ノート:原爆ドーム

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文章について[編集]

原爆ドームは広島県広島市にある史跡、建築物。住所は中区大手町1丁目10。

もと地上3階(一部5階)地下1階。ヤン・レツル(Jan Letzel, 1880年9月4日 - 1925年12月26日、チェコ人の建築家)によって、ネオ・バロックとゼセッションの混成様式として設計され, 1915年4月5日に竣工し、同年8月5日、広島県物産陳列館として開館した。1921年には広島県立商品陳列所、1933年には広島県産業奨励館と改称され、戦時中にはその業務を停止していた。

1945年8月6日の原子爆弾投下によって大破したが、ほぼ真上から衝撃波を受けたことによって垂直部分のいくらかは破壊を免れ、ドーム外壁を中心に残存した。戦後間もない頃にはその存廃が議論されたが、原爆の惨禍の象徴として永久保存されることとなり、1996年12月5日にはユネスコ世界遺産への登録が決定された。風化を防ぐため定期的に補修工事が行われている。最近では立ち入り禁止区域に入っての落書きなども問題になっている。

すぐ西には、原爆投下の目標になったともいわれるT字型の相生橋がかかり、南には元安川をはさんで平和記念公園(通称平和公園)が広がっている。北には路面電車の走る通りの向かいに広島市民球場がある。

たびたび、上の文章が消されるようですが、消す時には一定の議論が必要だと思います。現在原爆ドームは保護中ですので、文章の仮置きも考えられますので当面は上の文章を消すのを控えて欲しいと思います。--Taisyo 2005年12月17日 (土) 01:10 (UTC)[返信]
勘違いしてました。現在保護はされてないようです。ただ、発言の改変になる可能性があるので、削除を控えた方が良いと思います。--Taisyo 2005年12月17日 (土) 01:12 (UTC)[返信]

平和記念施設あり方懇談会について[編集]

市の公式サイトによると、2004年に第1回が行われた。(有識者による懇談会)[1]また、Yahooニュース1月26日(木)18時42分[2]によると、広島市が1月26日、「懇談会」に「現状保存」案を示して了承されたということである。正式には3月に決定。世界遺産になってからこんなことを議論しているというのも、少々驚きではある。 --忠太 2006年2月19日 (日) 15:58 (UTC)[返信]

「独自研究」[編集]

IPユーザーによって「独自研究」テンプレートが貼られていたことに気づきました。私自身は全般的にはとくに問題のない記事だと思っています。どのあたりが「独自研究」なのか具体的に指摘していただければ加筆のしようもあるのですが… --Straysheep 2008年11月25日 (火) 20:33 (UTC)[返信]

理由も書かれていないようですので一旦撤去しました。必要な場合はStraysheepさんのおっしゃるとおり理由をご説明願います。Neruru 2008年12月4日 (木) 23:22 (UTC)[返信]

景観破壊についての雑感[編集]

記事本文、原爆ドーム周辺・背景での大型建物乱立について、「原爆ドームは負の世界遺産であり、原爆ドームの存在が都市の発展を阻害するという状況はむしろ本末転倒ではないかという声もある」って、原爆ドームに被さるように醜い大型建築物を乱立させることが「都市の発展」、だという主張が本当に広島でまかり通っているのであれば、それは何とも哀しいことですね。--Eros618 2010年8月27日 (金) 20:46 (UTC)[返信]

原爆の爆裂地点について[編集]

とりあえず高度を580mから600mに修正しましたが、最近の学説で、高度だけではなく地点も見直されています。どうも、旧学説での記述ではないかと思われます。新学説での値を知っている方は、距離を含めて修正をお願いしたいと思います。--Taisyo会話2013年4月4日 (木) 03:29 (UTC)[返信]