ノート:朝日新聞社員2ちゃんねる差別表現書込事件

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オッカムの剃刀[編集]

カゲトラさんはオッカムの剃刀を誤用されてます。オッカムの剃刀とは、ある結果についての原因の可能性のなかでもっとも単純なものが、もっとも、蓋然性が高いという推論過程の思考経済などの理論です。したがって、「実際に起こった複雑なこと」の記述を切り捨てることには使えません。現実の世界では、単純なことがもっとも起こりやすいのがふつうですが、複雑なことも起こることもあります。このケースでも複雑な背景がある可能性が議論されたのですが、議論されたこと自体は「事実」であって、蓋然性の問題の話である、オッカムの剃刀とは無関係なのです。

この記事で、朝日新聞の事件で書かれていることはすべてソース付きの事実です。「議論があったこと」を切り捨てる理由としては使えないのです。ソース付きの記述を理由無く削除するのは妥当ではありません。ご再考ください。KurosawaK 2009年8月21日 (金) 09:42 (UTC)[返信]

ネットアサヒ等のものが実際にあるとなっていますがそれはどう事実なのでしょうか? 誤読であると仰られていますが一個人のサイトのリンク等を繋げるだけで、証拠であると認定できるオフィシャルな情報元がないので、不必要な仮定としか思えません。カゲトラ 2009年8月29日 (土) 10:14 (UTC)[返信]

オッカムの剃刀については、定義からカゲトラさんの誤用です。現実に起こったことについては、仮説の説明理論の妥当性の理論であるオッカムの剃刀は適用場面はありません。 ネットアサヒについては、朝日新聞からの書き込のことをよぶので、この事件で実際にあったことが証明されたということです。KurosawaK 2009年8月29日 (土) 18:17 (UTC)[返信]

ネットサヨクという言葉を用いている新聞は無いですね。論壇やはてなキーワードでは扱われてますが。新聞やメディアのソースが無く、ネット上でしかソースが無いとwikipediaとしては項目を作りたくないのですかね。とするとwikipediaは百科事典ではないですね。マスコミ=すべて正論だと根拠無く決め付けているというのが前提ですし。んなわきゃないでしょうに。 --[[後藤昌義 2009年9月1日 (火) 01:48 (UTC)]][返信]

編集について[編集]

本記事の、「ネット規制の議論について自作自演の可能性を排除して議論することは、このケース以降は事実上できなくなった」とする記述につけてある[要出典]のタグを、自明である、として削除される方がいますが、妥当でしょうか?このケースがマスコミに属する人間がネットに書込みをしている事を証明する事柄である、それは理解できますが、このケースを境に自作自演の可能性を排除して議論することが出来なくなった、とは言い過ぎ、及び独自研究ではないかと考えます --豪烈 2009年12月1日 (火) 11:31 (UTC)[返信]

