ノート:多田源氏

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無題[編集]

すでに全面的に改稿しておいたが、清和源氏、河内源氏、摂津源氏、多田源氏、源氏嫡流の各項目は、「多田満仲→源頼政→源頼朝」という流れが嫡流であるという誤った主張に固執したため、記述がはなはだしくゆがめられている。この項目で言えば、頼政が多田を称しない傍系の出であったということがよほど都合が悪いらしく、その時代あたかも多田源氏においては多田の称号がなかったかのように記述するのがその典型である。もちろん歴史学的にはナンセンスな主張である。こんな誤った記述が長年放置されていたのは、ウィキペディアの信頼性の限界といえよう。