
以上より「少なくともこの人が日本人ではなくかつ日本にいなかった期間については和暦削除」「和暦全部削除」のどちらかを選択することになります。
というのが△11の意見です。--プリズム11 2010年10月15日 (金) 23:26 (UTC)[返信]
コメント どうもわたしの提案の意図はYasumiさんには伝わらなかったようです。わたしは発言をやめます。--Hatukanezumi 2010年10月15日 (金) 23:30 (UTC)[返信]
(プリズム11さんの2010年10月15日 (金) 23:26 (UTC)へ)意見がよくわかりません、新しい統一ルールを作るのであれば上位プロジェクト等で合意を取り付けて下さい。あくまでもこの議論は李垠および李方子に対してのものです。現状はルールと個別事例に従って和暦併記が可能なので現状を維持するのが良いと思います。それで、どの出典で該当人物の国籍が変わったら和暦を削除するような表現をしているのでしょうか?また、該当人物が何時の時点で日本国籍を失ったという出典はあるのですか?
(Hatukanezumiさんの2010年10月15日 (金) 23:30 (UTC)へ)私の発言に対して、摺り合わせ・追加説明・照会をせずに発言を辞める意図がますますよくわかりません。--Yasumi 2010年10月15日 (金) 23:52 (UTC)[返信]
新しい統一ルールを作るつもりじゃなくても、明らかに「もし事後に統一ルールを作るとしたら、困った先行事例」になるであろうローカルルールをこの記事で作る意図が分かりません。--プリズム11 2010年10月16日 (土) 01:01 (UTC)[返信]
ここで、李垠李方子において、日本と関連のある記事のため和暦併記を存続する事に決着したとして、それはWikipedia:表記ガイド#年月日・時間の「西暦を原則とします。和暦(元号が定められていない場合は天皇在位年)も併記することができます。・・・日本に関する事柄の場合は和暦を併記することが望まれます。」に従い、各記事で「日本と関する」か否かを議論すればよいのであり、現行ルールの通りの運用です。
それをプリズム11さんが「困った先行事例」と言う、それはプリズム11さんが国籍や在地による基準なんてどうでも良く、ただ記事から和暦を局限ないし廃絶したいからではないでしょうか?和暦併記は今まで通りですし、私としては全然困りません。というか、馴染んだ人には和暦でも時代が追えるのですから読者の利益でしょう。--Yasumi 2010年10月17日 (日) 08:05 (UTC)[返信]
コメント 黙るといったけどもうひとつだけ。
不思議なことに、「一律に和暦を併記せよ」と主張するひとは、みんな同じことを言います。
Yasumiさんはなぜ「日本に関する事柄の場合は和暦を併記する」というところだけを言うのですか。その前後にもいろいろなことが書いてあるじゃないですか。逆にいうと、なぜガイドラインでは、「日本に関する事柄の場合は和暦を併記します」といった一文ですまさずに、もってまわったいいかたをするのでしょうか。
要するに、いつでも和暦を併記すべきだということじゃなくて、なにか併記したほうがいい理由があるときに併記するのではないですか。記事を編集するひとがそれぞれ考えて、適切な理由があるときは併記しなさい、ということでしょう。つまり、同じガイドラインを読んでいても実際の記事でどうすべきかは、意見が分かれるのです。
少なくとも、ガイドラインの一部の語句を取り出して金科玉条のようにふりかざすのは、やめませんか。
ではね。--Hatukanezumi 2010年10月17日 (日) 08:46 (UTC)[返信]
「不思議なことに」>私は全然不思議に思いません。普通に読めばガイドラインで和暦併記の採用は「日本に関する」か?否か?に集約されると思いますが。また「一律に」記事単位で適用するのか、年表記に連なる事象単位で区別するのかも論点でしょう。この二点についてこの記事の事情に合わせた判断を下せば良いのだと思います。
逆に私は、真っ先にガイドラインを引用したHatukanezumiさんが書いてあることと真逆に、和暦全廃を主張していることが不思議に思えます。
「みんな同じことを」>先にHatukanezumiさんは「ほかのかたは・・・すべて和暦表記でいいとは主張していません。」とYasumi一人が和暦併記を記事全体に適用しているとの指摘をしましたが、同様の意見が既出であったと認識を変更いただいたと解釈いたします。
「いつでも和暦を併記すべきだということじゃなくて」>いつでも和暦を併記すべきとの主張をしているのは誰ですか?少なくとも私は「なにか併記したほうがいい理由があるときに併記する」の通りに思いますよ。ご意見の後半部に同意です。