このケースは朝日新聞という法人に帰責されますから、まさに自作自演のケースです。である以上、自作自演の存在証明がなされたケースでその可能性は排除できなくなります。Mazu-da1
拙い言葉で申し訳ありませんが、私が問題にしているのは、「このケース以降は事実上」という部分です。つまり、このケースを"境"にして、ネット規制の議論について自作自演の可能性を排除できなくなった、という意味でよろしいですよね?そのように認識がこの事件を境に変化した、と断言するのは主観であり独自研究であると思いますが。 また、「朝日新聞社の社員が内部から匿名掲示板に差別的な書込みをしていた」事実と、「ネット規制の議論に自作自演の可能性を排除できない」という記述に何の関連性があるのかが理解できません。--豪烈 2009年12月2日 (水) 11:58 (UTC)[返信]
朝日新聞社に帰責される差別書込が存在することが立証されたため、疑いではなく、事実として、自作自演があるということがあきらかになったので、自作自演の可能性は排除できなくなったということです。そもそも、可能性として自作自演があり得ることはネットの性質上、当然ですが、それでも、(特に、朝日新聞などのネットの言論を問題視する勢力による)自作自演など、ないということは、社会的信頼をになう新聞社がしないだろうということから、いままでは、できました。しかし、このケースは自作自演そのものであり、その存在証明ですから、これ以後、そういうことは言えなくなりました。事実としてこのケースが存在しているからです。Mazu-da1 2009年12月2日 (水) 19:44 (UTC)[返信]
本項目で扱われている自作自演とは、「差別書込みなどを根拠として、ネット規制の議論をしている朝日新聞社の当の社員が、差別的な書込みをしていた」という事実に、ネット上から起こった自作自演の疑いの声、という認識でよろしいですか?あくまでも自作自演という疑いの声が一部で挙がったに過ぎないはずです。それが、>特にネット規制の議論について、規制の急先鋒であった朝日新聞の社員が、社のドメインから差別表現の書込をしていたという事実から、本来、インターネットの匿名性から当然ではあるが、規制推進派が規制の理由としてあげてきた差別的書込や荒し行為を自らするという自作自演が、実際にありうることが証明されることとなった。   とは論理の飛躍が過ぎると思います。この荒らし行為が規制推進の朝日新聞社の意向に沿って行われた根拠など何も無い訳で、これをもって「"自作自演"を規制推進派が実際に行う可能性の証明」と主張するのはおかしい。また、特筆性のある記述でしょうか?--豪烈 2009年12月4日 (金) 11:35 (UTC)[返信]
朝日新聞を擁護したいのかもしれませんが、社のドメインから、社員が書込をすれば、朝日新聞に責任は帰属します。従って、自作自演そのものです。朝日新聞社の意向に添ったかどうかは外部からはわからないのでそう判断されるのですいわゆる。(不法行為における外形標準説(最高裁判例)​ )。したがって、これは朝日新聞の自作自演の例です。Mazu-da1 2009年12月4日 (金) 14:52 (UTC)[返信]
 擁護したいとか勝手に決め付けは止めてください。考え方の観点を変えればあなたに批判したい意図を感じるが、とも取る事も可能だと思います。さて、責任の帰属と「自作自演」との決め付けは別だと思います。本文での「自作自演」とは、朝日新聞社がネットの規制などを、政治的な意図を持って社員に差別的な書込みをさせていた、とする文脈のものですよね?それは証明されていないと思います。また別の文脈で使われているとしても、「自作自演」が何を指すのか、本文中でははっきりしません。そのような曖昧な言葉で編集するのはどうなんでしょうか。--豪烈 2009年12月5日 (土) 08:51 (UTC)[返信]
追記します。自作自演という言葉を調べても、今回の行為との関連性がよく分かりません。社員などの差別発言などの責任の帰属が朝日新聞社にあるのは当然です。しかし、自作自演という言葉をなぜ当てはめるのか。①朝日新聞社がネット規制強化の根拠として差別発言などを挙げた②朝日新聞社の社員が差別発言を書き込んだ これら二つに政治的な匂いを感じるのは自由ですが、自作自演の証明にはならないと思います。また、これをもって自作自演の可能性を排除できなくなった、と記述する事も疑問です。--豪烈 2009年12月5日 (土) 09:14 (UTC)[返信]

自作自演とは、マッチポンプのことです。たとえば、新聞記者が、自らが珊瑚礁にKYというイニシャルを刻みつけて珊瑚礁を破壊。記事に仕立て上げた(朝日新聞珊瑚記事捏造事件)ようなケースです。すなわち、自分でやって分で叩くことです。朝日新聞は法人ですから、朝日新聞に帰責される行為を自ら行っておいて、自ら叩けばそれにあたります。この差別書込事件は朝日新聞社に外観法理上帰責されるため、そうしたネット言論の問題を書いている以上、自作自演をしたことになります。 また、本文では、豪烈のいっておられる、朝日新聞社の意図がわからないという意味の反論については、あらかじめ想定していて、可能性の表現にとどめてます。このケースを自作自演そのものというのを否定したい豪烈 さんに、異論はありますが、このケースで重大なのは、外観法理上、朝日新聞に帰責され、外部からみて自作自演となるケースが、実際に起こったと言うことです。つまり、朝日新聞の社内管理態勢のルーズなのか、意図的なのかに限らず、実際に起こっているという現実です。したがって、「規制推進派が規制の理由としてあげてきた差別的書込や荒し行為を自らするという自作自演が、実際にありうることが証明されることとなった」のは疑いようがありません。 Mazu-da1 2009年12月5日 (土) 12:44 (UTC)[返信]

