ノート:朝永振一郎

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中間結合論[編集]

朝永振一郎と直接関係なくて申し訳ないのですが、業績の一つにある中間結合論がBCS理論の三本柱という記述があるのですが、他の二つは何なんでしょうか?この三本柱は一般的に認められているのでしょうか?ご存知の方がいらしたら、教えていただけませんでしょうか。--Serval 2011年9月4日 (日) 18:26 (UTC)[返信]

「失敗した理論」のところで挙げられている『新編 素粒子の世界を拓く―湯川・朝永から南部・小林・益川へ』p72には、「朝永の中間結合の理論は後になって、1975年、超伝導のBCS理論に応用される。シュリーファーがいろいろ試みた末に、ふと思い出したのだという。」としか書かれていません。この情報を書いた人の編集は、出典を確認しない限り全く信用できないので消しておきます。--NS5-brane 2011年9月8日 (木) 12:29 (UTC)[返信]
ありがとうございます。--Serval 2011年9月9日 (金) 00:11 (UTC)[返信]
物理学会誌にある。知らない?
超伝導や自発的対称性の破れに使われる
この中間結合論はその後の20年の理論的な展開の基礎となった。例えば、自発的対称性の破れ(南部, Jona, Lasinio)も真空状態の非摂動的な考察から生まれたものである。また、超伝導を理論的に解明しノーベル賞を勝ち取ったBCS理論の基本3個、フォノン、クーパー対、超伝導方程式のうちの方程式の基礎形式に採用された。

「ゲージ」について[編集]

222.226.220.196氏(=過去ログ中の"問題IP氏")の編集の特徴の一つとして、「ゲージ」という単語にやたらとこだわり、「ゲージ」という単語を基軸に(むりやりにつなげて)歴史をまとめるという点があります。この項目では、朝永の仕事として「超多時間理論」「くりこみ理論」とともに「可換ゲージによる量子電磁力学の表現形式」(この書き方も違和感が大きい)が挙げられていますが、朝永の仕事として「ゲージ」を他の2つと並べて挙げることには大きな違和感があります。電磁場や、その量子論にゲージという概念を持ち込んだのは朝永ではありませんし、量子電磁力学の発展に関して「ゲージ」という観点で朝永が新たな視点を与えたという話は聞いたことがありません。(Nakanishi-LautrapやBRSとかを挙げるならわかります)

また、ゲージ理論やくりこみが「以後の理論建築の指針となる」と書かれていますが、同じゲージ理論でもQEDとQCDやWS理論の間には大きな隔たりがあり、60年代あたりに紆余曲折を経ているわけですが、それをすっ飛ばして、何でも朝永の影響のごとくに詰め込むのは却って朝永の業績の評価を歪めることになるのではないでしょうか。個人的には「ゲージ」という観点での記述は慎重になるべきだと考えます。--NS5-brane 2011年9月8日 (木) 13:04 (UTC)[返信]

NS5-brane大先生[編集]

QCDやWS理論や重力理論の繰り込みまで朝永がやったようにも読めてしまう。「くりこみ」や「場の量子論」に書いておけば十分。) (取り消し)

以上のNS5-brane大先生の話は、ちょっと理解できなかったので、どうしてそのように読むのだろうと思ってしまいました。変な読み方をする。ですが、NS-brane大先生の書いた次を読んで理解できました。自分を私に投影しておられるのかと。

NS5-brane大先生のテキスト[編集]

私(NS5-brane大先生)が書き換える前の冒頭の説明では「1970年に南部陽一郎と後藤鉄男が発表したハドロンに関する理論によって登場したものの~」となっていましたが、一般向けの弦理論に関する本(「エレガントな宇宙」ブライアン・グリーン著、「宇宙のランドスケープ」Leonard Susskind著、「超ひも理論への招待」夏梅誠著)では、いずれも南部、Susskind, Nielsenの3氏が挙げられており、後藤氏の名前はありません。(夏梅氏の本には、後藤氏の仕事についての言及があります)
後藤氏は、弦の世界面上の作用(en:Nambu-Goto action)にその名を残しているように、初期の弦理論に後藤氏の貢献があったことは明らかなのですが、原論文がProgress誌に投稿されたのは南部らによって弦を用いたモデルが考えられた1970年の翌年の1971年5月10日のようです(後藤氏の原論文)。この時点では、南部ら3氏だけでなく、RamondやNeveu-Schwarzによる仕事(worldsheet fermionの導入)もなされており、最初に弦理論を提案した人物として後藤氏を挙げるのは無理があるように思います。
実際、後藤氏の論文には、南部氏のレクチャーノートやSusskindの論文が引用されており、弦を用いたモデルの提案という意味では完全に独立な仕事ではなく彼らの提案を元に論文を書いたというのが自然な解釈だと思います。
ただし、南部氏自身の言及(素粒子物理の青春時代を回顧する)によると、南部氏の講演はキャンセル、世界面の作用についても書かれたレクチャーノートは出版されなかったということですし、後藤氏の引用するSusskindの論文には、世界面の作用は書かれていません。その後のRamondやNeveu-Schwarzの論文も(私が確認できた範囲では)oscillatorのみで議論を進めており世界面の作用は書かれていませんでした。世界面の作用に関する後藤氏の仕事自体は、おそらく南部氏と独立に行われたのでしょう。後藤氏自身は、南部氏が同じものを導出していることを、仕事が完成したあとに他の人から聞いたと論文に書いています。--NS5-brane 2010年12月14日 (火) 11:47 (UTC)