つまるところ、なんのために年表記をするかと言えば、読者に記事における時間経過を認識してもらうことで理解を深める事にあり。年表記を行うことによって事象同士やトピックとなる歴史イベントとの前後関係や経過年を知らせることにあります。例えばこの記事であれば、韓国移動年が日韓基本条約成立以前の特異な時期であることが分かります(まだ記事になっていませんが、実際に朴大統領の訪日と事前交渉の過程で移動が可能となった経緯もあります)。これを日本語話者には「1965年」や「昭和40年」で覚えている人がいますので片方を排除する理由はないと思います。また記事は日本の高位高官であり死ぬまで日本と深い関係がある人物伝であり、和暦で時間経過を追っている人にとって「昭和38年」の韓国移動から「昭和45年」の死去まで、滞在が約7年であったことを把握する上でも和暦併記は助けとなるでしょう。
和暦併記は場合によって重要性の比重が変化しますが、記事の主題について「当時現場で使われていた暦法」と「今も日本語で使われている二系統の暦法のうちの一つ」という二面性と利便性があることに目を向けていただけはしないでしょうか?--Yasumi 2010年10月17日 (日) 10:59 (UTC)[返信]
コメント Yasumiさんの発言を読んで、大きな間違いをしていたことに気づきました。わたしもYasumiさんも、そしておそらくほかのひとたちもです。まず用語の説明。
  • 暦法」というのは、年がいつ始まっていつ終わるかや、年の中での月日の割り振りを決める方法のことです。ですから和暦西暦は異なる暦法ですし、それぞれがさまざまな暦法の総称です。
  • 」というのは、ある特定の暦法によって決定された年初年末や月日を記したものです。同じ暦法を使って計算 (暦算) しても、元のデータが異なれば異なった暦ができます。これはここでの話にはあまり関係ない。
  • 紀年法」というのは、暦法で決まった暦のそれぞれの年をどう呼ぶかを決める方法のことです。干支のように循環するもの、元号のように起点がたびたび設定されるもの、西暦紀元のように起点がひとつだけのもの、などがあります。
さて、大日本帝国では、明治5年まで (1872年まで) は暦法として天保暦 (和暦の一種) を公式とし、1873年 (明治6年) の元旦からはグレゴリオ暦 (西暦の一種) を公式としました。しかしこの間、紀年法としては元号による方法を用いています。大韓帝国での開国504年まで (1895年まで) と1896年 (建陽元年) からでも、同じことが起こっています。
Yasumiさんの上の発言では、暦法と紀年法を混同しています。明治6年以降や建陽元年以降については、元号を使った紀年を記載しても和暦など旧暦暦年を記載したことにはなりません
その上でガイドラインの文章を読み返してみると、併記するものは「和暦」と書いてあり、「和年号」とか「元号の年号」とは書いてありません。ガイドラインで併記することが望ましいとしているのは、西暦と異なる紀年の年号ではなく、西暦と異なる暦法の年号です
このことがわかると、ガイドラインの文章のほかの部分もすんなり理解できます。たとえば、なぜ日本以外の例としてフランス革命暦ヒジュラ暦を例示するのに、民国紀元主体暦は挙げないのか。答えは、どちらのグループも西暦と異なる紀年法を使いますが、暦法が異なるのは前二者だけだからです。
結論。当記事で現在扱っている事象はすべて、グレゴリオ暦を暦法として用いるようになった時代・地域に関するものですから、和暦の併記は不可能です。いっぽうで、元号による年号の併記は特に望まれていません。--Hatukanezumi 2010年10月18日 (月) 11:28 (UTC)[返信]
西暦に対応して元号のことを和暦のほかに、邦暦と呼ぶこともある。(西暦)。和暦は(中略)645年に制定された大化がその始まりであり、以来15世紀に渡って使われ続けてきている。(和暦)。
そもそも和暦ないし元号を併記するのは、その方がウィキペディア外部の書籍といったものとの連関を取りやすいからでしょう。ですから併記されるべき暦法は、その暦法で書かれ得る事象に左右されるべきであって、その事象の属する地域の暦法に左右されるべきではありません。端的に言えば、もし西洋の事象が和暦で書かれることが一般的(例えばの数字として、西暦と1:1で選択されるようになるような状況を想像してください)になれば、それがウィキペディアに反映されるべきであるでしょう。
さらに言えば、「西暦を原則とします。和暦(元号が定められていない場合は天皇在位年)も併記することができます。(中略)日本に関する事柄の場合は和暦を併記することが望まれます。」これを素直に読めば、全ての西暦には和暦を併記することが可能です。但し、それと、全てに和暦を併記すべきだという主張は異なりますが。
私は年表には(大韓帝国の元号も含め)元号を全て併記するほうがよいかなー、くらいに考えています。というか、外す根拠が無いです(韓国の事象も昭和で書かれえないとは言えないので)。本文は、ちょっと煩いですかね。--R-H 2010年10月18日 (月) 15:19 (UTC)[返信]
R-Hさんにおいては、まず「『そっかーこの時点では韓国籍で戦後は韓国には元号が無いから書いてないのかー』なんてエスパーすぎる。」なる暴言(?)を撤回してからご発言願います。--Hatukanezumi 2010年10月18日 (月) 15:29 (UTC)[返信]

