ノート:末次信正

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「対ソ強硬論を唱えていない」として編集が行われましたのでご説明します。まずご理解いただきたいのはこの記述は末次の内務大臣のセクションであることです。『日本とナチス独逸』が著された1940年とは、時期が異なります。内務大臣時代(1937年から1939年にかけて)の記述を、三国同盟成立後に出版された著作をもって否定するのはいかがなものでしょうか?三国同盟推進者の松岡洋右はソ連を同盟に引き込むことも考えておりましたし、同盟成立後に末次が主張を変更しても、それはそれであり得るかもしれません。記述なさりたいのであれば出典明記の上で行ってください。私はあまり必要性を感じませんが。なお内務大臣時代に末次が対ソ強硬論を唱えたとする出典は秦郁彦氏の『昭和史の軍人たち』303頁の記述です。以下引用します。

「その後、対中国ばかりでなく対米、対英、対ソ外交についても末次の強硬論は目立った」

無論内務大臣時代の記述です。ご存知のように秦氏は近現代史を専門とする著名な歴史学者です。出典として用いるのに不足はないかと思われます。私としては出典を明記した上で、記述を復帰させたいのですが、いかがでしょうか?ご返事をお待ちします。--Stingfield会話2012年8月29日 (水) 10:38 (UTC)[返信]

記述を戻しました。--Stingfield会話2012年9月7日 (金) 12:17 (UTC)[返信]