論理の飛躍です。書込みの責が朝日新聞社にあることと、自作自演(マッチポンプ)である事はイコールではありません。そのように主張されるのであれば独自研究であるといえると思います。あなたは珊瑚事件を具体例にあげておられますが、あれは朝日新聞の記者が自ら珊瑚に傷をつけ、それを環境破壊の例だとして記事にしたところ、いわれなき誹謗中傷を受けたダイバー達が追跡調査を行って真実を明らかにし、記者も当該事実の「自作自演」を認め謝罪した、という顛末です。まさに辞書の転じた意味通り「自分で問題を作って自分で演じた(記事にした)」訳です。今回の事件において朝日新聞の記者の差別書込みと、朝日新聞の規制に関する姿勢との関連性は証明されていません。関連性があると騒ぎ立てるネット言論があった、それだけの話です。このような一部の言論空間をもって「"外部"からみて自作自演となるケース」のような記述をするのもおかしい。この二つの事象に関連性を持たせている事自体一つの意見・見方でしか無い訳ですが、百歩譲って疑わしいとした所で、社員の書込みに朝日新聞の法人としての責が存在する→自作自演とどうしてなるのですか?自作自演の意味には当てはまらないと思います。二つの言論がまったくの独立した考えで行われていたとしても、「自作自演」と主張できるのですか?法人として朝日新聞が社員の書込みに責任を負う、これは会社として当然でしょう。だからといって社員の一意見を社の意見と同一視する事はできないでしょう。--豪烈 2009年12月5日 (土) 14:06 (UTC)[返信]

法人の行為としては自作自演ですよ。法人に帰責される差別書込おこなっている、その法人がその差別書込などのネット言論を批判してるわけですから。法人の意志決定とは、代表権限を持つものの意志になりますが、これは外部からわからないので、外観法理で処理されるわけです。したがって、自作自演となります。個人の場合は、個人の行動は一つだけですが、法人の行為とは、その法人に帰責される自然人の行為なのです。したがって、これは自作自演のケースです。

さらに、本文の書き込みでは、自作自演の可能性にとどめているのはあなたの批判を想定していたからです。このケースで問題なのは、外部から、自作自演と判断される、法人に帰責される行為が実際に起こっていたという事実です。つまり、客観的行為としてはすべておこってるわけです。ダイバーのケースのように誰がやったかではなく、朝日新聞とういう法人に帰責される行為を朝日新聞自身が批判してると言うことになるからです。Mazu-da1 2009年12月5日 (土) 14:44 (UTC)[返信]

概ね豪烈氏に同意します。
使用者責任を広く認める判例がこの件に適用されるって主張に出典があるならいいが、そうでないなら独自研究だろう。監督責任とか社内教育・人権意識だとかそういう方向の話と民法715条の判例とでは大分差があるし、専門家の検証可能な出典がないと話にならない。判例は適用された事件以外の出典にはならない。朝日社員が2ちゃんねるに差別書込みを行う者の同類だったという事例にはなっても、「自作自演の可能性」なんてものは常に事実関係が証明されない限りゼロであるとも大であるとも言えない。誰かが主張した出典がなければ言及する価値はない。
頻度の統計とかがないと難しいでしょうね。「犯罪警官が居るから犯罪は警察官の犯行の可能性を排除できない」と書くのと同じで、可能性なら何とでも言えるので言及する価値がない。johncapistrano 2009年12月5日 (土) 16:10 (UTC)[返信]

このケースは2ちゃんねるの業務を妨害したケースですので、判例のケースと同じです。また、使用者責任および、外観法理ともに、朝日新聞に帰責される結論になります。

また、重要なのは、数ある自作自演のケースと同じように、ネットでも、実際に、批判しているやつが、批判していることをやりうるなどいう実例だからです。朝日新聞の社内管理態勢がザルだったか、故意にやったどちらかかは、外部からわからないので、そもそも問題にしていません。Mazu-da1 2009年12月5日 (土) 16:30 (UTC)[返信]