NS5-brane大先生のテキスト分析[編集]

NS5-brane大先生は物理学会誌を引用しておられ、物理学会の会員であられると思われます。したがって、「南部先生が、『後藤鉄男が弦のラグランジアンを考案しているのを知らなかった』」と述べているのを読んでいるはずです。これは、先後関係を考えるのに重要な証言でしょう。

「後藤鉄男が弦のラグランジアンを考案しているのを知らなかった」南部先生
「仕事が完成したあとに他の人から聞いた」後藤鉄男

また、後藤鉄男を偲んだ原治による追悼論文には、原が指摘した南部先生の公演での問題-負の確率から、後藤鉄男がいかにしてラグランジアンにたどり着いたかが書かれています。南部先生自身のキャンセルされた公演には、少なくとも正確なラグランジアンはありません。

不完全な仕事を理論の始まりとするか、完成した仕事を理論の始まりとするかは難しい問題ですが、相対論では完成者アインシュタインのものとされます。普通はそうでしょう。

より問題なのは、記述に対称性が見られないことです。

①後藤の論文での「南部先生の話」は出てきますが、南部先生の「後藤鉄男への話」は出てこない。
②世界面の作用が南部先生のレクチャーノートにはあるように読めます。世界面の作用が何を意味するか私にはわかりませんが、負の確率を伴うものであったようです。後藤は新たな、正確なラグランジアンを提出した。これらも知っておられるはずですが、書かれていない。

おそらく、意図的に(後藤鉄男の業績を消す)こういう操作がなされたと考えられます。そうでなければ、赤い毛沢東でしょう。

NS5-brane大先生は後藤鉄男の論文を読んでおられ、後藤が「キャンセルされた南部先生の公演の問題点」を指摘して議論を展開しているのをお読みです。そういうストーリーでないと、論文にならない。
このような意図的な、気持ちの悪い政治家同様の隠蔽は、腹に一物持っている証拠です。一物とは、後藤の業績を貶め、南部先生の業績を「キャンセルされた公演にまで事実を曲げてまで遡らせ」、あたかも後藤鉄男が、南部先生の業績を盗みとったと言わんばかりの書きぶりを言います。
(南部先生は、キャンセル後、論文を書き負の問題点を解消しておられます。これが「後藤の業績を知らなかった」と言う発言の内容です。)
読んだ人間は、事実関係を大抵知らないでしょうから、キャンセルされた公演には、後藤のラグランジアンが書かれていて、後藤は「全く同じ式を得た」と思ってしまいます。テキストどうりに読めばそうなり、それがNS5-brane大先生のみごとな狙い目なのでしょう。

社会では足跡は残らず、消えてしまいます。wikipediaでも上手く運んでおられた。でも、wikipediaには詳細な足跡が全て残る。大活躍されておられます。NS5-brane大先生の開発された荒らしの一つの手口です。文献を巧妙に利用し、事実を自分の都合の良いように曲げ(NS-brane大先生には美しい)歪んだ世界を築く手口です。皆様方も、見習われると良い。失礼します。

私は、朝永に都合の悪い事実も、事実ですから書きます。そうしないと、事実でない世界を描くことになる。そんな自分に耐えられるはずがない。気持ちの悪い自分に。ただし、情報不足で間違えることはあります。もうすぐ、責任を取り引退しますし。

それから、超電導の3大原理ですが、何かに書いてありましたが、見当たりません。Serval、NS5-brane両大先生のようなことはしないつもりです。

--So222226220196 2012年1月7日 (土) 23:41 (UTC)[返信]

中学での講演などは、朝永の発想がどのように形成されたか、どのような発想をしたかについての問題と比べると、重要ではありません。また、中学講演は晩年の事跡として一括することに問題はないと思います。文章がプチプチになっています。

朝永、湯川、坂田の影響の表を本文中に入れましたが、これで良いのかどうか。迷っています。--222.226.220.200 2013年8月5日 (月) 23:10 (UTC)[返信]

「歴史上の位置」節[編集]

久しぶりに記事を見たのですが、「歴史上の位置」節を見て呆れました。執筆者の意見やエッセイでしかないような「脚注」が羅列されており、科学者の業績評価として到底ふさわしいとは思えません。私は科学史や量子力学には詳しくないので改善を図ることができないのですが、これらの分野に詳しい執筆者によって、きちんとした出典の付けられた内容に改善が必要だと考えます。同じ日本人ノーベル賞受賞者という点で、文学の分野には川端康成のような執筆者の主観の入る余地のない素晴らしい記事があるのに、検証可能性という点ではずっと材料が多いはずの科学者の記事がこれではウィキペディアの信頼に傷が付きます。--Unamu会話2018年4月15日 (日) 01:12 (UTC)[返信]

(こちらにあったIPユーザーさんによる投稿は荒らし・目的外利用として除去しました:2022年7月8日 (金) 22:46 (UTC))

随分具合が悪いようにお見受けしますが、大丈夫ですか? どうぞご自愛ください。--Xx kyousuke xx会話2018年9月30日 (日) 01:23 (UTC)[返信]