ノート:天照大神

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

話題[編集]

項目名が「アマテラス」というのはふさわしくないと思います。「あまてらすおお(み)かみ」の「あまてらす」は「おおかみ」にかかる修飾語です。「あまてらすのみこと」という言い方をしないように、「あまてらす」だけをもって神名とするのは無理があると思います。最も一般的な「天照大神」の表記を項目名にすべきだと思います。いかがでしょうか?Stanislaus 2005年3月28日 (月) 07:45 (UTC)[返信]

他の日本の神も、ほとんどが漢字表記になっているようですし、提案にあるように、アマテラスという見出しは不適当に思えます。アマテラス→天照大神にするべきでしょう。(2005年11月14日 (月) 14:23(UTC) 東坡煮さん)

天照大神については私も漢字表記で良いのかなと思います(Stanislausさんの提案に気附いていませんでした……)。
日本の神の項目の項目名についてはWikipedia:ウィキプロジェクト 神道にまとめています。漢字表記がほぼ一定しているものは漢字表記、表記にゆれがあるものはカタカナ書きとすることを推奨しています。数だけで言えば「ほとんどが漢字表記」ということはありません。念の為。その上で、天照大神については漢字表記で良いと判断しました。
ノートに何か書く際には署名をお願いします。チルダ"~"4つで署名がつきます。nnh 2005年11月14日 (月) 14:37 (UTC)[返信]

天照大神=天朝大臣?--影武者 2006年11月2日 (木) 08:03 (UTC)[返信]

?--nnh 2006年11月2日 (木) 15:46 (UTC)[返信]

関連項目の削除について[編集]

アマテラスの「アマテラス (漫画):美内すずえ作の漫画」も削除するべきと思いますがいかが? あるいは

これを復活させるか。

もはや現代人の日常生活とはほとんど無縁の「アマテラス」の項目に俗っぽいものを入れて「アマテラス」を宣伝する必要はまったく無いでしょう。 あるいは古代人の作り出した「虚構(フィクション)」として現代のそれと併置するか、『ウィキペディア(Wikipedia)』の削除の方針(?)に沿ってご検討下さい。どうも基準がよく分からないのです。感覚的には「アマテラス (漫画):美内すずえ作の漫画」も異様ですが、すべてあってもいいようにも思われます。編集合戦にならぬよう、ご意見をお願いします。(上記、削除者の「LR」さんのノート欄にも記しておきました。)--Kafuka1964 2007年3月10日 (土) 01:38 (UTC)[返信]

付記1 「アマテラス」は企業ではないのですが、やはり特定の宗教の宣伝につながるかもしれません。--Kafuka1964 2007年3月10日 (土) 01:46 (UTC)[返信]

付記 2 「天照大神を演じた人物」の項目も削除するべきか。そもそも削除の基準が不明なのですが、……。--Kafuka1964 2007年3月10日 (土) 01:51 (UTC)[返信]

方針は熟知しているつもりですが(履歴参照w)、単純に私は美内すずえのアマテラスを読んだ事がありません。従ってどの程度無関係かさっぱり見当が付かなかったのです。何しろ新興宗教の教祖さまですから(は知ってた)ひょっとして古事記の翻案マンガを書いていてもおかしくないと思い、知らない事例に手をつけなかっただけのことです。そういうものでないならもちろん削除されるべきでしょう(こういう事態はこの先いくらも出てきますからどうぞ対応は慎重に。いきなり挑発的に利用者ノートでは無用なトラブルを起こします)。付記2についても諸手を上げて賛成です。LR 2007年3月10日 (土) 11:23 (UTC)[返信]
再考したのですが、LRさんは削除理由を「末転倒関連を削除。「あちら」が本記事を参照するのが筋」としておりますので、タイトルを「関連項目」から「参照項目」に変更してから削除すれば良いのではないでしょうか。それぞれの記事には、一応は関連はあるようですから。「美内すずえ作の漫画」は項目すら無いので、これだけを削除するのが、現在の状態では「筋」とも思われます。削除された本人などから反論がなければ現状放置でも僕はかまいません。あなたが「美内すずえ」の信者ではないことがわかれば十分です。失礼しました。--Kafuka1964 2007年3月10日 (土) 11:54 (UTC)[返信]
それでは何の役にも立ちません。参照したって天照大神を理解する役に立たないクズ情報はこちらからは全排除がスジです。一方で、ファイブスターなどではモトネタ知っておくことはある程度有益でしょうから、ファイブスターがこちらを参照することは構いません。この本家に分家を参照させる「本末転倒」はwikipediaで実に頻繁に見出される典型的エラーパターンです。LR 2007年3月10日 (土) 12:28 (UTC)[返信]
では項目名を「参照を要する項目」とか「参照しなければならない項目」にでも変えて、それから全削除してはいかがですか?私は私幣禁断解禁以後の伊勢信仰の勃興と現在の没落・受容の様相を示す資料としての面白さも否定できませんが。--Kafuka1964 2007年3月10日 (土) 13:08 (UTC)[返信]