2ちゃんねる(の運営者)が朝日新聞社を実際にこの判例を訴えの中に組み込んで賠償請求するとかでなければ関係なし。その場合でも出典は要るだろうし、ここでどんだけ頑張っても出典ができない限り独自研究で利用者間で議論しても無駄。方針文書をしっかり読んで下さい。johncapistrano 2009年12月5日 (土) 16:40 (UTC)[返信]

書かれているのは、朝日新聞が批判していることを朝日新聞社員がしていたという事実です。これのソースは、朝日新聞の記事を含めて全部あがっています。ソースも十分です。ようするに、「批判している新聞社の社員が差別書込をしていた」という事実を書いているのです。Mazu-da1 2009年12月5日 (土) 16:52 (UTC)[返信]

だから平行線になりますが >朝日新聞が批判していることを朝日新聞社員がしていたという事実、 がどうして「自作自演」の話になるんですか。使用者責任を負うからといって朝日新聞社が自作自演をしていたなどと記述していいのですか。Mazu-da1さんが度々持ち出される判例ですが、今回のケースと共通しているので判断材料になる、というのはあなたの観点からの主張であり、それこそ掲示板の運営が訴えて裁判所の判断を仰がなければ公正な判断からの記述とはいえないと思いますが。また、(現在の編集内容の本文を引用しますが)、 >規制推進派が規制の理由としてあげてきた差別的書込や荒し行為を自らするという自作自演が、実際にありうることが証明されることとなった、 ←この部分、"規制推進派が規制の理由としてあげてきた差別的書込や荒し行為を自らするという"自作自演"と、自作自演の定義をこのように位置づけていますが、政治的な意図などなくただ偶然に社員の差別書込みがあっただけならば、「自作自演」と定義するのは難しいのではないでしょうか?Mazu-da1さんの意見を百歩譲って丸呑みし、社員と朝日の法人としての意見を同一視させても、言動の矛盾の指摘はできても「自作自演」の論拠とする事は出来ないと思います。珊瑚事件は何より当事者が当該事実の「自作自演」を認めています。--豪烈 2009年12月5日 (土) 19:23 (UTC)[返信]
(引用しますが)>ようするに、「批判している新聞社の社員が差別書込をしていた」という事実を書いているのです。   それは既に本記事に記述があります。その事実の記述だけでいいのになぜそれを「自作自演」の「疑い」というwikipediaの中立性から考えても非常にデリケートな方向性にもっていくのか、非常に疑問です。自作自演に関してはただネットでそう騒がれていた、というソースしか見当たりません。Mazu-da1さんがずっとおっしゃっている「不法行為における外形標準説」についても、一つの判例であり、その判例をあなたが独自の観点からこのケースに当てはめるのが疑問であり、また、「使用者責任」が認められるからといって、「行動が同視」されるとまで踏み込んで解釈していいのか大変疑問が残りますし、また「自作自演」という言葉の意味から照らし合わせても、ネット規制に関する姿勢と今回の差別書込みに矛盾する態度があったとして、それを「自作自演」という言葉に当てはめてしまっていいのか、本来の意味からも転じた意味からも大きく逸れている、そう考えます。「自作自演の疑いをもたざるを得なくなった」というのは客観的な事実に基づくというより、Mazu-da1さんの独自研究であると考えます。--豪烈 2009年12月7日 (月) 12:33 (UTC)[返信]
横から失礼します。私は豪烈さんの意見に同意します。Mazu-da1さんの編集は独自研究であり、自作自演疑いについては「そのため、実際の行動の矛盾について、朝日新聞社に自作自演の意図は無かったのかどうかも含めて、インターネット上では大きく議論されることとなった。」の部分で充分に言及されています。--WillDump 2009年12月7日 (月) 14:52 (UTC)[返信]

 鉄道板荒らし問題まとめwikiのリンクの削除について [編集]

リンク削除については、ウィキペディアの方針としと合致しており問題がないのですが、リンクにこのケースで問題となる一次情報がかなり存在しています。したがって、その部分についてのサルベージをしておくのが妥当だとおもうので一応、ノートにリンクを張っておきます。(朝日新聞社 鉄道板荒らし問題まとめwikiNakata88 2010年3月16日 (火) 05:11 (UTC)[返信]