ノート:多文化主義

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多文化主義と文化多元主義は同じものなのか[編集]

Cultural pluralism(英語以外の記述なし)というものと、Multiculturalism(15カ国語)があります。このCultural pluralismと言うのが、多元文化主義といわれるもので、違うものではないかと思うのですが。自分は、ここで始めてその言葉を聞いたので、ほとんど知識が無いですが。--Orcano 2006年12月25日 (月) 16:14 (UTC)[返信]

「多文化主義」→「文化多元主義」の転送削除を依頼します。[編集]

  • 「多文化主義」が一般的に使われている呼称であること、
  • Googleの検索でも、「文化多元主義」と言うサイトはそれほど多くなく、最初の100サイト中約24サイトしか「文化多元主義」と言う言葉を使っていません。「多文化主義」では200万件を超えるページがヒットし、最初の100サイトで約100サイトが「多文化主義」という言葉を使っています。
  • また、「文化多元主義」と「多文化主義」を違うものとして扱うサイトや、その区別を教える大学講義の存在が確認される。そこでは、「文化多元主義」をcultural pruralismと呼び、「多文化主義」をmulticulturalismと呼んでいる
  • カナダやオーストラリアでは、「多文化主義」と言う用語が使われている。

以上の理由から、

  1. 少なくとも「多文化主義」→「文化多元主義」の転送を削除すること
  2. 仮に同じ用語だとしたら、一般的に広く使用されている「多文化主義」を項目名とすること

を求めます。--Orcano 2006年11月26日 (日) 17:39 (UTC)[返信]

削除依頼しました。--Orcano 2006年11月26日 (日) 17:48 (UTC)[返信]

削除依頼却下された模様 --Orcano 2006年12月25日 (月) 16:00 (UTC)[返信]

とりあえず文化多元主義多文化主義に移動しました(この移動は管理者権限がなくても移動できるケースでした)。--春野秋葉 2007年2月6日 (火) 21:34 (UTC)[返信]

多文化主義の好例?[編集]

カナダのケベック州、アメリカにおける英語・スペイン語の二言語教育などが多文化主義政策の好例である。

とありますが。カナダのなぜケベックだけなのかと、アメリカの二言語が政策として広く行われていると言えるのかどうか、それらを好例として示した出典があるのか、疑問を感じます。当時と違って各項目や段落も充実してきたので、ここについては、削除しても良いのではないかと思います。--Orcano 2007年4月9日 (月) 17:08 (UTC)[返信]

ケベックだけなのは特にフランス系が多く、分離独立も視野に入れたマイノリティ・ナショナリズムが盛んだった為です。アメリカは連邦政府レベルでは(文化的多様性はともかく)あまり多言語を推進するという感じではないので、一部の地域が必要に迫られてという感じだったと思います。所謂、「ヒスパニック」系の人たちの中には英語が通じない人もいますので。学生時代に二、三冊読んだきりですけど、通常、多文化主義における(公用語、準公用語としての)二言語教育というとまずケベックで、次にアメリカが挙げられると思います。というか、他に例をとった研究があまり無いんじゃないかと。多文化主義全体なら、オーストラリアもかなり進んでいますが、二言語ではなく多言語だったと記憶しています。あまり手元に文献がないのですが、すぐに分かる範囲では、M.ワトソン編『マイノリティ・ナショナリズムの現在』(刀水書房、1995)の八章にケベック・ナショナリズムについて二言語教育と絡めて詳しく書かれています。それと、あまり参考にはできないかもしれませんが、『現代用語の基礎知識』(自由国民社)では「2言語主義」はカナダの「各国事情」の項に書かれています。ですので、ケベックについては二言語教育の好例と言ってよいのではないかと思います。アメリカについては別の人に任せます。--コータ 2007年6月6日 (水) 11:29 (UTC)[返信]
議論が途絶えているようですし、あまり重要な記述とは思えないので、丸ごと削除しました。--Thirdstage 2009年3月23日 (月) 15:10 (UTC)[返信]

どうやって編集したらよいかわからないので[編集]

脚注をどのように編集したらよいかわからなかったのでどなたかお願いします。

脚注にある「想像された共同体」は翻訳では正しくは「想像の共同体」です。 ISBN-10: 487188516X またその下の脚注の本は日本語訳が存在しており、題名は 「創られた伝統」です。 翻訳 前川 啓治 他 ISBN-10: 4314005726 --txsns

ありがとうございます。おそらく「脚注」節を編集しようとされたのではないかと思いますが、ウィキペディアでは脚注機能(Help:脚注)を使用していて、本文中に <ref></ref> とで囲んだ出典が、自動的に「脚注」節の {{reflist}} に表示される仕組みとなってます。今回の場合だと、注14と注15が置かれている「批判」節の「編集」アイコンをクリックすれば書誌情報を修正できると思います。あるいは、ページ右上の「編集」アイコンをクリックしてから「批判」節までスクロールしていっても、同様に修正できます。とりあえず私のほうで修正してみましたが[1]、ご意向に沿ったものかどうか、ご確認いただけますでしょうか。他にも何かあれば、さらなる修正を記事に加えていただけると、ありがたいです。--123.224.248.104 2014年11月1日 (土) 01:22 (UTC)[返信]

民族問題以外の多文化主義について[編集]

フェミニズムLGBT障害者など、マイノリティ文化集団とマジョリティの関係を論じる論文や書籍では、移民問題とは無関係に多文化主義の概念を引いてくることが多く(参考:『多文化主義(知恵蔵など)』 - コトバンク)、現在の「異文化を持つ移民集団の自主性に任せて、移民先社会の文化・価値観への統合の推奨をしないという考え方」という定義文は、特定の分野・地域の用例に偏っていると考えます。出典が沢山ついていますが、幅をもたせた定義に改めたほうが良いと思います。--茂林寺たぬき会話2019年6月27日 (木) 23:21 (UTC)[返信]