男神説否定の仕方 記事の中立性などの問題[編集]

天照大神男神説の否定の仕方が適切でないと思います。記紀以外の伝承に、大神神社の祭神と伊勢神宮の祭神は同じといった内容もあります。もちろん、この有名な伝承を立てれば男神です。また、古い時代に天皇から伊勢神宮に奉納された天照大神の衣装が男神のものだった記録もしっかりと残っています。斎宮制度の存在から見ても、女性がもてなしている相手は男神ということになります。また、伊勢神宮には、男神に対する神事が認められるので、男神説にはそれなりの根拠があるようです。また、大日孁貴は漢字の意味から神の妻や巫女の意味ではないという解釈は、大日孁貴尊を比売神(ひめがみ)として祀っている神社の存在を勝手にスルーしているように見えます。神の妻ではないと個人の判断で独自研究の見解を披露しても、伝承されている事実に反していれば意味がありません。また、高句麗道教の時代から伝わったとされる日拝の神事では、巫女神が重要な役割を果たします。太陽の息吹を口から吸い込んで丹田(太陽神経叢)に蓄えるのは、女性の巫女のほうが依り代として適しているため、太陽神に仕える巫女神が女性というのは理に叶っていますが、太陽神そのものが女性では有効な関係が成立しなくなります。記紀成立以前は天照神よりもスサノオのほうが信仰されていた事実なども無視できません。記紀の時代になって突然出現した天照大神の原型が、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊にあるとする説も無視できず、これを選択すれば男神となります。天皇が天照大神と心身一体になるための祭事が明治維新まで伝承されていたようですが、その中にも男神説が有力視される幾つもの痕跡が認められるようです。このように観察してみると、女神説より男神説を裏付ける資料のほうが多いのが現実のようです。伊勢神宮には、持統天皇以降明治維新まで天皇が参拝した記録がないようです。巫女神を祀る斎宮が皇祖大日孁貴神に見立てられてしまうと、参拝する天皇が斎宮に対して頭を下げなければならない困った状況が生まれてしまうため、出来ないことだった、という指摘もあるようです。道鏡事件などでも、皇位継承を決める神託が得られる重要な神社とは考えられておらず、全体に軽視される空気があったようです。そのため、日本神道界の最高神としての威厳を作り出そうと、伊勢神宮側でさまざまな古文書を捏造していたことも知られるようになってきています。信憑性に乏しい記述が連続する記紀が、女帝持統天皇を擁護する目的で、天照大神とその巫女神の大日孁貴尊を同一視する宗教改革を試みて女神に摩り替えたとする説は、かなりネット上にも広まって一定の支持を得ている様子なので、男神説を適切な形で同時に紹介しておかなければ、中立性を維持しているとはとても言えないでしょう。--222.231.85.133 2009年9月29日 (火) 11:23 (UTC)[返信]

