ノート:和泉元彌

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デビュー前の子供の名前の記載について[編集]

まだ、デビューしていない子供の名前を明記するのは問題ないのですか?--163.139.24.98 2005年11月17日 (木) 05:16 (UTC)[返信]

プロレスの記述について[編集]

和泉元彌氏のプロレス進出について、まるでスポーツ紙のような記述が見受けられます。試合進行が詳細に記載される必要性はあるのでしょうか。 「能・狂言という600年の伝統が洋行帰りを地獄に沈めた。」という記述も、主観による感想であり、Wikipediaにはふさわしくないと考えます。 また、最後の段落に至っては、記述の必要性そのものが見受けられません。 --219.164.86.249 2005年12月24日 (土) 14:19 (UTC)[返信]

引退はしていない。[編集]

WAKABAYASIと申します。 文中羽野さんが芸能界を惜しまれながら引退したとの、記述がありましたが、羽野さんは現在も劇団☆新感線の団員でありまして、退団及び引退はいたしておりません。全くの誤記でありますので消去いたします。なお和泉氏は青山学院大学を卒業しています。中退との記述も誤りですので削除訂正いたします。


憶測でしかない事実について[編集]

2007年の項の一番最後に記述されている「元彌自身は長髪であるが、どうやら金欠か母・節子の命令で髪を切れない状況である。」は憶測でしかなく、百科事典であるWikipediaに記載する必要が全くないと思われるため、消去しておきます。

(2007.06.28.) 「髪型も長髪で肩まで伸びている。(母節子の命令により、切っては行けないと圧力を掛けられている為と言う説もある。)」 「また、元彌からは「ママ」と呼ばれており、それ程、息子を溺愛しており、元彌の財布の紐を管理しているのではないかとの憶測がある。」 何度も加えられ、その都度、誰かが消去している記述です。憶測は、百科事典であるWikipediaに記載すべきではないため、再度、消去しておきます。

(2007.11.16.) 11.15.に書き込まれた、母・節子の主義や、元彌の髪型、羽野晶紀が関西弁を話さないことの憶測は、百科事典であるWikipediaに記載すべきではないため、消去しておきます。


公演内容について[編集]

2007年9月、晶紀夫人夜逃げ報道と時を同じくして、和泉元彌のホームページが更新されなくなり、姉・三宅藤九郎のホームページの公演情報も不正確な為、和泉家による正確な公演情報を記載することは出来なくなりました。その為、「公演数の激減」から次の公演記録の部分を削除します。

和泉家による最近の狂言の公演は次のとおり。
2007.03.31. 自主公演 石垣島市民会館 (定員1,078人のホールに入場者120人)
2007.04.01. 自主公演 国立劇場おきなわ (定員632人のホールに入場者250人)
2007.05.05. 伊勢神宮・内宮参集殿能舞台 (参拝者に無料公開)
2007.05.20. 大阪・北御堂 親鸞聖人降誕会 (参拝者に無料公開)
2007.07.28. 自主公演 国立能楽堂 元秀13回忌追善公演
2007.08.05-06. 南房総市シェイクスピア・カントリーパーク
2007.08.25. 名古屋薪狂言・徳川美術館前特設舞台
2007.09.08. (社)羽島青年会議所・羽島市商工会議所青年部・羽島市文化センター 
2007.09.17. 大垣市・大垣狂言の会
2007.09.20.~ 中国・アジア芸術祭
2007.10.17. 福島県立福島工業高校 芸術鑑賞教室 福島県文化センター

中立的な観点にご配慮ください[編集]

和泉氏は存命の人物であり、ウィキペディアにおいては特に否定的な記述について、格段の慎重さが求められるものです。Wikipedia:存命人物の伝記をご参照ください。また彼のあら探しの成果を列挙するような記事も、ウィキペディアに相応しいものとは思えません。そのような言論活動はウィキペディアの外部の「まとめウィキ」などをご活用ください。--Peachkiller 2008年5月9日 (金) 15:01 (UTC)[返信]