ノート:小出裕章

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基本方針の御理解について[編集]

KAWASAKI Hiroyukiさんは、2012年2月20日 (月) 11:00の編集にて池田信夫氏による批判のみ

>極端で不正確な批判を(他の批判の信憑性をも損ないかねないので)除去

とされていますが、下記の理由により復帰させていただきます。

  1. 「極端で不正確」と池田信夫氏を批判し、小出氏を弁護したソースを提示ください。ノートにも根拠の提示が無いようですが、貴殿の考察の結果である場合には独自研究に該当します。
  1. 次に、極端で不正確である旨、著名な第3者や小出氏が反論していたとしても、「池田信夫が小出裕章を批判した」という事実は全く動きません。Wikipediaは真実追求サイトとしてのスタンスは放棄している筈です。そのようなソースがあったとしても両者は両論併記すべきものであることをご理解ください。
  1. また、「他の批判の信憑性をも損ないかねない」と主張されていますが、他の批判点は他の主張者のソースを提示しており、池田氏とは当面無関係です(批判者相互で言及があれば別ですが)。「池田氏の主張を掲載したから長瀧氏や増田氏の信憑性が損なわれる」と言う発表済みの情報の合成のような考え方はWikipediaでは誤っております。

貴殿のように初期から活動されている編集者がこのような基本的なことを御理解されていないというのは、如何なものかと思います。原発事故以降、原子力分野では著名人も活発な議論を行っており、貴殿個人の意思で安易に「不正確」「信憑性」といった考えを振り回されるのは池田氏のみならず、他の人物に対しても失礼な行為であることを御理解いただきたいと思います。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2012年2月23日 (木) 13:18 (UTC)[返信]