そうですね。私も男神説は何度も目にしたことがあります。とは言え、現在私が掲げることが出来る出典は、いずれも信頼性に欠けるフリージャーナリストによるものや自称歴史学者によるもののため、Wikipedia:独自研究は載せないというWikipedia日本語版の方針により巧く書くことが出来ないでおります。222.231.85.133さんが信頼できる情報源をお持ちなのでしたら、それに基づいて「元々は男神だった」という「説」を、著作権や検証可能性にもご注意のうえで加筆なさってみてください。--ろう(Law soma) D C 2009年9月30日 (水) 03:25 (UTC)[返信]
神道は宗教であり精神文化です。伝統的な文化というものは、伝承されているものが全てです。日本書紀に記された神話が、フィクションなのかノンフィクションなのか、意見が分かれる部分は多いと思いますが、神話は御伽噺と同じようなニュアンスを持っているので、歴史的事実であるかどうかはさほど重要ではないと思います。「私達はこの伝説を信じてます」で終わってしまう世界なので、男神か女神かを巡って、歴史学会で討論して決着をつけるのは間違いだと思います。もちろん、天照大神のお墓が発見されて、遺骨から性別が判明することがあればまた別でしょうが、今の時点で目に出来る資料だけでは、甲乙つけられないと思います。歴史学や考古学よりも、文化人類学や神話学の方面からのアプローチのほうが、より重要かもしれません。現在のウィキペディア本文記事内容で、問題なのは、『神仏習合の影響で男神とみなすようになった』という内容の記述です。知り合いの神社本庁の方々数名に、これは本当ですかと質問したら、全員が聞いたことがないと否定しました。仏教と神道がミックスされたから、天照大神が男神に化けたというお話は、神道の専門家達がまったく知らない珍説のようです。ウィキペディアにこのままの形で載せておいてよいとは思えません。じつは仏教とのかかわりよりも、もっと現実的で重大な、困った問題が存在します。5世紀から6世紀頃、陰陽道が仏教や儒教とともに日本に伝わりました。7世紀後半から8世紀はじめにかけて、律令制がしかれて陰陽寮が組織されると、方違えをはじめとする風習が生まれまて、天皇や公家の私的な実生活に大きな影響を与えていました。陰陽の考え方では、太陽は陽なので、太陽神は男神でなければなりません。天照大神が陰側の女神では、陰陽の世界観が崩壊します。日常生活の行動指針が成り立たなくなっては困りますから、スサノオと天の安川で対峙したときに天照大神が女性の髪形を解いて男装したエピソードなどが、重要視された時代があったようです。こういった事情がなければ、日本書紀に女神と記されているのに、天皇が伊勢神宮に男神用の衣服を奉納することはありえなかったでしょう。男神論が出てきた背景には陰陽道の問題があったという指摘には、顔見知りの神社本庁の方々が揃って肯定的でした。しかし、これを検証可能な有識者達の公式見解にする術があるとは思えません。私からできる提案は、神道の専門家達が存在をまったく知らないような珍説の削除と、天照大神男神論という別項目を立てて、賛否両論を併記すること、の二つぐらいです。--222.231.85.133 2009年10月1日 (木) 10:44 (UTC)[返信]
222.231.85.133さんが「全く根拠(出典)のない珍説だ」と思われるのであれば、Wikipediaのルールからすれば出典を示さねばならないのは掲載を希望する側にあるわけですから、該当部分をご自身で削除されてみてはいかがでしょうか(それはあなたの自由です!)。またもしくは、お知り合いの神社本庁の方に参考にすべき資料をお尋ねになってみるのも良いかも知れませんね。 --punipico 2009年10月1日 (木) 11:39 (UTC)[返信]