Hatukanezumiさんの「結論」とやらは、まったくのでたらめで考慮する必要はありません。「和暦=旧暦」という単純な解釈は間違いです。もちろん「旧暦」のことを指して「和暦」と言いますが、辞書にも「旧暦のこと、または元号のこと」というように書いてありますし、実際に元号(を用いた記年法)のことを和暦ということも一般的で、公的にも使われています。で、Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間を見てみるとこのように書いてあります。

  • 西暦を原則とします。和暦(元号が定められていない場合は天皇在位年)も併記することができます。
    例: 2006年(平成18年)、622年(推古天皇30年)
    • 日本に関する事柄の場合は和暦を併記することが望まれます。イスラームにおけるヒジュラ暦、フランス革命時における革命暦等も同様とします。
      • 和暦においては、太陽暦移行(1873年(明治6年)1月1日)以後は新暦を、それより前は原則として旧暦を用います。
      • 西暦和暦を併記した場合は、和暦は年号だけのリンクにします。
        例: [[2000年]]([[平成]]12年)[[3月4日]]
        例: [[1869年]][[2月15日]]([[明治]]2年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]])

見ての通り、ここで述べられている「和暦」とは「新暦と旧暦を含む、元号を使用した記年法」のことで、Hatukanezumiさんの主張『ガイドラインで併記することが望ましいとしているのは、西暦と異なる紀年の年号ではなく、西暦と異なる暦法の年号です。』というのはまったくのでたらめです。そして、「日本に関する事柄」では元号併記を推奨しており、「日本に関する事柄」に限定しない、最も基本的なガイドラインと考えられる一行目で、わざわざ和暦(元号を使用した記年法)も使えると書いてあります。本記事の人物は長らく日本で暮らしていたわけで、さらに言うなら日本の王公族であり軍人です。したがって、和暦(元号)併記のほうが妥当だと考えます。なお、生まれたのも亡くなったのも韓国国籍・韓国国内のようですが、その場合も、わざわざその箇所だけ日本の元号を省略することは不適当でしょう。--氷鷺 2010年10月19日 (火) 03:37 (UTC)[返信]

(Hatukanezumiさんの2010年10月18日 (月) 11:28 (UTC)のコメントについて)御意見が「日韓併合前と大韓民国帰国後は和暦削除」から「併記された和暦は全部削除」に戻ったようですが、言いたいことの殆どは氷鷺さんの2010年10月19日 (火) 03:37 (UTC)でコメントされている通りです。更に付け加えるなら、例示に明治6年以降の「平成」という年号表記があることからも、Hatukanezumiさんの解釈である併記できる和暦は明治6年以前の年月日に限定されるという解釈は間違いであると考えます。
何しろ私にはHatukanezumiさんのWikipedia:表記ガイド#年月日・時間の解釈が奇異に思えます。奇異に見えたとしてもルール解釈についての相違ですから、議論対象となっている李垠李方子の年表記のうち、併記された和暦を削除するか否かは、1.相互の意見とその批判をまとめた上で、2.Wikipedia:論争の解決に従って、Wikipedia:コメント依頼を提出し、3.それでも合意点がなければ調査投票でコミュニティの多数が支持するルール解釈で合意を取るという方針を提案します。でき得れば、現状記事を変えて和暦削除する方向の提案をしている方に議事進行をお願いしたいです。同意または議事進行の代案提出をお願いします。如何でしょうか?お返事下さい。--Yasumi 2010年10月22日 (金) 21:15 (UTC)[返信]
コメント 私は、「我々ウィキペディアンはこれまで、『和暦』という表現で暦法と紀年法を混同して議論してきたのではないか」と問題提起しただけです。私の立場は以前から「新暦年代に元号年表記はいらない」というものですが、この場で議論に参加されている方々ひとりひとりに意見の違いがあることも認識しております。従いまして、「ここはひとつ折れて、『少なくとも第二次日韓協約締結以前と李の帰国以後については、和暦表記を除去する』ということに、同意していただけませんか」というYasumiさんへのお願いも変わりません。それに対してあくまでも、ひとびとの間の意見の相違を矛盾であるかのように論うことで記事編集におけるご自身の意思を押し通そうとなさるのでしたら、私からこれ以上申し上げることは、何ひとつございません。黙ります。--Hatukanezumi 2010年10月23日 (土) 12:20 (UTC)[返信]
Hatukanezumiさんの結論とはこの度における相互の議論を得て下された、相手に提示するための最終意見ではなく、対話とは関係のない、独り言だったということでしょうか?ますます分かりません。
さて、当方では特に他者を論う必要もなく、今まで出た意見について集約を行い、論争の解決に従って最終的にはコミュニティの多数意見に従うという提案が蹴られて遺憾に思います。現状変更を行う側が議事進行を行うのが筋だと思っていましたが、このまま代案等が出ずに議事進行が行われないのでれば、他の人の意見を待ちながら暫しの様子見の後で当方にて議事進行を行いたいと思います。その中で私の意見も是非を問われるでしょうし、Hatukanezumiさんのルール解釈も是非を問われることとなるでしょう。--Yasumi 2010年10月24日 (日) 12:56 (UTC)[返信]