この件について議論するつもりはありません。池田信夫氏による批判にこだわられるのであれば、それに反対するつもりはありません。
ただ、出典として示されている池田氏の記述は、(議論があるにせよ、ある程度コンセンサスが得られていると思われる)チェルノブイリ原子力発電所事故に記載されている事故の影響とかけ離れているようです。専門家でもない私は直感で判断したに過ぎませんが、当該記事で述べられているチェルノブイリ事故の被害状況はおおむね信用できるものだと認識しており、池田氏の記述は旧ソ連の報告をそのまま持ち出したようにしか読めません。前後の文脈や池田氏の日頃の論調を把握していないのでニュアンスはよく分かりませんが、好意的に解釈すれば池田氏は小出裕章氏と同じ手法を用いて小出氏を批判してみせ、おちょくっている、ということでしょうか。いずれにせよ、小出氏に対する批判としては専門家によるもっと適切な例があるはずです。
数ある批判の中からどのような批判を選択するか、というのは記事執筆者の判断に委ねられる部分です。全体の信憑性は読者が判断することです。 --KAWASAKI Hiroyuki 2012年2月24日 (金) 11:57 (UTC) 敬称のみ追加しました。 KAWASAKI Hiroyuki 2012年2月25日 (土) 10:09 (UTC)[返信]
誤解がないよう、念のために補足しておきますが、チェルノブイリ原子力発電所事故の記事を例として挙げたのは一例です。記事の内容を無条件に正しいと判断しているわけではありません。
チェルノブイリ事故については数多くの報道がなされています。さまざまな理由から事故の被害を誇張して報じているケースもあるかもしれませんが、批判としてお示しになっている池田氏の主張は一般に報じられている事故の被害規模からはかけ離れているわけで、わざわざそのような主張を批判の例として示すのは不適切だと私は思います。
あと、要約欄に勝手なことを書いていいわけではありませんが、だからといって要約欄の内容を独自研究だとご指摘いただいても困ってしまいます。ご説明するまでもなく、すぐにご理解いただける内容だと思い、「極端で不正確な批判」と書いただけのことです。
以上、私の編集の意図に疑問を持たれたようですので、ご説明させていただきました。議論は意図していませんし、池田氏による批判が例として必要だと岩見さんがお考えなら、それに対し反論するつもりもありません。こういった例をどのように選択すべきか、という点で考え方に相違があるのかもしれません。なお、返答を要求しているわけではないことを書き添えておきます。 --KAWASAKI Hiroyuki 2012年2月25日 (土) 10:09 (UTC)[返信]
ご返信ありがとうございます。
>小出氏に対する批判としては専門家によるもっと適切な例があるはずです。
もう一度申し上げますが、Wikipediaは編集者による真実追及サイトではありません。批判者にも色々居るならWikipediaはその状況を反映すれば良いだけで、誰が適切かを選別する必要性は一切ないと申し上げておきます。少し根本的な議論をすると、もし日本がドイツ以上の反原発運動の隆盛があり、小出氏を批判する意見がメディアに一つも無かった場合には、小出氏の主張に変化がなくても批判自体掲載出来ません。実際には日本では小出氏の批判にある程度バリエーションが出ているので、それをそのまま反映するだけの話です。不適当な小出批判と目されれば、池田氏に限らず再反論や擁護発言が出てくるでしょう。
>わざわざそのような主張を批判の例として示すのは不適切
池田氏はそう思っていないのですから池田氏による批判の中には正確に盛り込むべきでしょう。チェルノブイリも南京論争同様、犠牲者数で論者にある程度ばらつきがありますし、「KAWASAKI Hiroyuki氏の常識」を持ち出されても困る訳です。諸説あるならそれぞれの説をソース付きで列挙しておくべきでしょうね。削除と言うのは論者の存在を全否定する最低の行為です。
>全体の信憑性は読者が判断すること
個別にソースを振ってあるのに池田氏の批判を見て長瀧、増田氏が信用出来ないと結論するならその読者は非論理的ですね。逆に、小出氏を支持する人達にとっては批判論自体大同小異とも取れます。つまり、貴方は貴方自身が一定の小出批判派であると述べているのと殆ど変わりません。このように読者といっても千差万別想定される記事であり、信憑性云々にいたっては冒頭で述べた真実追及サイトではない、というスタンスの点から編集に反映させるだけ無駄です。
>池田氏の日頃の論調を把握していない
原発推進論者の中でもかなり積極的な方で、ブログの他事故後にPHP新書で批判本『原発「危険神話」の崩壊』も出版しております。その池田氏の議論方法に対して『東大話法』という本で批判も出ていますが、池田氏に対する評価自体は原則池田氏の記事で書くことと思われます。「小出氏への批判の仕方がおかしい」或いは小出氏自身による池田氏への反論なら当記事で問題ないと思いますが。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2012年2月26日 (日) 02:58 (UTC)[返信]
一点だけつけ加えておくと、岩見さんも記事の執筆に際して情報の取捨選択を行っていらっしゃるわけです。今回の場合、公表されている批判のなかから、池田氏による批判を岩見さんは選択していらっしゃるわけです。これはWikipedia以前の問題で、あらゆる情報の送り手に共通することです。
ご説明をお伺いすると、池田氏による批判には一定の影響力があるようですので、岩見さんが池田氏の批判を選択なさった理由は理解いたしました。私はその点はあまり考慮せずに、池田氏が専門家ではなく、主張が一般に共有されている認識からかけ離れていて、しかもその根拠も具体的に示されていないので(つまり、内容から判断すると、小出氏に対する批判として重要なものだとは考えられないので)除去いたしました。影響力というのは程度の問題ですので、岩見さんと私のどちらが正しくてどちらが間違い、という性質のものではないと思いますが、ご判断は尊重いたします。池田氏の論調についてのご説明、どうもありがとうございました。 --KAWASAKI Hiroyuki 2012年2月26日 (日) 06:51 (UTC)[返信]
もう一点。「反原発運動の隆盛」と、小出氏に対する批判の有無は根本的に無関係です(小出氏の主張自体は反原発運動に益することを多分に意図したものかもしれませんが)。 --KAWASAKI Hiroyuki 2012年2月26日 (日) 07:32 (UTC)[返信]
間違いがあるので指摘しておきます。
>記事の執筆に際して情報の取捨選択を行っていらっしゃる
私はソースが提示されていれば他の批判を除去したことはありません。それが貴方との最大の相違です。また、批判ソースとして幅があることを想定し、池田氏以外に3人の学者による鼎談を使用しております。更に、地球温暖化懐疑論からの批判について追記された方にソースの提示を求め、増田氏の提示を頂いています。
編集活動における上記の相違点は良く斟酌された方がよろしいかと。勿論、他の筋道からの批判や小出サイドからの反論があれば、それもどんどん収録するべきでしょう。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2012年2月26日 (日) 15:19 (UTC)[返信]