あ、除去はちょっと待ってほしいです。要出典付記なら反対しませんが。なぜなら件の「珍説」もどこかで目にした気がするからです(歴史学者の義江彰夫氏だったかもしれませんが、宗教学、神話学の専門家の山本ひろ子氏か斎藤英喜氏の説だったかもしれないので)。222.231.85.133さんのおっしゃるように、勿論、神道は宗教であり精神文化です。歴史学の観点からの記述は、一説として紹介する価値はあっても主たる記述になるものではありませんし、主たる記述は宗教学や神話学、民俗学等の専門書なりを出典として書かれるべきものでしょう。私も陰陽道の影響という方がしっくりきます。ですが、おっしゃるように関係者の方々からの聞き取りでは検証可能とはいいがたいです。私もちょっと資料を渉猟してみますが、山本氏あたりが何か書いている気がします。punipicoさんのおっしゃるように神社本庁の方に出典を伺うのもいいかもしれません。(あと歴史学上の記述が不要という訳ではないと思います。歴史的事実として「そのように信仰されていたことが記録されている」のであれば歴史学の対象となるからです。)--ろう(Law soma) D C 2009年10月2日 (金) 01:13 (UTC)[返信]
神仏習合の影響について出典に心当たりをお持ちならばお願いします。それから、神社本庁は、ローマ教皇庁などとかなり性格が違うことが、話を難しくしているようです。日本の神社は八百万の神を祀っているため、信仰形態が個々の神社で大きく異なったり、矛盾する伝承が残っているケースもあるので、それらを束ねて統一見解を打ち出すのは無理がありそうです。ローマ教皇が公式に地動説に言及したように、神社本庁が天照大神に公式に言及するのは、難しいかもしれません。記紀の記述を全て鵜呑みに出来ない状況にあるのも、悩ましいことです。能の『三輪』の最後のキリに「思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。今更何と磐座や」とあります。伊勢神宮に祀られている天照大神と三輪明神が同一なのは当然と語る説話が今も残っているのです。記紀の編纂者達が隠蔽しておきたかった日本国成立時の最重要国家機密が、能の形で情報公開されて誰でも閲覧可能な状態にあります。三輪明神が男神として人間の女性のもとに通う神婚説話ですが、三輪明神役の演者は女装して登場します。ここに天照大神と大日孁貴神と斎宮の関係が端的に示されていますが、故老からの口伝や非公開扱いの祭事の内容を交えた解説を、ウィキペディアに書き残すことはできません。天照大神は、日本人の心の文化の原点に位置する大切な存在ですから、情報が散逸して復元不可能になる前に何とかしておきたいんですけどね。もちろん『三輪』の作者の真意もそこにあったのでしょう。--222.231.85.133 2009年10月2日 (金) 10:32 (UTC)[返信]
まだ調べていないのですが、能の話が出てきましたのでちょっとご返答します。能の世界というのは、それこそ神仏習合の真っ最中であった中世に確立していますので、神のそもそもの由来ですとか記紀成立以前の信仰形態の復元を試みる材料としては、よほど慎重に史料操作を行わないと難しいのではないでしょうか。以前、私も能の「草紙洗小町」ラストの「素戔嗚尊の守り給える神国なれば」との地謡を参考に素戔嗚尊主神説を数人の神道関係者にぶつけてみたことがありますが、一笑に付されております。曰く「和歌の世界を始めとする芸能の分野で特に信仰されていただけではないか」ということでした。斯様に能を出典とすることは難しいです。口伝や非公開祭事をWikipediaに反映させるには、その前段階として、査読のある民俗学・神話学・宗教学等の論文が発表されていることが必要です。最近中世における神道の変容をテーマとする論文が多少出てきておりますので神仏習合や陰陽道の影響については研究が進みつつありますが、それ以前の神道成立期の研究は、まだまだ途上ではないでしょうか。--ろう(Law soma) D C 2009年10月5日 (月) 00:47 (UTC)[返信]