和暦削除議論の合意形成について[編集]

2010年10月24日 (日) 12:56 (UTC)に和暦削除に関する議論について、「まとめ」→「合意形成のためのコメント依頼」→「調査投票結果による合意」という提案をさせて頂きましたが、この2週間の間には別途提案も反対意見もありませんでした。再度確認致しますが、特に和暦削除を推進される提案をされる方で、私の提案以外の議論解決プロセスの提示はありませんか?この議論をどうするつもりなのか、もう少し待ちたいと思います。また、調査投票の暁にはHatukanezumiさんのルール解釈がどの程度支持されているかも問いたいと思います。--Yasumi 2010年11月7日 (日) 11:09 (UTC)[返信]

反対がないようなので、まずは今までの議論を集約して対立点の明確化を図る方向で進行したいと思います。今までに多少ブレがありましたが、「(現状維持)和暦の併記容認」の対論としては「(変更案)日韓併合前と大韓民国帰国後は和暦削除」を軸にまとめたいと思います。--Yasumi 2010年11月14日 (日) 09:25 (UTC)[返信]

和暦併記の削除に関する議論のまとめ[編集]

李垠および李方子の記事の和暦併記について、 「1.日韓併合前と大韓民国帰国後は和暦削除をすべき」 「2.併記されている和暦は全削除すべき」 という2つの変更意見があり、対して、 「3.和暦併記は維持するべき」 という意見と対立しました。下記に議論で出た意見をまとめます。 また、議論に関係の深いWikipedia:表記ガイド#年月日・時間を一読ください。

併記された和暦に削除をするか否か? (A=肯定的意見、B=批判的意見)
1. 「日韓併合前と大韓民国帰国後は和暦削除をするべき」
11 (A)両人の国籍国家で和暦が使われていない場合は、日本に関係しないとして、和暦を削除すべき。
(B)31A。また、その論理でも戦後に関しては日本国籍を放棄したソースが提示されていない。
12 (A)当人所在の現地国家で、和暦が使用されていない場合は、日本に関係しないとして、和暦は削除すべき。
(B)31A。在地基準で一々出国のたびに和暦併記を部分削除することは、和暦で時間経過を把握する日本語版読者の利益を損なう。
13
2. 「併記されている和暦は全削除すべき」
21 (A)表記ガイドを解釈すると、西暦以外の暦法がグレゴリオ暦を使用している場合は、西暦以外の表記は正確さを増さず、同義反復で可読性が落ちるため併記は不要であり、本記事では和暦は全削除が相応。
(B)そのような解釈はできない。
22 (A)表記ガイドを解釈すると、ガイドラインで併記可能な「和暦」とは、暦法の異なる太陰暦等を使っている場合のみであり、本記事では和暦は全削除が相応。
(B)そのような解釈はできない。
23
3. 「和暦併記は維持すべき」
31 (A)両人とも日本に関係の深い人物であり、記事全般を対象として和暦併記は可能。
(B)11A。12A。
32 (A)出典『英親王李垠伝』でも年表や本文全般に和暦と西暦の併記が採用されている。
33 (A)記述当時および現在の日本語も和暦が使われており、読者の年代把握に利便性がある(和暦は西暦と共に日本語では時間把握をするための物差しであるため)。
34

取り敢えず、当方で取り纏めてみました。追記修正があれば直します。これらを受けて、李垠および李方子の記事より和暦併記を部分削除、または全削除すべきか否か、合意に向けたご意見を乞いたいと思います。--Yasumi 2010年11月30日 (火) 21:29 (UTC)[返信]

議論が停滞してしまいましたが、議題の両記事に関しては当面現状の通り「和暦併記は残す」と結論付けて議論をクローズしたいと思いますが、現状で異論はございませんでしょうか?--Yasumi 2011年1月9日 (日) 23:05 (UTC)[返信]
提案以来反対意見がないようですので、提案通りに当面の結論として李垠および李方子の記事には「和暦併記は残す」と結論付けます。ありがとうございました。--Yasumi 2011年1月23日 (日) 04:29 (UTC)[返信]