ノート:新唐書

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『新唐書』での「万世一系」論節について[編集]

伏儀さんの立てられた「『新唐書』での「万世一系」論」という節ですが、新唐書記事内に書くべきWikipedia:特筆性を持っているかどうか疑問に感じます。『新唐書』巻220列伝145の日本伝が「万世一系」を強調し、中国に感銘を与える主旨であるとは思えませんし、そのような合意も学術的に存在しないと思います。万世一系#中国での「万世一系」論でも同じことが書かれているようですので、取りあえずそちらのみとして記事を改良されたらいかがでしょうか。それから「「神の代」に属す日本の支配者33人がリストアップされている。」と書かれていますが、『新唐書』日本伝の該当部分には、「自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以尊為號、居筑紫城。」とあるだけで、リストアップなどされていません。明らかに誤りであろうと思います。なおWikipedia:日本中心にならないようにもご覧ください。--Nagaichi 2008年11月18日 (火) 05:48 (UTC)[返信]

私もこれをわざわざ節を改めてまで書くこととは思えません。「日本について」という節はありだと思うし、その中で万世一系に簡単に触れるのもありかと思いますが。本来ならば「日本について」という節自体が日本POVですが、そこまでうるさくいうこともないでしょう。しかし詳しく細かく書くことを許すならば『新唐書』に登場するほかの諸人物・諸外国をいちいち節分けして記述しないとバランスが取れないことになります。--らりた 2008年11月18日 (火) 11:57 (UTC)[返信]

そもそも、なぜこの記事に万世一系を加筆したかというと、『新唐書』での諸人物・諸外国について取り上げた研究者の論説も記述するとよいのではと考えたからです。もちろん、研究者が取り上げていない諸人物・諸外国について記述する必要はないでしょう。ただ、『新唐書』での諸人物・諸外国を取り上げた研究がどれほどあるのか把握していないので、それぞれの論説を取捨選択した結果、万世一系は不要であるという結論であるなら、記述の削除に反対しません。

「中国に感銘」の部分は、「『新唐書』日本伝は中国に感銘を与える主旨である」ということではなく、「『新唐書』日本伝は日本人の主張する万世一系が中国人に感銘を与えた一例」という意味です。「いくつかの事例に照らせば」という出典の記述を追加しようと思います。「33人をリストアップ」については、確かに出典にそう書かれていました。これについては『新唐書』日本伝の該当する記述を注釈で取り上げることで対処しようと思います。楊億については余談です。これは削除しようと思います。節は廃止しようと思います。--伏儀 2008年11月25日 (火) 03:47 (UTC)[返信]