(インデント戻します)一応少し調べましたが、斎藤英喜『読み替えられた日本神話』(講談社現代新書、2006年) ISBN 4061498711 の第3章119ページ以降にそれっぽい記述がありました。神仏習合の状況の下、密教僧の記録に天照大神を男神とする言説が現れるという趣旨でした。斎藤氏は佛教大学文学部教授ですので、神道側という訳ではありませんが歴とした神話学者です。ここは、本文にその旨を注釈で付け、あくまで国文学・神話学上の説として明示することを提案します。いわゆる天照国照系などの男神説は、222.231.85.133さんのおっしゃるように天照大神男神論という形で節を改めて執筆する方がよいと思います。--ろう(Law soma) D C 2009年10月6日 (火) 00:25 (UTC)[返信]

まったく見当外れの方向に話が向いてしまっているが、天照大神荒魂の本体は男神、で確定情報。これについて、後世の人間の勝手な解釈や異説・異論は意味をなさない。第一に、記紀神話はイザナギ・イザナミの男神と女神を一対とした陰陽思想を明示して始まっている。この宗教観は不動のもの。太陽は最も陽の存在で、男神以外の答は論理的にあり得ない。第二に、広田神社に天照大神の荒魂として、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命とある。撞くは依り憑く意味、賢木は御神体の榊、厳之御魂は男神の魂、天疎は疑問符が付く表現だが本来は天祖としたかったのだろう、向津媛命は日向の巫女を指す。つまり、天照大神は榊を御神体として向津媛命と呼ばれる日向の巫女に依り憑く男神の魂と明記されている。天上に輝いている太陽は男神(陽神)だが、その光を受ける立場にあるのは陰の側の女性の巫女。したがって太陽神が人の姿を取るときは、男装した女性の巫女の形をとる。これは神社に神事として伝承されているだけでなく、能の三輪でも伊勢と同神とされる三輪の神が、男装した巫女の姿で登場することからも分かる。第三に、記紀神話の、天の安川で天照大神がスサノオと対面するシーンに、天照大神女性の髪型を解いて男性の髪型に結い直す描写があること、スサノオが姉と呼んでいることからも、男装した巫女に対する信仰であることは明らか。第四に、神憑りした巫女が神になることも、社家の伝承として存在することから、男神に神憑りした巫女が神格化されて天照大神として祀られていることは、明白な事実。以上の事実から、天照大神の荒魂そのものは男神は、神道界で千数百年に渡って不動とされてきた確定情報。以上の解説は、向津媛の巫女神道を世襲し、当代の向津媛を襲名なさった立場の社家の専門家の方のツイートを再構成したもの。このツイートの主は、私立の学園の理事もなさっている、教育にも深く携わる人物。いわばローマ法王が語ったも同然の、日本神道界の中枢部から出てきた、記紀神話、各神社の社伝、神社が継承している神事、社家の襲名のシキタリ、能などの民間伝承に見られる天照大神の表現様式、などの諸事実に照らして総合的な観点から神道の世界観を踏まえて示された、明白な確定情報。本格的に神道を学んだことがない素人学者が書いたデタラメな私見など、今日まで千数百年間変わらずに伝承されてきた正しい情報の前では意味を持たない。
天照大神について、神社が伝承する以外の、後世の学者達の勝手な解釈に基づく私事の信仰を唱えても意味がない。天照大神に関する伝承は、遥か昔に確定している。後世の学者(日本の精神文化を歪める主張を行う素人のような学者達の中身は、日本人の魂を持っていない人物(通名で日本人に化けることが出来る反日活動家グループ)の可能性が高いと、当代の向津媛様が指摘している)が日本人の心の拠り所となる最も大切なものを歪める情報工作活動を行っても、千数百年の歴史を持つ神道の宗教形態を改竄することは出来ない。ウィキペディアが日本人の精神文化を破壊する悪質な行為を働いてきた事実に対して、大勢の社家の者と神道の信者は腹を立てている。当代の向津媛様が管理する幾つかの神社に初詣に来る、日本神道の信者数千万人と意見を違えることをウィキペディアに堂々と書き込む編集者は何者か、その正体が知りたいものである。正しい信仰と宗教観を持たない、神社を管理する社家の伝承や記紀神話の記述に真っ向から刃向かう者が、勝手な私事の解釈を書き込んで日本人の精神文化を歪めて踏み躙る行為は、戦前なら不敬罪の適用を免れない悪質な犯罪行為。戦後の現代の日本でも、公序良俗に反する行為と受け取る人は多い。このような問題性のある編集行為を行ってはならない。本記事が公序良俗に反するものであることと、誤情報を広く公の場で流布してきたことを理由に、いったん記事を削除することをここに提案する。
天照大神には和魂と荒魂が存在することも明白な事実だが、このことにすら言及できない、まったくの素人達が書いたデタラメな記事は、専門家の目からは価値のない有害な情報にしか見えない。文責を負う編集者達の反省を求める。公序良俗に反する行為を働いたことについて、謝罪文の掲載を求める。認識不足の嘘を流布すれば、全国の神社に迷惑が及ぶ。このような行為は、場合によっては、威力業務妨害と受け取られかねないことを付け加えておく。ウィキペディアが数千万人の神道関係者の怒りの対象とされ、訴訟の対象にならないためには、問題性のある記事の削除が妥当と判断する。繰り返すが、千数百年間伝承されてきた、日本の精神文化を冒涜する行為は、多くの日本人の心を踏み躙って傷付け、怒りを買うものであり、社会的に許されない公序良俗に反するものである。ウィキペディアがそれを行っている事実が社会問題視されている。
問題を解決するために求められている回答を、この場に明確に示す必要がある。はぐらかすようなレスが多く付けられているが、もし法廷にこの問題が持ち込まれた場合には、ウィキペディアの編集者達には誠意が見られなかったと判断されることになるだろう。蹂躙行為の謝罪と反省が必要な状況にあると思われる。--222.231.125.186 2012年1月14日 (土) 16:47 (UTC)[返信]
古神道系の一ツイートは信頼できる情報源ではないので独自研究は載せないという方針に反します。天照大神の荒魂が男神だという出張自体はたぶんそうだろうと思えるものですが、出典は吟味して使用してください。ここは百科事典ですので、出来る限り神道学者等による学術書や神道入門書等を出典に掲げてください。現状では誰もツイートの主の発言の正しさが検証できません。--ろう(Law soma) D C 2012年1月17日 (火) 01:32 (UTC)[返信]

「天照大神からの皇室家系図」の項[編集]

この項は必要でしょうか?「天照大神」個人の記事で全天皇の系図を載せる意味はまったくないと思われます。
天照大神と皇室の関係を示すのであれば、天照大神から神武天皇までの系図があれば十分で、それについては「神話での記述」の項に系図画像が掲載されていますから、「天照大神からの皇室家系図」の項は全部削除してもよさそうに思えますが、いかがでしょう。
全天皇の系図が他のどの記事にも存在しないのであればともかく、「皇室の系図一覧」という記事内に天照大神からの系図が存在しますし…
--Nao Costas会話2020年5月26日 (火) 02:00 (UTC)[返信]

山号「天照山」[編集]

4.3「山号」の項について、ここで紹介されている各寺院が山号を「天照山」としているのは天照大神にちなんでのものなのでしょうか?
そうでなければ天照大神とは無関係ということなので、本記事からは削除すべきものと思われます。
--Nao Costas会話2020年9月5日 (土) 05:20 (UTC)[返信]

各山号と天照大神との関わりを確認できないため同項を削除しました。--Nao Costas会話2021年1月12日 (火) 06:04 (UTC)[返信]

「近代」節の移動について[編集]

この度、「信仰」節に古代から近世までの天照大神に対する信仰を加筆しました。現在、「近代」という節には、近代の天照大神の信仰について書かれておりますが、この内容を、そのまま「信仰」節に移動し、この節内で天照大神信仰を通史的に記すという形式にしたいのですが、コメントなどがありましたら、お願いいたします。 --竹野和貴会話2022年8月20日 (土) 16:53 (UTC)[返信]

一週間程度反対意見等が出ませんでしたので、そのように編集させていただきます。--竹野和貴会話2022年8月30日 (火) 04:21 (UTC)[返信]